恋に生きた君は知る【18話】
人通りの多い場所でのプロポーズとあってユスツィートとエルメリアの婚約が正式なものへと変わるという話は瞬く間に広がった。
あまりにも突然のことだったので、いったい何があったのかと様々な憶測が飛び交う中。
よく行動を共にしているオリヴィアに探りを入れてくる者も絶えず——。
直接エルメリアに尋ねればいいものを、次期侯爵夫人の座が約束されてなお“魔女”と関わりを持ちたい人間は少ないらしい。
それほどまでに名前の持つ意味が大きいのはマルティルカ王国において個人の名は教会で読み上げられた“魂の音”であり、生後に授けられるものではなく魂を宿した瞬間からその身に刻まれているものであるからだ。
同じ名を持って生まれたからと言って、同じ過ちを繰り返すとは限らないが同等同質の能力を有している可能性は非常に高い。
——実際、エルメリアが求められる能力を示せなかったことはなく「ユスツィートに相応しくない」と言う者はいても「侯爵家に相応しくない」と言える者はいない。
身の程を知らない女と軽視する一方で彼女の底の知れなさを恐れている人間は存外に多いのである。
エルメリアは“無能色”なのに?
——逆だ。
そもそも無彩色が無能色と呼ばれる所以は実質的に無才と言えてしまうからだが、得意とする属性がないということは、つまり有りと有らゆる属性が等価であるということ。
神聖の領域を除いた他全てひいては時空間魔法の修得によってその真価は示される。
——努力次第で有彩色では辿り着けない高みに上ることができる無彩色の魂と、その才覚を保証するかのような名前とを同時に持って生まれたが故に、エルメリアは恐れられ続けているという訳だ。
全属性や時空間魔法の修得だなんて普通ならば不可能と一笑に付されて終わるところを、歴史に刻まれた“魔女”の名が「もしかしたら」と思わせるのである。
対象の時を巻き戻すことによって治癒と同等の結果をもたらせるとなれば、なおのこと。
優秀とは言えないまでも非才とも言い切れない今の成績を納めるのに苦労をしている様子でもあれば話も違ってくるのだが、試験の前日にただのんびりと本を読んでいるだけの女を指して「苦労している」と評価する者はいないだろう。
オリヴィアはエルメリアのことを危険人物とは程遠い『恋愛脳のお嬢様』だと思っているが、関わりたくないという周囲の気持ちも分からないではなかった。
「そういえばお茶会の方はどうなっているの?」
定位置となっている教室の端も端の席で魔法術式学の課題を読み込んでいたエルメリアは、隣席のオリヴィアから投げ掛けられた唐突な質問に目を瞬かせた。
因みにこの課題は、ユスツィートのことで頭がいっぱいだったばかりに普段ならば相応に時間を掛けて拙く見せるところを最速で完璧な術式を構築するというミスに加えて、最適化のために現代では使われていない古い様式を組み込むという講師顔負けのアレンジまで行ってしまったエルメリア個人に渡されたもので、授業では習わないような内容も含まれている。
オリヴィアも少し見せてもらったが専門的な単語が多すぎて全く理解できなかった。
「準備は進めてるわ」
「王女様に声を掛けられてからそれなりに時間も経ってるけど使用場所の申請すらしていないわよね」
当然のことながら学園の敷地内で茶会を開くには事前の申請が必要となる。
そして、いつどこで誰がどのような催しを行うかは掲示板に張り出されるためエルメリアが場所を確保できていないことは周知の事実でもあった。
「条件の良い場所はもうほとんど埋まってるわよ」
「まあ、そう急いだ話でもないから大丈夫よ」
「あなたねぇ……」
オリヴィアは思わず半眼となった。
身分の違いを気にする必要がない学園内でのこととはいえ、自国の王女に声を掛けれておきながら「急いだ話ではない」と焦る様子もなく答えられるその神経が分からない。
「後ろ盾を得たからって急に態度を変えたらそれはそれで印象が悪いでしょう? さすがに長期休暇を挟む気はないけど殿下の意向が意向だし……」
「ああ。あなたの名誉の回復ですっけ?」
「そこまでのことをした覚えはないのよ、本当に」
「王女様からすれば違ったのよ、きっと」
憧れた存在が“魔女”と同じ名を持って生まれたというだけで正当な評価を受けられないと知れば、納得ができないと思うのも仕方ないことだ。
名前を理由とする差別意識を社会的な問題として捉えてのことなら、むしろ王女が自身の友好関係を担保に入れたのは妥当な判断だったとすら言える。
「でもまあ、ほとんど何も決まってないなら今からシフトチェンジしてお茶会と婚約の披露宴を兼ねることも可能ではあるって訳ね」
エルメリアは咽せた。
握っていた課題の用紙にシワが寄る。
「ど、どどどどど……!」
「ドードー」
「もうっ! どうしてそんな話になったのよ!」
「そういう段取りになってるらしいって噂話が聞こえてきたからだけど?」
「婚約は申請だけで済ませるって、ヴィアナも一緒に聞いてたでしょ」
「披露宴を開きたいのか開きたくないのか素直な気持ちを言いなさいよ」
お茶会と兼ねるかどうかはともかくとして。
本音を吐け、と責っ付けばみるみる内に頬が赤くなる。
もしここで彼女が「開きたくない」なんて答えても、それが嘘であることは一目瞭然だった。
「私はね? 私は別にいいのよ?」
「はいはい、それで?」
「……披露宴のためにめかし込んだユスツィート様は見てみたいじゃない!?」
「何着ても似合うものね」
「そうなのよぉ〜!」
完全に浮かれているらしいエルメリアはいつになく素直に頷いた。
普段の姿も悪くはないが、特別な日のための衣装は特別な日にしか見れないのでせっかくの機会を逃すことになるのが口惜しいのだとか。
最近の流行で言えばどうとか。クラシカルなのも捨てがたいだとか。よくそれで婚約を解消しようなどと考えられたものだと言いたくなるくらいの語りっぷりである。
もっともユスツィートが如何に優れた人物であるかはこれまでにも散々聞かされてきたことなので、似合う衣装について語られた程度で驚きはしないが——。
「あっ!」
「どうしたのよ」
「……また解いちゃった」
難問揃いの課題を片手間で終わらせるのはさすがにどうかと思う。
書き込んだ答えを消し始めたエルメリアの横でオリヴィアはとりあえず引いた。
「ダメね、ユスツィート様のことを考えてると色々疎かになっちゃって……」
「疎かの意味を辞書で引き直してきたら?」
「でもヴィアナ、あなたこの問題を解ける?」
「解けないわよ」
「でしょ?」
何が「でしょ?」なのかはサッパリだが、実力を隠しておきたいという意思だけは伝わってきたので否定はしないでおく。
底が知れない友人の底を探るよりも、彼女が見たいというユスツィートの衣装を如何に用意するかに頭を悩ませた方が有意義だろう。
「はぁ。ユスツィート様ってなんであんなにカッコいいのかしら」
「……あなたに見合う男になろうとした結果じゃない?」
「えぇ? どう考えたって私の方が劣ってるのに?」
そういったセリフは自身の手元を見直してから言って欲しい。
友人思いのオリヴィアは口を突いて出そうになった言葉をグッと呑み込んで「好きな相手のためならどんな努力も惜しくないでしょ」と、誤魔化した。