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第四章 日向市/油津 堀川運河/天満橋/都城シンボルロード

宮崎県/日向市/日南市

04_01_日向表紙

概要 
塩見橋と日向市駅(2000)年
日南市油津堀川運河(2002)年
宮崎天満橋(2004)年
都城シンボルロード(2007)年

 塩見橋と日向市の仕事は、日豊本線の連立事業と共に実施された駅周辺の区画整理による街路整備と交流広場の設置をする事業である。日南市の堀川運河の事業は、宮崎県が事業主体で歴史的な護岸の復原と同時に行われた遊歩道と広場(夢広場)の整備であった。いずれも篠原監修の元に南雲・小野寺コンビのデザインをヨシモトポールが製作、実現させたものである。宮崎市の大淀川にかけた天満橋は、橋の基本設計を篠原が監修し、橋の高欄、親柱を南雲がデザインしてヨシモトポールが製作を担当した。宮崎県の都城のシンボルロードには篠原は関与せず、南雲が宮崎県の依頼で照明や歩道のデザインをおこなった事業である。 
 今回ここに一括して話すことにした宮崎県内の事業は、南雲・小野寺・ヨシモトポールと篠原のチームがその本領を発揮した仕事群である。

開催日 2012年2月5日(火)
ファシリテーター 篠原  修


参加者                               小野寺康 小野寺康都市設計事務所                             南雲勝志 ナグモデザイン事務所                                                           海野洋光 海野建設                             浅山茂樹 伊藤鉄工                         森田実 ヨシモトポール                                                          
北村仁司 ヨシモトポール                      推名享  ヨシモトポール 

仕事のきっかけ

篠原 :今日は話題が盛り沢山で、同じ宮崎県内だからまとめて話そうと思います。時期は違いますが、事業は日向市駅周辺、油津堀川運河事業、宮崎市内天満橋と都城(みやこのじょう)蔵原通線事業です。デザインは南雲勝志、製造はヨシモトポール、伊藤鉄工です。これは画期的なことだと思いますけど、地元の木材を使おうということになりましたので、当時の木青会・日向木の芽会代表の、海野洋光さんに宮崎県から来て頂きました。ありがとうございます。それでは年代順にいきましょうか、ことは日向市の事業から始まったのでその話からにしましょう。私は都市計画家の佐々木政雄さん(*1)から、平成10年に日向市の事業を手伝いませんかと誘われました。確か県の職員の研修の候補地に選ばれたので小野寺さんが見にいって、油津はポテンシャルの高い所だということがわかり、事業は平成一三、一四年に始まりました。ですから順番で言うと、日向市、油津堀川運河です。いずれも直接的な仕事としては宮崎県でしたけど、日向市駅の照明柱や防護柵、ボラードやベンチの話は日向市の仕事です。油津堀川運河事業の照明柱や防護柵は宮崎県の仕事ですね。宮崎県は杉の出荷量が全国一位ということもあって、宮崎県の方から、ぜひ地場産の杉材を使ってくれないかって話になりました。当初、宮崎県の杉材は軟くて構造材としては不安なので、米松とサンドイッチにして構造材として日向市駅に使おうという話になっていて、ちょっと遅れて照明柱や防護柵、ボラードの話が始まったんじゃないかと思います。日向市駅の設計の担当は内藤廣さん(*2)でした。南雲さんは、日向市の事業にいつから関わっていたのかな?


*1 佐々木政雄
都市計画家。株式会社アトリエ74建築都市計画研究所。

*2 内藤廣
日本の建築家。(株)内藤廣建築設計事務所代表。東京大学名誉教授。


南雲 :僕が一番最初に日向市に行ったのは、平成11年5月です。中心市街地の整備や高架の話が控えていましたが、その前に塩見橋を製作していたんです。
篠原 :じゃあ割と早く行っていたんだ。僕は駅と駅前広場の全体の仕事を頼まれていたんだけど、宮崎県の人は僕に対しては、塩見橋の事業をずっと隠していた。でも仕事は動いていたんだよね。
南雲 :当時、塩見橋の親柱が「ひょっとこ」の形をしていて、そこを通ると篠原先生に何を言われるかわからないから、県の中村さんは、ずっと迂回して篠原先生に見せないようにしていました。
篠原 :新しい塩見橋は、基礎がすでに出来ていて、橋面しかデザイン出来ないので、高欄の手摺りと照明柱と親柱と橋詰広場(*5)しかなかったと思うけど。だから南雲さんが日向土木を手伝っていることを知らなかったんだよね。僕に隠していたんだね。(笑)
南雲 :橋の完成が2000年1月でした。21世紀最初の橋にしようと言って、1年間近くかけて翌年の正月に出来たんですよ。
篠原 :じゃあ、1年はかからなかったんだ。そのときは海野さんとはもう付き合ってた?
南雲 :そのときに、照明柱と高欄の手摺りのデザインをしていて、材料に木材を使ってくれって言われて、最初は高欄の手摺りに使ってみようかということになりました。


*5 橋詰広場
橋のたもとにあるオープンスペース。

04_02_塩見橋

塩見橋

篠原 :そのとき海野さんはどういう立場だったの?
海野 :木の芽会の会長である岸本さんを補佐する役目だったんです。副会長の立場でしたね。あのときは、岸本さんが塩見橋で手摺りに木材を使うって話を決めてきてしまって、木の芽は喧々諤々でした。
南雲 :木の芽会が町の子供たち向けに、木工教室などを企画しているのを見ているので、ぜひ彼らを巻き込もうということになったんです。
篠原 :じゃあ僕は知らなかったけど、課外授業よりも前から、木の芽会はそういうことを経験していたんだね。
海野 :はい。今でも、イベントのときに木工教室を開いたり、手づくりのまな板を売ったりしています。
南雲 :それで木材ワーキングという形で、木の芽会にも入ってもらったんです。メンバー構成は日向市、土木事務所、木の芽会、ヨシモトポールと僕。あと石材業者もいたと思います。十街区は市道だったので、県と市が足並みを揃えてつくろうということになり、塩見橋につける照明柱とボラードは、日向市駅と同じものがいいんじゃないかという話になりました。市と県が一緒になったもう一つの理由は、市は資金があまりなくて県はそこそこある。そこで同じ仕様にしておくと、鋳鉄の型代を県が出して、市は型代無しでつくれるので、連携することにメリットがありました。橋詰広場にも照明柱やボラードはつけていましたので。
篠原 :高欄の手摺りだけじゃなくて、照明柱とボラードも一緒につくろうとしていたの?
南雲 :十街区と塩見橋の橋詰広場があって、そこでまず杉が使えるかどうかチャレンジしようと思ったんです。杉をメインで使うことは、あの頃決まっていませんでした。決まったのはずっと後ですよ。

04_04_橋詰広場から臨む塩見橋

橋詰広場から望む塩見橋

04_05_トータルデザインされた広場

地場産の杉を使ってトータルデザインされた広場

木材の選定

南雲 :それで、木の芽会に木材ワーキングで木材の提案をしてもらいました。杉はやっぱり弱いので、候補は栗とか、檜、ブナだったと思います。
篠原 :そういう風に4~5種類くらい考えていたの?
南雲 :誰も経験したことがなかったから、どの木材がいいんだろうって感じでしたね。塩見橋の高欄の手摺りは最初はブナでつくりましたが、上手くいきませんでした。
海野 :最初にブナを選んだのは、手摺りのスパンが2m以上あり、変形が大きくなるので、固い材がいいんじゃないかと考えたからです。ヤング係数(*7)が120,000㎏/㎟のものを選んで使いました。でも、一年か二年くらいで腐り始めてとても使えず、最終的にはキノコまで生えてきたんです。
篠原 :原因はなんだったの?
海野 :これは本当に自分たちの失敗なんですけど、専門家と言いながらも、加工した木材を屋外に使った経験のある専門家がいませんでした。屋外に使う木材の強度の話をしても、耐久性については、木材屋さんもわかってなかったんです。とんでもないことをしてくれたなっていうのが木青会の反応でした。
篠原 :屋外で木材を使うってことを経験した人間がいなかったんだね。
南雲 :公共の屋外に木材を使おうとする人はなかなかいませんね。
篠原 :ここは重要なポイントなんですけど、その時点で、屋外の製品に木材を使うことについて、メンテナンスはどう考ていたの?

 
*7 ヤング係数
均等に軸圧縮力を加えると、軸圧縮力に比例した縦ひずみを生じる。この比例定数。すなわち圧縮力のそれに応じた縦ひずみに対する比をいう。

04_06_照明柱の木材候補

照明柱の木材の候補

海野 :手摺りのときから話をしていたのは、市民にメンテナンスと、イベント的な部分も含めて施工もしてもらおうという計画でした。それで私たちが、材料をつくるのを引き受けた経緯があります。
篠原 :引き受けるってのは取りまとめ役で?
海野 :そうです。
篠原 :メンテナンス計画は全然なかったの? 一年経ってダメになって、取り替えるときはどうしたの?
海野 :「これは大変だ」ということになり、とにかく材をもたせるために1年に一回のメンテナンスをし始めました。
南雲 :最初は腐った分だけを1本、2本交換していたんですよね。そしたらどんどん傷んでいって、全部交換しないとダメだということになってしまいました。
海野 :「3年位経ったら木材を交換しないとダメですよ」と、中村さんと井上さんにお話をしました。それから時間は経過するんですけど、日向市と日向市の土木事務所と私たちの中で、木材を入れ替えるワーキングを始めました。ところが専門の人間がいないので答えが出ませんでした。
篠原 :ワーキングは一年経った時点で始めたの?
海野 :1年、2年経った時点で、僕たちからの提案で始めたんです。ただ、ワーキングに対しての予算を一切組んでなくて、毎回ただの話し合いで終わって成果が出ない状況が続いたんですが、それじゃいけないってことで井上さんがコンサルタントの人を一人入れて、ワーキングをしっかりしたものにしてから、県の予算をつけて一冊のガイドブックをつくりあげる目的で進めました。
篠原 :そのガイドブックは残っているの?
海野 :ホームページでダウンロードが出来る様にしています。

04_07_木材ワークショップ

県、市、メーカー、デザイナーによる木材ワークショップ


木材のメンテナンスについて

篠原: ワーキングを発足したのはいいんだけど、実際に入れ替えやメンテナンスをする費用はどう考えたの?
海野 :もう腐ってしまっているんで、メンテナンスではなく、すべて杉で修繕しました。
費用は土木事務所から出してもらいました。
篠原 :県が費用を出したの? よく出せたね。最初の契約のとき、建設会社とどういう契約をしていたんだろうね。
南雲 :最初はちゃんと考えてなかったんですよ。県も、経験なく木材を使って欲しいってお願いしたものだから、修繕することになって初めて、どうするか悩んで予算もつけてくれました。一緒になって悩んでつくっていこうという感じでした。
海野 :ヨシモトポールさんには、高欄の支柱から支柱までの距離があるので、真ん中に手摺を支えられるような受け金具をボルト留めでつくって頂きました。それで初めて杉材が使えるようになったんです。
篠原 :あとから、手摺りの留め具の距離を短くするように受け金具をつけたんだね。
南雲 :ヨシモトポールが鋼材、木青会は木材で、木材と鋼材がジョイントしている構造なので、最初は、お互いになかなか難しかったですよ。海野さんは「鋼材は硬いけど木材は軟らかいんだ! そういうときは木材を優先するのが当然でしょ!」っていきなり怒りだしてね。(笑)

04_08_DSC00084編集済

手摺を中央で支える受け金具

篠原 :手摺りのときから?
南雲 :そうそう最初のときにね。黒板にスケッチ描き合ってね。(笑)
篠原 :2、3年経って、杉材に入れ替るときに防腐処理をしたの?
南雲 :モックル処理(*8)をしました。
海野 :それまでのブナ材は、防腐処理をしていません。
篠原 :そうすると防腐処理をしたのは平成一四年くらいなの?
海野 :平成13、14年ですね。今日持ってきた杉材は、ヨシモトポールさんがつくった天満橋の橋詰広場に建っている、パーゴラの屋根にしていた杉材です。10年経つとこんな色になりますが、鉋(かんな)で削ると、きれいになります。
南雲 :パーゴラも全部鉋かけたの?
海野 :かけました。表面を薄く削る程度です。
篠原 :木材の素材自体は傷んでないってことですね。
海野 :まあ表面は傷むんですけどね。
南雲 :痛むって言うけど、木材だからね。経年変化ですよね。
篠原 :木材を使えるかどうかって話は、メンテナンスシステムが出来ているかどうかによるので、システムが出来てないと、木材が使えなくなっちゃう訳だよね。市は本当にメンテナンス費用で出せるの?

*8 モックル処理
木材に対して防腐性能、防蟻性能、寸法安定性能、耐候性機能を付与する技術。

海野 :私たちは、モックル処理に10年保証をしているんですよ。10年経ったら保証が切れますから、9年目にチェックしませんかと提案をして、去年、全部解体して削らせてもらったんです。そのとき「もし腐ってれば取り替えます」と伝えましたが、10年は大丈夫だと思っています。やっぱり、モックル処理はすごいです。
南雲 :モックル処理って何がきっかけで使うことになったんだっけ?
推名 :ヨシモトポールで実績があったので「こういう処理が出来ますよ」というお話はしました。
南雲 :福井県で勝山橋の高欄をつくったときに、地元の防腐処理のメーカーが出てきて、このメーカーを使わなきゃいけないとなったことがありました。
推名 :そのメーカーの製品は表面しか樹脂が入ってないので、すぐに水ぶくれが出て表面が剥がれてきました。

04_09_日向市駅前広場の木製ベンチ

日向駅前広場の木製ベンチ

ボラードについて

南雲 :ボラードにも、木材を使うことを単純に考えると、丸太を四等分にした物を付ければいいかなって思ったんですが、中に水が入るんですね。それで、ボラードの下に雨が溜まらないように、鋳鉄に水勾配をつけました。木材と鋼材の嵌合(かんごう)方法を試行錯誤していました。
篠原 :ボラードの芯ポールは鋳鉄なんだ?
南雲 :最初はアルミ鋳物でつくっていたんですが、車がぶつかって本体が折れてしまったので鋳鉄に変更しました。
篠原 :アルミ鋳物ってそんなに弱い?
浅山 :鋳鉄と同じ肉厚だったら三分の一程度の強度しかありません。
推名 :それに、ボラードの設計荷重は人が押す程度の力を想定しています。車がぶつかったときの荷重は想定してないんです。
南雲 :ボラードに車がぶつかって折れるのは、ある程度仕方がないと思うんですけど、折れないようにして欲しいという要望があったので鋳鉄に変更しました。
海野 :僕は南雲さんに、地元の木材屋さん、製材屋さん、木工屋さんにも製作が出来るようにお願いをしました。ボラードは、木材を全部同じ位の厚さにして、自動鉋で平行に削れるようにしています。
篠原 :じゃあ、木材の部分の製材については、やりやすい様に考えたのは海野さん?
海野 :つくりやすい仕組みに関しては考えました。            南雲 :東京の木場あたりのスペシャルな技術を使えば、つくりやすい仕組みに関して悩まなくて済むんだけど、それだと日向市発じゃなくなってしまいます。

04_10_日向向ボラードのスケッチ

ボラードのスケッチ

画像10

ボラードの制作風景

照明柱の工夫

篠原 :照明柱の木材は、同じ厚みで全体にテーパーがついているね。
海野 :通常の大工さんが使える丸鋸で、製作が出来るようにしました。
南雲 :最初は節がないんだけど、テーパーをつけるために表面を削っていくと節がいっぱい出てくるんですよね。
海野 :木材は節を巻いて育っていきますので、中に節が入っています。私たちは無節で買うんですけど、枝打ちをしたあとの節は中に残ってしまう。
篠原 :防腐処理は全部同じ?
南雲 :いや、防腐処理をしないものもありました。
海野 :十街区では、樹種は檜と杉を使い、モックル処理をしたものと、していないものを各二本で全部で四本使いました。栗はタンニンがものすごく茶色くて一見すると錆に見えるので、試験段階で候補から外しました。
篠原 :木材について言うと、塩見橋で高欄の手摺りをつくって、十街区で照明柱やボラードをつくって、屋外に木材を使えると確信したのはいつくらい?
海野 :去年、10年経った木材の表面を削ったのを見てからですね。
篠原 :金属と木材のコンビネーションが、メーカー間の信頼関係も含めて落ち着いたと思ったのはどのくらい? 平成11年から初めて、4、5年後か?
海野 :そうですね。                         推名 :照明柱で気になっていたのは、芯ポールと木材が、上と下でしか留めてないことによって、木材の変形が大きいんじゃないかと心配していました。当初は照明柱の上と下以外に真ん中もボルトで留めようと思ったんですよ。でも、南雲さんにダメだって言われて。
南雲 :そういう安易な解決は、技術をダメにするんですよ。(笑)
篠原 :だけど、図面で見ると照明柱の木材の部分は2.6mもあるんだよね。
推名 :だから南雲さんに、真ん中も留めないとダメですよと相談をしているときに、海野さんから「とび口」のアイデアが出てきました。
南雲 :デザイン的な感覚で、中心を外側からボルトで留めたくないと言ったら、海野さんは、内部から留められる「とび口」を付ければ絶対に変形しないって、太鼓判を押してくれて、とび口を採用した頃から仕様が固まってきました。杉もモックル処理をしてノンロット二回塗りとかね。最終的に仕様が決まったのは、広場が出来てからです。
篠原 :メンテナンス費用を見込んでいるなど、話を聞いていると日向土木と市は偉かったんだね。
小野寺 :そうですよね。役所としては、車がぶつかってしまってから修繕費用を検討するのはわかるけど、木がたんに脆くなっただけでぶつかってもいないのに費用を捻出するのはとても難しいことですよね。
篠原 :そういえば、開発費用はどうしたの?新しいことをしたわけだから、開発に費用がかかるよね。それは木の芽会とヨシモトポールの持ち出し?
海野 :木の芽会は結構費用を出しましたね。なんでかというと、こういうことを今まで木材屋さんもやらなかったし、新しい需要が絶対生まれると思っていました。僕も含めて皆さん先行投資と思ってましたね。
南雲: ある意味革命だと思いますよ。
小野寺 :要するに、のちの東口広場は、設計業務がちゃんと発注されてその費用も出ましたけど、十街区のときは設計業務無しですから、普通のやり方じゃなかったということだよね。
南雲 :県は開発費としては出さなかったですね。
海野 :嬉しかったのは、日向市が社会実験として対応してくれたことです。
篠原 :社会実験の一部なの?
海野 :モックル処理をしている木材もあればしていないものもあり、檜とも比較しているんです。
篠原 :ヨシモトポールも先行投資?
北村:はい、今回に限らず南雲さんとの仕事では試作品をつくっています。難しいものは試作品をつくらないと何が起きるかわからないからですね。
篠原 :ヨシモトポールとしては抵抗はなかったの?
推名 :なかったですね。でも、開発の期間は結構長かったですよね。
篠原 :駅舎の方は、県が木材試験場をつくったりして、相当費用を出していたはずだけど、市は、あまり面倒を見ていないんだね。

04_12_芯ポールと木材の接合部分

芯ポールと木材の接合部分(とび口)

04_13_組立ての様子1

04_14_組立ての様子2

とび口の仕様を確認するための組立ての様子

南雲 :僕は、ヨシモトポールが木材を使うのが初めてだったので「今までとこれは違うな」って思った部分をちょっと語ってもらうといいかなと思います。
推名 :鋼材と違って木材は、時間が経つとどう変化するかわからないですよね、そこが一番難しかったですね。
南雲 :ヨシモトポールが普段していることは、構造的に全部計算が出来て、裏付けがあるわけだもんね。
海野 :木材は、腐る腐らないの前に木が変形するかしないかの問題があります。一本の木を二つに割るのは、元々同じ木ですから同じように変形するんです。違う木同士を合わせようとすると、上手くいかない。
篠原 :だけど木って陽が当たる側、当たらない側があるでしょ? それでも同じように変形する?
海野 :一本の木であれば、同じように変形します。
篠原 :9年経って木材を削ったときの気持ちはどうでしたか?
海野 :いやー嬉しかったですね、今こうやって残っているわけですから。10年残るかどうかって心配だったんですよ。
篠原 :鉋をかけると何㎜くらい減るの?
海野 :劣化している部分もありますから、ものにもよると思います。表面は劣化というよりも紫外線の日焼けですね。
篠原 :それは心強いデータだね。
海野 :このデータが欲しかったので、何本か入れ替えさせてもらいました。ボラードも150基くらい鉋をかけましたが、すべて大丈夫でした。
南雲: モックル処理が安全だというエピソードですが、橋詰広場の照明柱のキツツキが突いた穴見ましたっけ? もしモックル処理に毒性があったら、突いた時点で死んでると思います。支柱の中が鋼管だから、キツツキもこりゃダメだって途中であきらめるんですが。(笑)
海野 :最初に穴を見たときは、誰かが悪戯したんだと思ったんですよ。でも、見ていたら一生懸命キツツキが突いているんです。
篠原 :モックル処理の安全性が確認されたことは、大きな実績だよ。
広場の施設から、ベンチ、照明柱、手摺りまで全部つくれることをどうにかPRしたいね。コストは本当にやる気のある人だけに見せてさ。屋外で木材を、特に国産材を使うなんてとんでもないというのが常識だったから、これは画期的なことだよね。

04_15_日向全景

日向全景

油津堀川運河

篠原 :油津堀川運河事業(以降、油津事業)は大きく分けて照明柱、防護柵とウッドデッキですね。じゃあ、照明柱から話を始めましょうか。南雲さんが佐々木さんから「もうちょっと港らしいのにしてよ」って言われて、今の形になっているんだけど、油津事業の照明柱はレトロポールの後継?
南雲 :そうですね、港風情のイメージなので「灯具を吊るデザインはレトロポールと同じにしたいな」と佐々木さんが言ったのだと思います。
小野寺 :最初は日向市の照明柱みたいなデザインだったんですよ。南雲さんと「このデザインじゃ港風情がないから、やっぱりレトロポールに近い形がいいね」ということになり、油津事業のデザインは今の形になりました。
南雲: レトロポールはコンクリートを使ったんですが、油津事業では鋼材を使おうと思ったんですね。鋼材にすることで、プロポーションも細く出来る。照明柱は、港風情を感じる灯具デザインにして、支柱は防護柵とセットで全部鋼材を使おうという思いがあったんです。レトロポールに似ているって言えば似ていますけど、だいぶ小さいですし、印象としてはかなりキリっと見せています。
小野寺 :南雲さんが、灯具はレトロポールと違うデザインにしようって考えて、始めは上の尖がりがなかった。工場に行って確認しているなかでやっぱり付けるかという話になって、付けたんです。             南雲 :そうだったね。袴部分のデザインとかは悩みましたけど、シンプルだけど味がある細々したディテールで、さりげないデザインにしたかったんです。
篠原: 照明柱と防護柵を一緒につくるのは境川事業で経験していたから、そういう意味ではヨシモトポールと伊藤鉄工はそんなに苦労しなかった?
浅山 :そうですね。でもここは年に3、4回浸水するという話を聞いて気になりました。
篠原 :足元にフットライトが付いていたね。あれは浸かるんだよな。
南雲 :山田照明が防水性をとことん追及した結果、すごく凝ったディテールのフットライトを提案してきたんです。潜水艦みたいな形をしていて、何があっても大丈夫みたいな灯具でしたね。

04_16_油津灯具

油津堀川運河の灯具デザイン

浅山 :鋳鉄のカバーの中に防水の懐中電灯みたいな灯具が入ってましたね。
南雲 :完成度が高かったな。二度と見られることはないですけど、かなり格好良いんですよ。
篠原 :フットライトのデザインは苦労しなかったの?
南雲 :石との収まりを苦労しました。フットライトの発光面を石より凹ましてツバを付けました。
篠原 :じゃあ、技術的に大変だったんだ? 山田照明が頑張ったんだね?
南雲 :当時、まだLEDはあまり使われてなかったんですが、完全密閉だったので、LEDじゃないと熱の問題がクリア出来なかったんです。
篠原 :フットライトを入れたいと言うのはこちらの提案?
南雲 :はい。照明柱と照明柱の間にポッと光る、小さなフットライトを提案しました。
小野寺 :水辺に賑わいを出すには、照明柱の上からの光だけだと味気ないので、上と下で立体感を出しましょうという話になりました。
篠原 :こちら側の提案だとすれば、県がよくOKしたよね。
南雲 :金額は増えましたが、役所は快く認めてくれました。ただ「完全に水に浸かるってことだけは、考慮してくださいよ」って言われました。
篠原 :だけど、その頃はバブルが弾けたあとで予算は無かったわけでしょう?
小野寺 :実は飫肥石(おびいし)がすごく高いんですよね、飫肥石が高いのは突っこまれましたけど、たぶんフットライトの値段は、それと比較して、誰も文句を言わなかったかもしれないですね。

04_17_浸水した堀川運河

浸水した堀川運河

04_18_油津フットライト1

ツバが付き、運河側の景観に配慮されている

04_19_油津フットライト2

施工用ハンドルが付いたLED照明                  (施工が終わったら、ハンドルは取り外す)

南雲 :護岸は飫肥石の石積みで、それに対して鋳鉄のフットライトを埋め込むというシンプルなコンセプトだったから、他にやりようがないという言い方をしていたかもしれないね。そういえばこの運河は、船を係船するので防護柵の横桟を取り外せる仕組みが必要で、外せるところがわかりやすいように黄色にしました。この防護柵はヒューマニックランドスケープ(*10)の既製品を使っています。

*10 ヒューマニックランドスケープ
伊藤鉄工の標準品

04_20_自在金具

自在金具(ヒューマニックランドスケープ)

篠原 :境川事業のときもその仕組みにしていたの?
南雲: 境川事業のときはしていないです。境川事業では、係船環をつけて落ちたときにつかまることが出来るようにしました。
小野寺 :防護柵の支柱に細い角鋼を使ったのはここが初めてでしたね。
南雲 :日向市であんなにたくさん杉を使ったのに、なんで油津事業では鋼材だけしか使わないんだって委員会で言われました。
篠原 :ウッドデッキの話になるけど、僕は木材の耐久性に対して結構抵抗があったんだよね。
小野寺 :僕もウッドデッキに杉材を使うのは、ダメなんじゃないかなって躊躇していたんです。
篠原 :小野寺さんが地場の木材を使うっていうから「折角いいデザインになったのに、二、三年経って腐ってきたら、評判ガタ落ちになっちゃうよ、やめたほうがいいんじゃないの?」って僕は言ったの。
小野寺 :ウッドデッキに関しては初めは無理だと思ったんですけど、やはり杉材でやるべきだと思い、杉材の赤身(*11)を何割入れるかを指定するところから始めました。木材は、表面を上にすると、反ってそこに水が溜まるので木裏を使っています。材厚は、普通のウッドデッキなら30㎜くらいですけど、あれは50㎜を使っています。防腐処理はモックル処理をやりたかったけど、最終的には県で仕様に入れている別の防腐処理メーカーを入れました。

*11赤身
木材の中心部分(芯材)を指す。普通の木材よりも強靱で、水やシロアリにも強いため、よく土台などに用いられる

04_21_ウッドデッキ

ウッドデッキ

04_22_油津夜景修正済み

ウッドデッキ夜景

篠原 :あれはモックル処理じゃないの?
小野寺 :地場のメーカーを使っています。地場産業をとにかく使えって圧力が高まった時期でした。
南雲 :ボラードもモックル処理は出来なかったんです。
篠原 :建ってから何年経っているの? あと、メンテナンスの話はどうなっているんだっけ?
小野寺 :5年位経っています。メンテナンスに関しては、工事会社が防腐処理メーカーの10年保証を付けて承認をもらっています。
海野 :飫肥杉は油分がものすごく多いんですよ。日向市と同じ品種なんですけども、色味が全然違います。赤身というよりも、どちらかというと黒っぽいです。デッキ材には木裏を使うのが一番ですね。木裏じゃないと割れが入ってきたときに、水が入って腐ります。
篠原 :じゃあ油津事業は木材に恵まれていたんだね。
海野 :そうです。屋外に使うには恵まれていると思います。
小野寺 :デッキ材には、特に飫肥杉の「めごま」という目が細かい部分を使っています。
南雲: 飫肥杉には葉節(はぶし)という小さな節がある。一見きれいじゃないんですけど、それも飫肥杉の特徴の一つです。             海野 :枝にならずに幹から葉っぱが出てくるんですよ。落とせば節になります。宮崎の木材は葉節が出るのが特徴です。杉は、倒れて地面に当たった所からすぐに根を出そうとするので、葉節が出るのは風倒木じゃないかって言われてしまったりはします。
森田 :油分が多いというのは、気候が関係するのですか?
海野 :はい。特に日南の飫肥杉は、赤身というより黒じんで相当油が入っている。同じ杉でも良質なので、江戸時代の人とか沖縄の人たちは宮崎の木材しか船に使わないんです。広島の船大工さんも宮崎の杉じゃないとって言いますね。
篠原 :話は変わるけど、小野寺さんが嬉しくて寝た杉のベンチ、あれはもうだいぶ傷んでるよね。何種類つくったの?
小野寺 :両方とも飫肥杉で二種類です。
篠原 :日南は日向市みたいな木材の会はないの?
南雲 :家具の方で頑張ってくれていた人もいますけど、木材関係者と製作者は、ちょっとバラバラという感じでしたね。
小野寺 :こういうのは人間次第で、日向市の場合は、木の芽会を中心に同じメンバーがずっと継続して面倒を見ているんですけど、日南は日南大工の熊田原さん(*12)と森林組合の一部のネットワークだけが強い感じです。

*12 熊田原正一
株式会社熊田原工務店社長(当時)2013年逝去

都城について  

南雲 :都城蔵原通線というのは、宮崎市の高千穂(たかちほ)通りと延岡(のべおか)の市役所前通り、それについで宮崎県の三番目のシンボルロードなんです。シンボルロードを三つも整備しているのは日本で宮崎市しかないらしいんですね。なんでこんな寂れた所をシンボルロードにするのかわからないなとも思ったんですが、やるなら、都城を元気にするようなものにしましょうと言いました。
篠原 :都城の駅?
南雲 :西都城駅の駅前の通りです。ソフト地中化(*13)にしようって宮崎県が決めたので、最悪の事態になりそうだったんです。
篠原 :電力会社がよくやっているね、あれは格好良くないね。
南雲 :役所の担当者が「シンボルロードにソフト地中化はないでしょう」と直談判に行ってなんとか止めてくれたんです。照明柱は熱押形鋼を使って、シンボルロードに相応しい堂々としたデザインにしました。近くで見ると結構迫力があります。
北村 :熱押形鋼としては、かなり大きい断面で、精度良く押し出せるかどうか、新日鐵光工場と何度も打合わせをしました。
南雲 :熱押形鋼と鉄板の溶接で断面をつくったんじゃなかったっけ?
北村  :そうです。熱押形鋼には、一回に押し出せる重量に制限があるので、とにかく断面積を減らしたくて、後から鉄板を溶接しました。

*13 ソフト地中化
電線類地中化に必要となる地上機器(変圧器やペデスタルボックス)の設置場所が確保出来ないなどの理由により電線は地中化するが電柱は残るという中途半端なものである。

04_23_都城 歩道照明柱

歩道照明柱

04_24_都城 熱押断面

熱押出形鋼の断面図

南雲 :鉄板の溶接部分は、見えないように工夫されているよね?
北村 :熱押形鋼の肌は鋳鉄の肌に少し近いんです。溶接をして、サンダーで仕上げてしまうと、そこだけ肌が変わってしまいます。だから見えない部分で溶接しました。
南雲 :信号共架柱は、最近は大体このデザインに落ち着いてきたよね。
北村 :そうですね。日向市市にもこのデザインで納入しましたね。
南雲 :信号共架柱は、あまり地域性や、形とかは表に出るべきじゃないと思うんだ。
小野寺 :南雲的集合ポール、これはどこに建てても合うね。
南雲 :こういうものこそ、既製品にしてくれればいいよね。

04_25_都城 信号共架柱

信号共架柱

天満橋について

南雲 :天満橋はとても大変な仕事でした。橋上の照明柱にはぼんぼり型のでっかい灯具を付けようかなと思ったのですが、製作が結構難しかったです。
篠原 :ガラスは皇居の歩道照明柱と同じものを使っているの?
北村 :ガラスは毎回違います。一度として同じサイズのガラスを使ったことないですよね。(笑)
篠原 :新宿通りより前なのこれは? 後なの?
北村 :2005年なので、四谷新宿通りより後です。でも、ガラスのサイズは違います。
篠原 :高欄の手摺りはなんで赤なの?
南雲 :ちょっとアクセントがあってもいいかなと思って色を決めました。
北村 :高欄のトップレールはアルミ鋳物で、赤い手摺りはアルミの押出し材です。
南雲 :今もきれいだし、評判も良いみたいです。ただ工事としては、現場との調整が随分大変でした。橋から地上に降りる階段にも高欄が必要だったし、支柱に照明を入れたり、他にも投物防止の防護柵を建てたりしました。海野さんとつくった杉のパーゴラは、日向市の経験があったので比較的上手くいきました。ベンチはちょっともめましたけどね。
海野 :このときは、僕が意見する前にヨシモトポールさんの図面が全部出来ていて、この図面の通りつくってくれと言われたんです。これじゃ出来ないと思ったが、やっぱりベンチの木材がぐらつくような不具合が起こりましたね。

04_26_天満橋

ぼんぼり型の灯具を使った照明柱

04_27_天満橋_高欄

高欄のトップレールと赤い手摺り

北村 :天満橋は、設計だけは何年も前に終わっていたんですよね。
南雲 :そうだったね、当時の委員会の委員長は出口先生(*14)でした。
北村 :ものづくりはヨシモトポールと住軽日軽、灯具は岩崎電気でした。
篠原 :天満橋の親柱は立派だね。
南雲 :この事業のときは、景観に配慮した設計に助成が出ていた最後の頃で、設計単価として標準設計の最大五倍まで認められていました。親柱には設計単価の基準がないので、いくら制作費をかけてもいいみたいな所がありました。
小野寺 :天満橋の照明柱は、御影石をくり抜いているんだって?
鈴木 :御影石をくり抜いて、そこに芯ポールとして鋼管柱を入れています。
南雲 :その芯ポールと鋳鉄の照明柱をベースプレートでジョイントしています。
篠原 :随分贅沢なことしていたんだ。(笑)
小野寺 :贅沢ですよ、くり抜いて捨てちゃうんですから。くり抜いた部分の方が大きいんじゃないかって。(笑)

*14出口近士
宮崎大学准教授(当時) 現在、同教授

04_28_天満橋_照明柱

天満橋照明柱

04_29_天満橋_パーゴラ

天満橋 パーゴラ

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