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恋に生きた君は知る【8話】

 寮の自室に向かうらしい。
 主人の動向に気を配りながらクレアクリスはパーティ会場に潜り込む。

 人を惑わすすべけた精霊と言っても、魔法使いのような目には見えぬ力の流れに敏感な人種には正体を見破られやすいため鬼門中の鬼門とも言える状況下だ。
 ——が、契約中の宿主に擬態する場合においてはこの限りにない。

 宿主の魔力をもって姿形を変えることにより、個々が有する気配すらもを真似て成り代わっているのだ。
 エルメリアが精霊魔法と相性の良い無彩色者であることも含めて、その完成度は高く、余程高位の力を持った相手でもなければ見破れない。

 ——まあ、逆を言えば高位の力を持つ相手には見破られてしまう訳だが。

 人の動きを読むために視線を巡らせていたクレアクリスは、ユスツィートがこちらを見ていることに気が付き内心で頬を引き攣らせる。

、早すぎるんだよなぁ!)

 リブラント侯爵家は人と精霊の共存を旨とする契約魔法の担い手であり、次期当主として幼少の頃より磨かれてきた彼の感性が他より優れていることを否定はできない。
 しかし、そういった家柄を考慮に入れた上でも正体を見破るのが早すぎるというか。

 観念して合図を送る。
 ——エルメリアと思考を共有している間は赤裸々な話ができないため合流の前に可否を伝えておく必要があるのだ。

 今日のゴシュジンサマは早々に眠りに就きたい様子だったし、問題はないだろう。
 ユスツィート以外には怪しまれる様子のないまま、会場の端に寄って大人しくしておく。

(ああそうだ、シェシュティオ・フェリンベルだったか。あいつにも気を付けておいた方がいいな)

 担い手の力は血の繋がりをもって継承され、その者の魂に宿る。
 エルメリア程ではないにしても記憶を有しているとなれば少なからず前世の影響を受けている可能性が高い。
 近付かないでいるに越したことはなかった。

「エルメリア」

 あれこれと思考を巡らせている内に取り巻きの中から抜け出してきたユスツィートに呼ばれ、クレアクリスは視線を向け直す。
 可もないが不可もない——婚約者として認められるには足らないがヨハネスの判断を過ちと笑うまでには至らない“凡庸なフリをした娘”の顔で。

「どうかなさいまして?」
「うん。少し早いけど退席させてもらおうと思ってね」
「ああ。では、ご一緒させていただきますわ」

 腕を取る。
 新入生が主役とされるパーティで——例えそれが建前であったとしても——今日の衣装はいささか目立ち過ぎる。
 挨拶回りと僅か少し楽しむだけの時間を過ごしたら切上げるのがマナーというものなのだろう。

 元より決まった相手のいる生徒の長居は好まれない。
 新たな花の芽吹きの邪魔をしないよう、場所を譲ることが咲き切った花の務めの内と考えられているためだ。

 その代わりとして用意されている“ブルーメ”専用の会場に足を向けることすらしないのは異例中の異例とも言える行動だが、まるで新入生みたいだと揶揄われるような格好で参席できる場所ではないのも事実。
 エルメリア本人が相手でもユスツィートは同じように言葉を掛けたに違いない。


 ……もっとも、エルメリア本人が相手であるならば有無を言わさない威圧感を滲ませるようなことはしないだろうが。

 パーティ会場から離れ、学園内にある庭園の1つ——春の花が集まる第3庭園へと移動した2人は人目に付かない最奥へと足を踏み入れたところで、どちらからともなく距離を取った。

「それで。何があった」

 ユスツィートは端的に問う。
 理由もなくクレアクリスを呼び付けるほどエルメリアが不真面目な女ではないことを彼は知っているのだ。

「別に何も? あえて言うならいつもの“発作”だよ」
「“発作”が起こるような何かはあったってことだろう」

 ため息を吐き出したユスツィートにクレアクリスは肩を竦めてみせる。
 エルメリアの精神は非常に不安定だ。
 過去を切り捨てなければ前には進めないのに過去に縋らなければ平常心を保てない。
 取り繕えていることすら奇跡に近く、発作的に我を失うことは過去にも何度となくあった。

「彼女の様子は?」
「……あー。しばらく引きこもることが増えるかもな」
「引きこもる、か。逢引きのためならそう言ってくれ」
「お前こそ。煮え切らないままでいいのかよ」

 相手の望む姿を取るために記憶や感情を読み解く術を知るクレアクリスは当然、ユスツィートの思いも把握している。

「欲しいんだろ?」

 彼女に対する苛立ちを理性でもって愛に書き換えた男だ。
 表面的な立ち振る舞いは祖父とよく似ているが本質は異なる。

「僕の欲を食い物にしたいなら君の主人をその気にさせろ」

 軽くあしらうような返答にクレアクリスは思わずジト目を向けた。
 ユスツィートは意に返さない。
 自身の胸を占める感情が食えたもの本能的な欲求ではないことを彼は正しく理解しているのだ。

「嫌だねぇ。これだから冷徹非道なお坊ちゃんは」
「無責任に煽るだけの君には言われたくないな」
「いやいやいや。死体に鞭を打つようなもんだって分かっててやってるアンタには劣るよ」

 ユスツィートはエルメリアが前世の記憶を有していることを知らない。
 だが、頑なな態度を取り続けるだけの理由があることを疑ってもいない。
 魔女と同じ名を授かったことを除いても、祈ることに疲れ、願うことを止めるだけの何らかの事情がある——そう察しながら彼女が彼女の意思で幸福を求めるようになるのを待っている。

「彼女は死体ではないからね」

 どうあっても幸せになりたくないというのであれば、一生を掛けてでも確実に、必ず幸せにしてみせる。
 ——愛と定義されたその感情は、復讐心に近かった。

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