【1996~2006】私とeSportsと洋ゲーと俺とお前と大五郎と その2

どうも、ClanYrのOFFです。
自己紹介的なnoteを作っておけば、
お、この人はeSports分かってんな?とか勘違いされて
ワンチャンス何か書き物のオファーとかきたら美味しいんじゃないですかね?
という打算に満ちたモノの後編です。
前編はこちら

8.CPLと私

2002年冬頃のお話。
順調にRtCW(Return to Castle Wolfenstein)にドハマりし、一日平均8時間以上はRtCWに明け暮れておりました。
IRCを導入し、クランに入り、交流戦の楽しさを知ってFPS最高!!!!ってなっていた頃です。
交流戦ってなんやねんという方もいらっしゃるかもしれませんね。
現代語に訳するとクラン戦です。
クラン戦ってなんやねんという方もいらっしゃるかもしれませんね。
若者言葉に訳するとスクリムです。

そんな時に、クランのIRCchで「CPLやってるから見てみようぜ~」という話が流れてきました。

そもそもIRCってなんやねんとなりますね。
すいません古い単語ばかりですね…
現在IRCというのは当時主流のコミュニケーションツールです。
ナウなヤングのゲーマーの皆様はDiscordを導入されているかと思いますが
IRCはDiscordのテキストチャット部分を簡素化したものと考えて下さい。
VoiceChatは出来ません。VoiceChatはTeamSpeaks2という最新鋭のソフトを使うのです。
画像や動画も貼れません。FTPを使いましょう。
画面共有?当時の回線帯域を舐めてはいけない!

なので20年前からタイムスリップしてきたFPSプレイヤーにDiscordを説明するときは
「IRCとTeamSpeaksを統合して、凄い感じにしたソフト」
と言えばすぐに理解してもらえます。
これ、豆知識です。
皆さんご活用いただければ幸いです。

また本筋からそれていますね…
申し訳ありません。

それでCPLでしたね。CPLというのはCyberathlete Professional Leagueの略でして、2000年頃から世界規模で行われていたeSportsの大会です。
今でいうところのESWCが近いでしょうか?
多くの参加チーム、様々なゲームジャンル、高額な賞金、そして日本でも予選が開催されるというのが特徴でした。

eSportsなんていう言葉が一般的になる前のお話ですから、日本での競技人口なんて本当にごくごく僅かでした。
(観戦人口+競技人口全部ひっくるめても千人とか、そんなオーダー)
そんな状態で日本予選が開催されていたのは驚きしかないんですが
この辺りはeSportsプロデューサーの第一人者であり、レジェンドである犬飼さんのお陰ですね。

また脇道にそれつつあります。
「CPLやってるから見てみようぜ~」
でしたね。
ストリーミングでCPL日本予選の試合が配信されていたんです。
ストリーミング配信ですか。
今ならTwitchやYoutube Liveに相当するライブ配信サービスを使えば
ある程度の回線とある程度のスペックのPCがあれば誰でも簡単に始められる
非常にお手軽お手頃な印象があるソレですが、当時のPCと回線で

いや、話が進まねぇなぁ!!!

すいません取り乱しました。

ストリーミング配信には多少の思い入れ(詳細後述、自身の大会の運営など)がありまして熱くなってしまったんですが、あまりの話の進行の遅さにイラだちを隠せませんでした。

ええと、兎に角ストリーミングの配信で、まだまだ発展途上な業界でありながらも、非常に立派なeSportsの大会に触れたんです。

ストリーミング配信の解像度は640×480だったでしょうか。
もしかしたら480×320くらいだったかもしれません。
今の時代で言うと糞画質と呼ばれるような画質だったかもしれません。
しかし画質なんて関係ありません。
当時の私にとってその映像はシンプルに衝撃でした。
いや、衝撃なんて言う言葉では言い表せないですね。

今までただ娯楽のためにプレイしてきたFPSが
新しい次元に突入したといっても過言じゃないのです。
だって遊びでしかなかったゲームが
対面、オフラインで
声を張り上げながら
高額な賞金、賞品をかけて
さもスポーツの試合のように戦っている姿は
新しい文化であり
新しい概念であり
新しいヒーローが自分の中で生まれた瞬間です。
また1人の、1チームのただの上手なゲームプレイヤーが、
プロフェッショナルなeSports選手という認識に書き換わった瞬間でもあります。
語彙が無くて、国語力も不足しているのでその感動を書き表す力が足りないことが不甲斐ないんですが、兎に角凄かったんです(説明放棄)

negitaku.orgのYossyさんがeSports元年という単語をちょいちょい引っ張っていますが、私にとってのeSports元年は2002年のこの瞬間だった
と思う次第です。
YouTubeで当時のストリーミングの映像があればいいんですが…残念ながらデータは見つかりませんでした。
犬飼さんにお願いすればワンチャンス頂ける可能性はありますが…また機会があればお願いしてみようと思います。

9.CounterStrike1.6の衝撃
CPLでストリーミング配信されていたのは皆さんご存じ老人FPSゲーマー御用達CounterStrike1.6という
今も昔も超人気最新のタクティカルFPSです。

当時の自分はRtCW(Return to Castle Wolfenstein)こそ至高のFPSであり、
それ以外のFPSをプレイすることは異教徒であり異端であるという極端な認識によっておりましたので、ストリーミングの画面に映るRtCW以外のFPSに対する精神的な障壁は結構高かったんです。
なんやRtCWちゃうやんかと

え?なに?1回死んだら終わり?1lifeモードみたいなもん?
は?お金を貯める?RPGかな?
え?武器買わなきゃいけないの?弾まで買う!?正気か??
なんですかねエコラウンドって。
えっ?!メディックもエンジニアも居ないの?
弾が壁が抜けておる…壁が抜けておるよこのゲーム…
バグっておりますよ…
グレ弱っ!直撃でも死なないの?

何かスゲェ声張り上げてやってるんですけど。
なんかスポーツみたいですねコレ。
これ優勝したらどうなんの?
えっ…世界大会いけるの?タダで?賞金も賞品もあんの?
スゲェ…ヤベェ…
この人たち自分と同じFPSやってるとは思えないんですが?

最終的には結果的には
CounterStrikeスゲェ。
かっけぇ。
難しそうだけどやってみてぇ。

そんな風に思うようになりました。


9.Four Dimension

私にとってのeSports元年である2002年の冬から少し経って、2003年の夏。
CounterStrike1.6に興味はあれど、プレイするには勇気も気力も不足しており、まだまだ古巣であるReturn to Castle Wolfensteinをプレイしていた頃のお話です。
当時所属していたクラン”Nihon Eiseihei Kyoukai”略してNEK
なんか月額で視聴料がとられそうなクランに所属していましたが、そのクランメンバーから「またCPLあるけど見に行く?」と聞いてきまして。
なんでもRtCWプレイヤーが数名ボランティアでCPLの運営お手伝いをやってるそうで。良かったら見に来たらどうかと。

当時、愛知の豊橋という場所に住んでいる大学生でして私。
まぁ大学生だからお金なんて無いですよね。貧乏学生ですわ。
月々の仕送りをパチスロに溶かす毎日で全然余裕が無い生活を送っておりましたので、お金無いのに、CPL会場の東京(蒲田LedZone)まで行くのもなぁ…
どうすんべかなぁ。
CounterStrikeもやったことないし、、、
やったことないゲーム見て面白いんすかね?

いや、まぁ話のネタにはなるか!

という事で、夜行バスに乗って東京へ行くことにしました。
今思えば英断ですわ。
こんな薄い理由でパチスロに溶けるはずだった大事な数万円を、東京までの交通費宿泊費使うなんて大英断。偉い。2003年の自分を褒めてあげたい。

で、東京まで行きました。
お金無いから夜行バスですね。
朝5時とかに着いちゃう。
会場オープンまで超暇なアレです。
地方の学生が首都圏のライブ会場に行く時に味わうアレです。

折角なんで、ずっと脇道にそれておきましょうか。
そう簡単に4dNとの邂逅を書いちゃってもアレですし。

画像1

で、会場の蒲田のLedZoneに着いたんですが、当然空いてないんですよね。朝5時だし。そらそうよ。
でも中では会場の設営やリハーサルなどをやってたみたいで。中にいる知り合いに連絡して入れてもらい、設営のお手伝いなどを対応させて頂きました。
これがきっかけで、趣味・特技欄に「eSports会場の設営手伝い」ってかけるレベルで毎大会お手伝いさせて頂くようになりましたね。

お手伝い完了してもまだ会場オープンまでに時間が余ってしまいどうしたものかと途方に暮れてたんですが、丁度いいことに蒲田LedZoneの上の階にネカフェがありまして。
ネカフェで時間潰そうと。お金ないけど。
たしか”あづみ”を読んでましたね。お金ないけど。
いや、お金無かったらあづみ読む資格なんて無いですよね。
でも読んでました。読んでしまいました。
あづみ、面白いですよね?
すいません、脇道とはいえあづみは関係なさ過ぎました。

画像2

ほどほどに良い時間まで時間潰して会場オープンまで並んだんです。
一人で並んでるから暇でして。暇の極致を通り越してしまい、無駄なコミュ力を発揮して後ろの2人組に話しかけたんです。旅の恥はかき捨てとも言いますしね?
で、そのお二人と色々とお話していまして
この話しかけた2人がCounterStrike1.6における強豪クラン1'sNのリーダーKyodogさんとP.のFunkさん。Kyodogさんにはその後も末永く色々とお世話になりまして本当に。この時話しかけてなかったら、この繋がりは無かったですね。そういえば、この時におっさんずVALOで一緒になるbart^さんとも会ってますね。
人生での人の繋がりって本当に何があるか分からないです。
だから若者は色んな人と会いましょうね。
会って話しましょう。
その人があなたの運命を変えるような人かもしれませんよ?

すいません、巧い事カッコいい感じにしたかったんですがイマイチですね。

さて、そろそろ私の運命を変えてくれた4dimensioNの皆様との出会いです。
(以下何度となく出てくる4imensioNは4dNと略させて頂きます)

画像3

一番手前がenzaさんです。
糞みたいな画質ですいません本当に。
2004年当時の携帯に載ってるカメラの画質って本当に悪くて。
全然上手に撮れなくて困っていました。
この携帯の画質がめちゃくちゃ悪いという事が、私の今の仕事と就職先に影響を与える事にもなります(某メーカーでカメラ関係の研究)。
いや凄いですねeSports!就職まであっせんしてくれました。

すいません、また脇道に…
4dNの皆様のお話なのに。本当に申し訳ないです。
話を戻しましょう。

CounterStrike未プレイなのに、
いや、未プレイだからこそでしょうか。
白熱した空気の中でプレイする4dNの選手の皆様が本当に凄くて、格好良くて。

野球少年がプロ野球選手にあこがれるように、末端のFPSプレイヤーである私はこの時、4dNに魅了されたんです。
これ、たぶん「日本で最古のeSportsファンボ誕生の瞬間」だったと思うんですよ。(※日本人eSportsプレイヤーに対する)

中途半端ですが、今日はここまで!(2022/5/13)


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