車と悼む
先日、10年乗った車を手放した。
ペーパードライバーな母一人の実家で使うこともないからまだ自分の方が使うだろうという判断で引き取ったものであったが、結果自分も全く使わず、ついに母親に話を押し切られ手放した形になった。
全然使うこともないので動かそうとするたびにバッテリーが上がり、JAFのお世話になっていて申し訳ないと思いながら何度もJAFを呼んだのを思い出す。
話は変わるがこんまり先生の「人生がときめく片づけの魔法」で色んなものの捨て方を説明している中で、"思い出の品"という項目が別立てで設定されている。曰く、"思い出の品"は過去と向き合わないといけないので一番かたづけが難しいため一番最後に回すべしとのこと。
自分にとって、今回手放した車がその"思い出の品"であった。その車に出会ったのは自分が大学生二年生の時、免許を取ったので家でも車に乗るかもしれないと父親と相談し、それまでよりも1つ小さいサイズの車に買い替えた。その時期は実家暮らしでありその車で日々買い物にいったり、家族旅行にいったり家族のイベントでよく使っていた。そのうち自分が就職で地方に移り、見る頻度は少なくなくなったもののそれでも帰省のたびに家の前のその車を見ると帰ってきたなと思える、そんな安心感の塊であった。
5年前に父が他界したときもその車で病院と自宅を往復し、葬儀を行った。その後に実家で使う人もいなくなり自分が引き取り使用頻度は少なかったがそこそこ一人旅のお供にし、先日手放すまでに至ったのである。
20代の自分と父親との歴史をすべて見てきた車であった。平和な家族団らんも、地方で一人で生きようと思ったときも、父親の手術で毎週帰省して精神的にも肉体的にも疲弊しているときも、父親の喪に服していた日々も、父が不在の母親との微妙な関係も全部車が見てきたように思えた。
しばしばバッテリーを上げてしまい、JAFのおじさまには呆れられ、母親からは早く売れと急かされ、職場でそれを笑い話にして「売ったほうがいいよ!」と言われることも多かったが、自分と父親との繋がりを断ってしまうような気がしてどうしても手放すことができなかった。
むしろ周りから「売ったほうがいいよ」と言われるたびに、何も知らないくせにと(話してないので知りようもない笑)意固地になっていた気がした。
多分人間だれしも人には言わない大切な"思い出の品"があると思う。自分にとってその車が父親との繋がりで、車を通じて亡き父を悼んでいたように。
今回手放してみて、たまたま少し前に読んでいた「かたづけの魔法」の"思い出の品"の話を思い出した。
結局のところ、思い出の品もときめくかどうか。ときめかなくなったらそれはお役目が終わったということ。お役目が終わったことに感謝をしましょう。
自分にとって車は、ときめきでも何でもなかったしこの言葉には全く賛同できなかったが、いつまでも持っていては前に進むこともできなかったのでお役目が終わったということなのだろうか。
未消化な思いは募るが、いつかこの感情も整理することができると信じることにする。
この記事を投稿しようとして、たまたま父の日が近いことを知ってまた少し父との繋がりを感じた。
なお、部屋のかたづけについては、特に思い出もなのに一向に進んでない。こんまり先生ごめんなさい。