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異人たちと父の肖像

ちょっと前に『異人たち(all of us strangers)』を見た。山田太一の小説『偉人たちとの夏』をコンテクストをロンドンのクィアに変更して描かれた物語だった。

主人公は両親を幼少期に亡くしたシングルのゲイで物語は同じアパートのゲイの住人が酔っ払った勢いで絡んでくるところから始まる。そのうちその男と付き合い始めるが、両親の幻影が見え始めそれを不審に思ったパートナーの男が真相を確かめるといったストーリーだった。

物語全体にLGBTQであることの悲哀に両親がいない孤独を混ぜ込みつつ、ノスタルジックに描いていてとても雰囲気が良かった。

その中の主人公が幻影を見る描写に自分の経験が重なった。この物語の中で主人公はカミングアウトできずに両親を亡くしていた。その両親がある日実家に帰った時にそこにいたのである。そうして失われた家族との団欒を回復するように主人公がその幻影にのめり込んでいく姿が描かれていた。また、カミングアウトできなかった背景からか自分の妄想の中で両親に自分のセクシャリティについて理解してもらおうと努力する姿があった。

幻影の両親は理解はあるものの多分異性愛規範で生きてきた人たちであり、そこには勿論コミュニケーションの齟齬があった。生きている時にしっかりと対話できず彼にとっての両親はイメージの存在でしかないからか彼らは古い時間を生きていた。そして主人公はカミングアウトをしたときの姿を頭の中で想像し、彼らの反応をイメージするしかなかったのが非常に心を抉られた。

かく言う自分も父親をカミングアウトすることなく病気で亡くしていたため、未だに過去の幻影に縛られている気がしている。闘病生活中何度も父親から誰かいい人はいないのか?と聞かれた。その度にいないと答えたけれど、その度嘘をつく罪悪感に駆られていた。そして徐々に父の余命が少なくなっていく状態で、この嘘は墓場まで持っていかねばならないという信念が自分の中に巣食うのを感じた。

この主人公は両親を事故で亡くしたが、言えなかった後悔という点で自分と同じだと思ったのだった。

今でも自分が父親にもしカミングアウトしたらどうなっていたかと夢想することがある。多分優しい人だったから受け入れてくれた気がする。でもちょっと古き良き日本気質なところもあったから変に誤解されてたかもしれない。ちょっとヤキモキするが多分概ね優しかっただろう。そんな風に無意味な空想に浸ることがたまにある。それは甘美でほろ苦い優しい空想だ。

この『異人たち』も主人公のそんな優しい夢想が描かれている。同じアパートの住人だった恋人も今は時代が変わって生きやすくなったと言っているし、両親も自分のセクシャリティに理解を示してくれた。そんな素晴らしい世界を主人公は夢想している。

しかし、そんな甘い夢から覚めて、急に一人で立ちすくみ現実を見ていかないといけなくなった主人公に自分の冷たい現在地を感じてしまった。


果たして今は亡き父はどんなふうに自分を見ているのだろうか。

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