秋華賞とNureyev
血統調査員のYRAです。
「血統表は競走馬の設計図!」ということで。
今週1通のメッセージがわしのもとに届いた
尊敬するキーン校長からの依頼である。
断る理由はもちろんない。
ということで今回はNureyevについての考察です。
Rudolf Nureyev
父ハメット ソ連産
血統系統はタタール系
3歳時、主戦場をバシキール共和国ウファに移し、舞踊に興味を示した。
ほどなく民族舞踊のサークルに参加して、調教を開始。
当初からその才能を見出されていたわけではなく、アンナ・ウデルソヴァ師(元ディアギレフ・バレエ団)に師事したあたりから才能を見出されることとなった。
17歳時、ワガノワ・キーロフバレエ学院に転厩し、本格的な調教を開始。
その頃、「歴史に残るバレエダンサーになるか、失敗するかどちらかでしょう。恐らく後者の可能性の方が大きいでしょうけれど…」と評されたという逸話がある。
その後、名伯楽プーシキンに師事した後、ソリストとしてキーロフ・バレエ(現マリインスキー・バレエ)に入厩。ニジンスキーの再来とまで言われるようになる。
1961年 海外遠征の途中に亡命。
1963年頃から英国ロイヤル・バレエのゲストとしてマーゴ・フォンテインとペアを組み、伝説のパートナー・シップと謳われた。
1964年 ウィーン国立歌劇場で自身とフォンテインが出演する『白鳥の湖』の振り付けを担当したことをきっかけにウィーンに活動拠点を移す。
1982年 オーストリア国籍を取得
1980年代にはパリ・オペラ座バレエ芸術監督に就任。
シルヴィ・ギエム、シャルル・ジュド、ローラン・イレール、マニュエル・ルグリなどを見出した。また、レパートリーを一新して、ウィリアム・フォーサイスなど現代作品を積極的に採用、現在のオペラ座の隆盛の礎を築く。
1993年 AIDSによる合併症のため、死去。(54歳)
この血をクロスさせることで踊るようなしなやかなスピードが増強される可能性が高まるというのがわしの見解。
秋華賞が行われる京都競馬場は「ビッグスワン」「グランドスワン」と呼ばれるスタンドがあり白鳥とは縁が深い舞台。
このことはNureyevの血を持つ馬が本レースにおいて毎年好走している理由と無関係ではないはずだ!
ということで今回はバレエの歴史を変えたとまで言われるRudolf Nureyevについての考察でした。
書いといてアレですけど、まぁ知らん単語や名前のオンパレードでさっぱりやったわ。しかしキーン校長がまさかバレエに興味があったとはね(*‘∀‘)
人は見た目ではわからん(笑)
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