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第二章 皇居周辺道路建設省/東京都/千代田区

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概要
皇居周辺道路景観事業(1992~1997年)
発注者 建設省/東京都/千代田区

 1992年の皇居周辺道路景観事業は、初期の景観事業の代表的な事例であった。当時、国会議事堂周辺や皇居周りの幹線道路では、照明柱や標識、信号柱、歩道、防護柵などの老朽化が著しく、周辺の環境と調和した「日本の顔」にふさわしい景観へ、一新することが検討されており、すでに1988年から準備が始まっていた。
 皇居周辺は、国道、都道、区道が入り混ざっているため、この事業は日本で初めての縦割り行政の壁を越えて、国(建設省、宮内庁、環境庁)と東京都(都、警視庁)と千代田区など関係機関が協力し合って進めた点においても、注目の事業であった。
 同年春、東京工業大学の中村良夫教授を委員長に、東京大学の篠原修助教授を幹事長とし、関係者、有識者、設計コンサルタント、デザイナーで構成された「皇居周辺道路景観整備計画委員会」が設立された。この委員会を中心として、照明柱や標識、信号柱、防護柵、歩道の舗装についてデザインが検討された。そのデザイン案を作成したのが、アプル総合計画事務所であった。ヨシモトポールにとっては、実物大の照明柱を試作し、灯具をセットしたうえで、細部のデザインまで検討を重ねたのは、初めての経験であった。

皇居周辺図

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皇居周辺道路景観事業についての委員会報告がまとまったのは1992年末のことで、この事業においてヨシモトポールは照明柱と防護柵などを受注した。これを最初に、その後の皇居周辺の諸施設は景観への配慮が重視され、相次いでヨシモトポールの製品が採用された。
 1992年の、パレスホテル前ポケットパークへの歩道照明柱の納入を皮切りに、翌1993年には皇太子殿下ご成婚パレードに向けて、国道20号線の内堀通りや都道301号白山祝田田町線、区道229号線代官町通りへと、納入が実現した。このとき、お濠の景観に配慮したデザインとして六角形のビーム材を用いた防護柵も納入した。この事業は五年間にわたるもので、車道および歩道の照明柱など計230本を納入し、ヨシモトポールにとって最大規模の事業となった皇居周辺道路景観事業は、土木学会デザイン賞2005優秀賞を受賞した。

座談会 2012年5月8日(火)                     ファシリテーター 篠原 修

参加者                                  小野寺康 小野寺康都市設計事務所
南雲勝志 ナグモデザイン事務所
重山陽一郎 アプル総合計画事務所                             三石傑  ヨシモトポール 
北志郎  ヨシモトポール
上椙隆  ヨシモトポール
森田実  ヨシモトポール                      
鈴木幸男 ヨシモトポール                                   北村仁司 ヨシモトポール

仕事のきっかけ                            篠原 :初回の座談会でも話しましたが、もともとヨシモトポールは、皇居周辺道路景観事業(以下、皇居周辺事業)の受注を狙っていて、結果的にはその前哨戦として門司港事業を担当しました。ヨシモトポールと南雲さんが、ポール製作を始めたきっかけとなった、皇居周辺事業の経緯について話していただこうと思います。皇居周辺事業の、皇居周辺道路景観整備計画委員会(以下、委員会)が設立されたのは、昭和63年でした。では、三石さんから当時のことをお話しいただきましょう。
三石 :当時、皇居周辺道路の調査結果をまとめた資料があって、建設省と東京都と千代田区が最初の段階で調査結果として出していたものです。
篠原 :最初は、建設省の東京国道と東京都と千代田区でマスタープラン(*2)をつくりました。どの道路を対象にするかという冊子だよね。
三石 :当時、ヨシモトポールに景観事業の実績はなくて、コンクリートの電柱のカタログしかないような時代でした。
篠原 :皇居周辺の道路は建設省、東京都、千代田区の三者の管轄で、道路環境研究所(*3)が委託を受けて、委員会を発足したんだ。
三石 :当時から、ヨシモトポールは信号柱や照明柱をつくっていたので、皇居周辺の照明柱などが建て替わると情報を得て、早速営業に行きました。

*2 マスタープラン
1992年の都市計画法改正により規定された「市町村の都市計画に関する基本的な方針」のこと。
長期的視点にたった都市の将来像を明確にし、その実現に向けての大きな道筋を明らかにするもの。

*3 道路環境研究所
建設省の外郭団体。道路局の道路環境の調査をしていた。

篠原 :ライバルにはどういう会社があったの?
三石 :建設省の照明柱をつくっていた会社が、3、4社ありました。
鈴木 :そのときヨシモトポールは、まだ建設省に納入実績がなかったんです。なのに、いきなり皇居周辺事業に参加しようとしていました。
篠原 :情報を取ったのはいいけど、どうやって入るかは難しいね。
三石 :事務局にアプルが入っていて、僕たちは関係者から「基本設計を担当するのはたぶんアプルだよ」と聞かされていました。私の上司の赤尾から「僕が先生方となんとかコンタクトを取るから、お前は事務局に営業に行け」と言われて、アプルに行ったけど、照明柱についてのカタログはなかったので、アプルを訪ねて行っては門前払いでした。
篠原 :最初にアプルに行ったときは、中野さんに会ったんでしょ?
三石 :いやいや。会えてないですよ。毎回、小野寺さんと重山さんが出てきて「今日はなんですか?」と言われるんだけど、話すことは全然なくて「近くまで来たからご挨拶に」と言っていました(笑)

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初仕事

三石 :それで10回ほど通っている間に、奥から若い人が出てきて、どこの物件だかとか何も言わず「これつくれるか?」と門司港事業の照明柱のスケッチを、突然渡された。見た目が若かったから「今の誰?」と重山さんに聞いたら、その人が中野さんでした。
小野寺 :だんだん思い出してきたけど、1回か2回は三石さんに会いました。2回目で前回と話がまったく同じだったので、新人の重山さんに任せました。ただ中野さんにはコンクリートポールを製造している業者が来たと伝えてはいました。
篠原 :それで中野さんは、三石さんに門司港事業の照明柱をコンクリートでやれないかと言ってきたのか。
三石 :簡単なスケッチを見せられたのを覚えています。ヨシモトポールがコンクリートポールメーカーでなかったら、皇居周辺事業は出来てなかったかもしれない。門司港事業がとてもうまくいっていたので「皇居周辺事業も担当してみるか」とうまく繋がっていきました。
篠原 :ところで、皇居周辺事業の照明柱のデザインはいつごろ始まったの?
重山 :だいぶ後になってからでしたね。
小野寺 :レトロポールが建った後でした。まず、南雲さんのデザインに中野さんが信頼を置いていたんですよ。新宿モア街整備、門司港事業をデザインした後でしたから、普通とは違うデザインをする人だなという印象になっていて、皇居周辺事業もお願いすることになりました。南雲 その頃は、アプルの事務所には僕と三石さん、小野寺さん、重山さんのチームがいつも集まっていましたね。

仕事の流れと体制
篠原 : 当時はデザインをメーカーに頼むと、桃太郎通りには桃のモチーフをつけたようなものが景観デザインとして出てきていたね。
小野寺 : それが普通だった。今でも半分以上がそうじゃないですか。防護柵にしても照明柱にしても、メーカーに図面を描かせて、報告書に入れて提出するということは、今だにしていますからね。
鈴木 : 三石さんと初めて東京国道に行ったときのことを覚えていますけど、電気通信課の課長と、まったく話がかみ合わないわけですよ。灯具メーカーの下にポールメーカーがある構図がはっきりしているので、ポールメーカーが直接営業に来ることがないんです。ヨシモトポールってなんだ? って顔をされて、照明柱をつくっているメーカーだという認識がまったくなかったんです。
篠原 : 東京国道が付き合っているのは、灯具メーカーだけだからね。
小野寺 : この時も、東京国道が委員会に灯具メーカーが描いたデザインを提出したが、委員会は反対しました。
三石 : 委員会があることによって、初めて警視庁も含めて役所がまとまったと感じました。後にも先にもとても珍しいことでした。
篠原 : 東京国道だけでは、簡単に決められないということが、わかったんだろうね。
重山 : 役割分担としては、アプルでは照明柱と防護柵をデザインしました。パレスホテルの前や気象庁の前、平川門の脇、英国大使館前も少しありました。
南雲 : 国会議事堂前の照明配置がバラバラになり、重山さんが悩んでいたよね。
重山 : 照度を確保するための配置が難しかったです。

照明柱と防護柵について
篠原 : いよいよ照明柱の話ですが、アプルの中野さんが南雲さんに照明柱のデザインを依頼したのはいつ頃だったの?
南雲 : そんなに時間はなく、委員会に提案する1か月くらい前だったと思います。ああいう特別な場所のデザインをすることになって、どうしていいかわからず、現場を見に行ったり重山さんと打ち合わせたりしていました。
重山 : 外国の照明柱の写真も参考にしませんでしたっけ?
南雲 : モチーフはいろいろあったけど、支柱に曲線を入れて、きれいな線をつくりたいと思っていた。また中野さんや建築家の大野さんと「ハレ(*4)」のイメージは必要だとも話していました。皇居周辺という場所の特性に配慮して、照明柱としての機能だけではない、晴れやかしさを出そうとしました。委員会に提出する前日の夜中の12時くらいにスケッチが出来て、それを当日、報告書に挟んでもらいました。

*4 ハレ
ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」を表す。


六角ビーム材を用いた防護柵

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車道照明柱のスケッチ

02-04p60-1鳳凰1灯型姿図スケッチ02

小野寺 : 南雲さんが徹夜した翌日に、車道照明柱の3案を、委員会に出したけど、皆何も言ってくれなかったんだよね?
南雲 : 皆さんいかがでしょうか? と聞いてもシーンとしていました。発注者の東京国道も何も言いませんでした。ただ、篠原先生が「どれでも基本的なレベルには達しているので、この3案の内、どれにするかは事務局に任せようと思う」と言ってくれました。
篠原 : 歩道照明柱はどうやって考えたの? 車道照明柱と全然関連していないね。
南雲 : 車道照明柱は、車道を照らす照明なので歩道への影響はあまり意識してないが、歩道照明柱は、その通りをジョギングしたり散歩したりする歩行者向けの灯りなので、ぼんぼりのような光が連続していくものがいいだろうと思っていました。支柱には鋳鉄を使いました。黒錆安定処理(*5)は中野さんの方から提案があり、実績はあまりなかったが、エイジングが大事だということで使うことにしました。灯具は、平面的には菊の花のイメージです。
篠原 : 歩道照明柱は後から出てきたの?
重山 : そうです。歩道照明柱と防護柵は同じくらいだったかな。防護柵は鋼材で出来ていますが、最初は鋳鉄で考えていたんです。
篠原 : 防護柵に使用した六角形のビーム材(*6)は、既製品だよね?

*5 黒錆安定処理
鉄が酸素によって酸化された際に生じる酸化鉄に
化合物の不定比の混合物を与え、準安定状態をつくること。                        

*6 六角形のビーム材画像6

歩道照明柱のスケッチ

02-06p60-2近衛兵姿図スケッチ

三石 :いえ、特注です。切断前のナット材を使っています。ちくわ状に穴があいていますが、すごく重いんです。
篠原 :どこから見つけてきたの?  
重山 :あの頃、異形鋼管マニアだったんです。鋼材リストをよく見ていました。六角鋼管もあるのですが、エッジがシャープじゃなくて、良くなかったので、切断前のナット材を選びました。
篠原 :防護柵の高さが二種類くらいなかった?
重山 :お堀の周りは、落ちて溺れる人がいるかもしれないことを考えると、転落防止柵として1100㎜の高さを要求される可能性もありましたが、柵を乗り越えても、少し平地があるので直接落ちないという理屈で750㎜で行政に納得してもらいました。ただし、日比谷通り、晴海通りは平地がほとんどないので1100㎜にしてあります。
篠原 :重山さん、防護柵の製品としての仕上がりはどうだった?
重山 :日比谷通り、晴海通りは、植栽と干渉する部分で、手摺を曲げているんですが、そのディテールが難しかった。ヨシモトポールさんに頑張ってもらって、綺麗に納まりました。構造が単純で部品点数が少ないのが気に入っているところです。

製作費
篠原 :当時はバブルの頃なので、このデザインはいいですよとなっても、予算がすごいことになったんじゃない?

歩道照明柱

02-06A_DSC_9903編集済み

鈴木 :平成6年の見積書を見返しましたが、今考えるとかなり高額です。
篠原 :その値段ですんなり通ったの?
三石 :東京国道は了解してくれたが、その上の関東地方整備局の係長から電話がかかってきて「なんだこの値段は! 全ての明細を出せ!」と言われました。
篠原 :デザインした方も、高くなるとわかっていたの? 両方とも鋳鉄でしょ?
南雲 :車道照明柱は部分的な飾りだけアルミ鋳物で、支柱は鋼材です。
篠原 :鋼材なのに、なんでこんなに高いの?
森田 :車道照明柱の六角鋼管は、協力工場の富田製作所(*7)に依頼して、鉄板の折り曲げで製作しました。一番下の丸い支柱は鋼管です。厚い鋼管を旋盤で削って溶接していますし、随所に使っているアルミ鋳物にも木型代が発生しているので、どうしても高くなります。
三石 :結構手間がかかっているんです。当時の流通マージン、利益を見込んだ結果ですね。

*7 富田製作所
茨城県にある、鋼材の曲げ加工、製菅加工を中心に行う会社。

車道照明柱のスケッチ02-10p64鳳凰1灯型姿図スケッチ01

国道用         都道用         区道用

製作の苦労

篠原 :歩道照明柱をつくるのも大変だったでしょ?
南雲 :歩道照明柱は灯具をつくるのが大変でした。ガラスの部分は、灯具メーカーの下請けのガラス業者にお願いしていて、型代だけで当時4~500万円かかっていました。
篠原 :どのくらいの数だったの?
三石 :歩道照明柱が100本くらいです。
篠原 :最初に国道の整備を、五年間くらい継続していった。それから都道、区道に移っていったんだね。
南雲 :区道の照明柱の値段がやたらと安いんです。二割ダウンとかじゃなくて半値くらいになっていきます。例えば国が300万円払ったら、都は150万円で、区は100万円とかね。
それで、都の方は全長を変えて、区の方はデザインを変えました。車道照明柱の全長は、国が12mで、都が10mで、区は8mです。
三石 :当初、区は独自のデザインで考えていたんです。ですが、区の担当者(係長)がとても理解のある人で、とにかく予算はないけど南雲さんのデザインでいこうと言ってくれました。
篠原 :車道照明柱は、始めてからどれくらいで出来たの?
北村 :時間はすごくかかっていますね。半年以上かかっていると思います。支柱に飾りで使っているかまぼこ型(*8)の材料に関しても、今みたいにインターネットがないので、どうやって見つけたのかは記憶にないですけど、苦労して探したのは覚えています。
南雲 :普通の照明柱は支柱があって、最後に灯具を取り付ける構造になっているんですよ。実はそれが野暮ったい原因で、灯具から柱まで一体的につくるべきだと思い、このようなデザインになりました。
北村 :先ほど言った、飾りに使っているかまぼこ型の材料ですが、我々がやっと見つけたサイズはφ12.6㎜だったんです。南雲さんのデザイン図面ではφ12.0㎜で、0.6㎜しか変わらないから、大丈夫だと思って「南雲さん、見つかりました!」って言ったら「僕のデザインと0.6㎜違うじゃないですか!」とすごい剣幕で怒られました。                  

*8 かまぼこ部分のディテール02-09かまぼこ

*8 かまぼこ部分の実寸断面図画像11


小野寺 :北村さんはどう思ったの?
北村 :本当にこの人には0.6㎜の違いがわかるのかなぁって思いましたよ。だって0.6㎜ですからね。
南雲 :あのディテールの0.6㎜は全然印象が違うよね。
北村 :そうですね。だいぶ後になって理解しましたけど、当時は衝撃的でしたよ。(笑)
小野寺 :普通の照明柱の支柱しかつくったことない会社が、よくつくれたよね!
北村 :照明アームの角鋼管同士の溶接だって、南雲さんから「とにかくきれいに仕上げてくれ」と言われて、工場の職人は一生懸命仕上げるわけですよ。きれいに仕上げるために、サンダー(*9)で削るから、ヘアライン(*10)みたいに跡が残るんです。そうすると、今度は「削った後がわからないようにしてくれ」と。そんなことを言われるのが初めてだったので、工場も悩んでいました。

*9 サンダー
サンダーは電動工具の一種で金属の研磨に使用するもので溶接部の仕上げにも使用。

*10 ヘアライン
研磨により生成された髪の毛ほど細かく長い筋目。これを意図的に施したのがステンレス製品等で行う「ヘアライン仕上げ」。

車道照明柱 アームのディテール画像12

篠原 :コンクリートポールのメーカーなのに、鋼管柱をつくるのに抵抗はなかったの?
三石 :信号柱などは昔から鋼管でつくっていましたので、特に抵抗はありませんでした。ただ、デザイン性の高いものはつくっていなかった。今までの照明柱は、角鋼管、丸鋼管などの既成品を継ぎ合せてつくるものでした。
南雲 :三石さんは、大概のことは聞いてくれたんですけど「ボルトの頭が大きくて格好悪いから、なんとかしてくれ」と言ったら「あんな高い所のボルトは見えないよ!」と怒られましたよ。
北村 :それまでは、普通の六角ボルトばかりを使っていましたが、南雲さんに指摘されて、今では当たり前のように使っている「ボタンボルト」という頭の小さい目立たないボルトもこの時から使うようになりました。
篠原 :試作品が出来てから、見に来てもらったの?
北村 :建設省の方を含め、30人くらいがバスに乗って群馬工場に来られました。南雲さんから急に、飾りの色を試しに違う色に塗ってくれと言われて、大慌てでその場で塗り直したりしましたね。
篠原 :その試作品を見て、元請けとしてやっていたアプルはどうだったの?
小野寺 :アプルとしても満足のいく出来で、鼻が高いところがあった。業界としても、見たことないものを見たという感じでしたからね。
北村 :車道灯はあのデザインを鋳鉄を使わずにつくったという意味では、今つくってもすごいと思いますよ。難易度が高いですよね。
小野寺 :今だったら鋳鉄でやっちゃうよね。きっとね。
南雲 :現場に建つとそこそこのスケール感なんだけど、工場で見ると大きいんですよ。

上/縦鋳込みの鋳込み風景 下/歩道照明柱の砂型02-13p68工場 歩道照明柱 鋳込み

02-12p67工場 歩道照明柱 砂型


歩道照明柱の設計に対して

南雲 :歩道照明柱は鋳鉄だったので、伊藤鉄工にお願いしていた。柱の全長は4m。デザインはシンプルだけど、皇居という場所にふさわしいデザインにしたかった。基壇部のデザインは最後まで悩んで、木型が出来たときに伊藤鉄工に行き、出来上がった木型を、カッターでミリ単位で削ってもらい、溝は太くしてくれとか細かく指示をしました。
三石 :伊藤鉄工の協力会社の児玉鋳物(*11)が鋳鉄を製作しました。横鋳込みだと変形しやすいので縦鋳込みで製作しました。
篠原 :それは問題なく出来たの?
南雲 :す(*12)が入らないようにつくるのに、かなり苦労しました。
三石 :表面処理は黒錆安定処理を採用しました。
南雲 :塗装をするつもりはなかったが、あまりにもムラがあったので塗装しました。10年くらい経つと黒錆が出て、落ち着いてくるだろうと言われたが、日陰と日向で錆方がかなり違ってきました。
鈴木 :歩道照明柱は20年経っていい味が出ていると思います。
篠原 :鋳鉄は時間の変化に強いからね。
三石 :中野さんのイメージでは、南部鉄(*13)でした。南部鉄は錆びないから、ああいう表情を出したいと言ってましたね。

*11 児玉鋳物
埼玉県川口市にある、縦鋳込みの設備を持った鋳物製作所。

*12 す(・)が入る
鋳型に溶けた金属を流し込んだ際、それが冷却・凝固するときに、
空気などのガスが内部に閉じ込められて生じる空間。

*13 南部鉄
南部鉄器は、繊細な鋳肌と重厚感のある味わいの着色が
特徴の盛岡が誇る伝統工芸品。

篠原 :それで、出来上がって一番最初に建て始めたのは、どの辺だっけ?
三石 :国道20号線の突き当たり、半蔵門の辺りから和田蔵門の辺りですよね。皇太子ご成婚のパレード(*14)で使う所からです。
篠原 :納入されて、発注者の評判は良かったの?
小野寺 :最初に格好いいと言われたのは、歩道照明柱の方だったんですね。ヒューマンスケール(*15)でわかりやすく、造形に凝っているので非常に評判がよかったです。
南雲 :最初の会議で沈黙していた東京国道も「あれは俺たちがつくったんだ」と自慢してくれました。
小野寺 :皇居の前で一本折れた歩道照明柱を、再利用したものが東京大神宮の前に建っています。1回折れた照明柱をまた再利用するなんてことはないから、よっぽど気に入ったんでしょうね。
篠原 :皇居周辺事業の照明柱にはものすごいインパクトがあったので、場所を問わずいろいろな所で似たようなポールを見かけました。
南雲 :納入してから20年が経って、塗装も色褪せてきたので、そろそろ塗り替えをしてもいいと思っています。
小野寺 :それは大変でしょう、現場で塗るしかないんじゃないかな。
篠原 :橋梁みたいに照明柱も塗装のメンテナンスはやっているの?
鈴木 :国としては全然やってないですよ。
北村 :素材としては50年、100年もったとしても、塗装だけはメンテナンスしてもらわないと無理ですよね。

*14 皇太子ご成婚パレード
1993年(平成5年)に行われた皇太子と小和田雅子さんのご成婚の際のパレード。

*15 ヒューマンスケール
人間的な尺度のことで,建築や外部空間などで人間が活動するのにふさわしい空間のスケール。

鈴木 :現地で塗装しようとすると、塗料がちょっと飛んだだけで、大変なクレームになってしまいます。いずれにしても、ガン吹きは不可能ですね。だから刷毛で塗れるステンコートを考えなきゃいけませんね。
篠原 :実際に現場で塗装するとすれば、足場を組まなくてはいけないので、その費用は大変だね。
ところで、この皇居周辺事業以来、南雲さんはヨシモトポールと組んで仕事をするようになったわけだ。どっちが仕事を請けて依頼するの?
三石 :ヨシモトポールで仕事を請けて、南雲さんにお願いすることは、ほとんどないですね。基本的には、役所からポールメーカーにデザインを発注するという流れがなかなかないんですね。最初は灯具メーカーに発注がいきますから。
篠原 :でもこの物件で、灯具メーカーとの関係はだいぶ変ったんじゃない?
三石 :関係は変わりましたよ。ヨシモトポールのようにデザイナーの先生方と組んでやるようなポールメーカーはいなかったわけですから。
南雲 :ヨシモトポールは出来る出来ないではなく、いつもチャレンジしているから、その都度技術が高まっていくけど、他のメーカーは初めから出来ないと言ってくる。出来ないって最初に言っちゃうと出来ないんですよ。出来ないって最初から言わない所がヨシモトポールのいい所だと思う。
三石 :言わせなかったんでしょう。良く言うよね。(笑)
篠原 :僕も設計事務所やコンサルタントと組むことがあるけど「出来ません」っていわれるのは何種類かあって、技術的に本当に出来ないのと、出来るんだけど手間暇かかって儲からないからやりたくないのと、本人はやりたいんだけど会社がダメだっていうのと、いろんなパターンがあって、最後のパターンの人は、会社が嫌になって辞めちゃうね。
三石 :それは非常にあると思いますね。
篠原 :だって、何かやろうとしても、ちっとも面白くないもんね。
三石 :ヨシモトポールは、そういう面では自由にやらせてくれたので良かったのかもしれませんね。

森田 :ヨシモトポールがNTTのコンクリートポールをやめて、鋼管柱にシフトした時期に、三石さんが発注元から取る流れをつくったので、景観事業が軌道に乗りました。
三石 :ひとつの物件で億単位の売り上げは、それまでなかったんです。
篠原 :随分変わったね、この20年で。
鈴木 :工場と技術がついてきてくれなくて、三石さんと「もうやめようか」という話は何度もしましたよ。
南雲 :やめなくてよかったね。(笑)

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