第七章 松山市 ロープウェー街/道後温泉周辺
概要
松山市 ロープウェー街(2004~2006年)
道後温泉本館周辺整備(2004~2009年)
松山市は律令時代の伊予の国が筆頭領国であったことに示されているように、開明的な風土を持ち議論はオープンだった。ただしロープウェー街は、既に決まりかかっていたデザインに地元の商店街が納得せず、篠原が南雲にスケッチを描いてもらって、その案が採用されて南雲・小野寺コンビのデザインが実現したものである。結果が好評であることに留まらず、沿道の地価が上がり、シャッター店がなくなるという成果を生んだ(2005~2006年)。
道後温泉本館周辺整備は、別途愛媛県が主催していた委員会に出席していた松山市の職員に依頼されて始まったプロジェクトで、県道を付け替え温泉本館前を広場化するという画期的な仕事であった。南雲・小野寺共に存分に腕を振るい気持ちよく終えた仕事であった。このデザインによる波及効果は絶大で、広告・看板が撤去され、駐車場が街角広場に変身したのである。
(*本文中は通称の「ロープウェイ通り」とする。)
開催日 2012年2月5日(火)
ファシリテーター 篠原 修
参加者 小野寺康 小野寺康都市設計事務所 南雲勝志 ナグモデザイン事務所 浅山茂樹 伊藤鉄工
森田実 ヨシモトポール
北村仁司 ヨシモトポール
丸山浩二 ヨシモトポール
仕事のきっかけ
小野寺 きっかけは、国土交通省松山河川国道事務所(以下、松山国道事務所)が、松山市の再生マスタープランを篠原先生に依頼したのがはじまりです。
篠原 松山国道事務所に、松山市の環状道路をつくる話と、交差点の立体交差事業の話があって僕が呼ばれたんです。それで委員会をつくって、交差点のデザインをしていたんです。小規模だけどプロポーザルもやりました。
小野寺 松山市が、すぐに事業化してくれたんです。
篠原 道後温泉周辺の道路を付け替えて、広場を整備する話があったんだ。
小野寺 当初、全体のまちづくり構想からロープウェイ通りは外れていたんです。外れていたんだけど、松山市がやろうとしている計画案に対して、地元が反対していて話が進まない。松山市から「何とかならないの?」という話があり、篠原先生と二人でリリーフに立った感じなんですよね。
南雲 委員会のメンバーに入っている、ロープウェイ通りの商店組合の四人組に、松山市が「デザインを南雲さんに頼んでみたら?」と言って、急遽デザインをお願いされることになったんですよ。
小野寺 当時の設計ではスラローム(*2)がきつい線形だったのでそれをなだらかにして、駐車マスや照明柱を再配置して、舗装は煉瓦と脱色アスファルトで提案をしました。
南雲 路面の照度が15ルクス必要だったから、照明柱は二灯型に分けて、ボラード(*3)にも灯具を入れて、歩道の照度を確保しました。
*2 スラローム
歩行者の安全性や快適性を考慮したコミュニティ道路の手法の一つで、車が一直線に走行出来ないように、左右に蛇行させた道路のこと。
*3 ロープウェイ通りのフットライト
篠原 南雲さんにロープウェイ通りをデザインしてもらうことになったけど、反対している人もいたでしょう?
小野寺 凄かったよな。(笑)
南雲 住民ワークショップにも2回ぐらい出ました。僕らにお願いした人は前向きで「あの通りを何とかしたい!」って熱心なんです。
ロープウェイ通りは4区に分かれているんだけど、大街道に面した入口から一番奥の区の人たちは、つくり替えること自体に反対していて「手を付けなくていい」「税金を使わなくたっていい」「それよりも金があるなら自分たちの商店を良くして欲しい」と言っていました。
篠原 大街道という松山市のメインストリートはアーケードになっているんですけど、電車通りを隔てた奥にロープウェイ通りがあって、そこを抜けると松山城に登るロープウェイの駅があるんですよ。
ロープウェイ通りの舗装は煉瓦で、照明柱は二灯型の小田原提灯みたいなデザインで、商店街の人たちは納得したの?
南雲 松山市が出していた既成の照明柱3案に対して「我々はこういう普通の照明柱ではなくて、お城の参道のような和風のデザインが欲しいんです」と言っていて、僕の案を見て「まさにこれです!」って言ってくれました。
北村 ロープウェイ通りの照明柱は、とにかく納期が短くて、急いでつくりました。
初回納入日の朝一番で、当時、大阪支店長だった工藤から「お前、大変だぞ! 何だよこれ!」と連絡が来まして…。聞くと照明柱がバナナのように曲がったまま納品されていたんです。
浅山 納入までに時間がなくて、曲がりの矯正をしないで出荷してしまいました。
北村 そこから大騒ぎですよ。(笑)
浅山 まず、すぐに現場に行って、全部引き取りました。
北村 その納入日は、偶然南雲事務所で別件の打合せがありました。打合せの前にロープウェイ通りの照明柱が曲がってしまっていることを話さなきゃいけないので、恐る恐る話を切り出したんですけど、どんどん南雲さんの顔つきが変わってきて、最終的には電話機をテーブルの上に叩きつける大激怒でした。
南雲 時間がないから手を抜くなんて、それはないよね。
小野寺 確かにこの照明柱もかなり細くて、鋳鉄としては難しいレベルだけどね。それにしても矯正なしというのはね。
北村 この問題が起きてから、鋳鉄の照明柱は曲がって出来るという前提で考えるようになりました。曲がりの矯正を含めて工程を組むようになりましたから。
ゲート柱について
小野寺 ロープウェイ通りは照明柱とボラード以外にも、ゲート柱をデザインしたんです。
南雲 ゲート柱は、もともと計画にはなかったんだけど、商店街の会長で、元海軍の爺さんに頼まれたんですよ。
小野寺 会長はすごく熱心な人で、一番意識が高い。毎朝5時に起きて、自分の通りどころか商店街を全部掃除するんです。
南雲 その会長さんが、直立不動で「お願いがあります!」って言ってきたよね。(笑)
小野寺 そうそう「ここは松山城に行く入口なんです。是非、入口に門をつくってください」って。それでゲート柱をつくることが決まったんです。
篠原 良く予算が出たね。
小野寺 市の職員が会長を尊敬していたから、即決でしたね。
北村 初めは全部鋳鉄でつくろうとしたんですよね。
南雲 丸山さんがとてもじゃないけど全部は鋳鉄ではつくれないって。
丸山 全部鋳鉄でつくったら、一本が800万円になるんですよ。(笑)
篠原 最終的に納品した製品はいくらなの?
丸山 500万円です。
篠原 あれは立派だよな。
北村 全部鋳鉄でつくるのは、あきらめたんですけど、表裏にはナミナミテクスチャーのパネルを使っています。ひずみで平面にならないから、鋳鉄でパネルをつくるのも結構難しいです。
小野寺 ゲート柱の銘板の「松山城」という字は、正岡子規のハガキに書いてあった自筆の書なんです。
篠原 これ、すごく良く出来たもんだから、道後温泉の入口にもゲート柱を建てようっていう話になったんだけど、実現しなかったよね。
ロープウェイ通りはゲート柱が出来て、商店街の会長も喜んでいただろうね。
小野寺 竣工式の日も喜んでいましたよ。
篠原 だけど、よく500万円なんて通ったな。
小野寺 両方で1000万円ですね。
丸山 利益はほとんど無かったですけど。(笑)。
小野寺 建柱費を入れると1500万円くらいかな。
丸山 見積りを確認したら、支柱は430万円でした。灯具が70万円です。
南雲 いろいろ学んだけど、伊藤鉄工はこの後、長いお休みに入ったんだよね。(笑)
浅山 長いお休みでした。(笑)
そのおかげで行幸通りにも参加出来なかった…。
篠原 市の職員に聞いたんですが、整備したら通り全体の地価が上がったんです。こういうことは、初めてだったよ。
小野寺 松山市全体の地価が微減しているなかで、ロープウェイ通りだけが上がったんですよ。閉店していた店が全部開きました。
篠原 反対していた人も道がよくなったので、大々的に店を改装していたよね。
道後温泉について
篠原 道後温泉本館の裏に車道をまわして、本館の前は通行止めにして広場にすることが決まってから照明柱のデザインを始めたんだよね。
小野寺 はい、交通の方が決まってからでした。
篠原 ろうそくみたいな照明柱をつくったよね。最初に見たとき、何これって思ったよ。
小野寺 最初の南雲さんのスケッチから、同じと言えば同じなんですが、変わったと言えば変わりました。道後温泉の照明柱は南雲さんのデザインのなかでは特異ですよね。
篠原 これはやりすぎじゃないかって、びっくりした。(笑)
小野寺 この照明柱の赤いガラスは、道後温泉本館の振鷺閣(*4)の赤いギヤマンガラス(*5)をイメージしています。振鷺閣のギヤマンガラスは、日本最古のガラスなんですよ。
南雲 その赤が温泉地らしい色気があって、何とも言えない。それを表現したかったんです。透明なガラスに赤を混ぜたのですが、赤くしすぎると光が透過しないので、透明の中に少しだけ赤を混ぜているんです。
小野寺 最初は発光させようとしていたよね。アームの部分も全部ガラスでつくって光らせるって。それで北村さんが「それは勘弁してください」って言ったら、南雲さんは「ヴェネツィアだったらつくれるから」って言っていたよね。
北村 ヴェネツィアの人に教えてもらって来いと。(笑)
ヴェネツィアには行かなかったけど、東京ガラス工芸研究所(*6)に、こういうものが出来るか聞きに行きましたよ。研究所の人からは「形は出来るけど、屋外で使うのは止めたほうがいい」と言われました。
*4 振鷺閣(しんろかく)
宝形造りに銅板葺きの屋根という古典建築で障子にギヤマンガラスがはめられている。中には時を告げる太鼓がかけられており、一日3回打ち鳴らされている。
*5 ギヤマンガラス
江戸時代のガラスの呼び名。
*6 東京ガラス工芸研究所
神奈川県川崎市にあるガラス工芸の専門学校。
南雲 それでアームは、アルミ鋳物にしたんだよね。
小野寺 ガラスをどうやって固定するか、結構悩んでいたよね?
北村 風や地震でガラスが落ちたら大変なので。でも、ガラスはネジを切ったり出来ないし、強く締め付けると割れますから。
篠原 このガラスをつくるのに苦労した?
南雲 山田照明でガラスを手配してくれたんですが、なかなかいい色が出ませんでした。何個くらいつくっただろう?
丸山 たぶん、量産前に100個くらいつくっていますね。(笑)
南雲 現場で照明試験をしたときに、ガラスを何種類もつけて松山市の人に感想を聞いたよね。
北村 鋳鉄のポールの方は、縦鋳込みでつくったので、曲がりも出ずに、すんなり完成しましたが、このガラスを含めた灯具の仕様が決まるのに、結構時間がかかりましたね。
石のフットライト
篠原 本館の正面に向かって左側のところに、石でフットライトをつくっていたよね。
南雲 製作を担当していた東洋石材という石材業者が工事の途中で倒産しちゃったんですよ。それで危機に陥ったんですけど、別の石材業者に対応してもらって、何とか納期に間に合いました。
そもそも元請けの電気工事業者が標準のフットライトの取付費用しか見積りをしてなかったんです。フットライトって書いてあったから、納品するときになって、あの巨大な石の塊を見て「こんなのフットライトじゃないよ!」ってびっくりしてね。現場の舗装を担当していた石材業者が手伝ってくれて、やっと設置が出来たんです。
篠原 石でフットライトをつくるのは、初めてだったんじゃない?
あれはなかなかいいんだよな。
南雲 フットライトじゃなくて「照明付き石」ってことにしたんです。(笑)
整備後の道後温泉周辺の変化
篠原 道後温泉周辺の道路や広場を整備した効果は絶大で、本館正面に向かって、左奥の駐車場があったところは、今はオープンカフェのような広場になって賑わっています。手前の喫茶店みたいな店も、今は一六タルト(*7)の店になっているよね。
でも、上手くいかなかったところもあったよね。坊っちゃん電車(*8)の道後温泉駅から、本館までつながっている商店街のアーケードを、一緒にデザインしようって言っていたんですが、そこは手遅れだったんだよね。
小野寺 手遅れではなかったんだけど、最終的に予算の問題ですね。
篠原 広場に面している店もガラっと変わったし、松山市が景観条例(*9)をつくって、道後温泉から見える看板にも規制をかけたから、街が良くなったよね。
小野寺 道後温泉の対岸の休憩所の辺りから見ると、煙突が建っていたんですよね。その煙突が道後温泉周辺を整備して、1、2ヶ月くらいで消えたんです。周辺が整備されてきれいになったら、地元の人が気が付いて、持ち主に取るように言ったらしいですね。言われた方も「ごめんなさい」ってすぐに取ったそうです。
篠原 竣工したときは、派手なオープニングイベントをやったんですよね。スピーチを頼まれたので、今は愛媛県知事になっている当時の松山市長と、わざわざ浴衣に着替えて挨拶したんです。
道後温泉は整備されて、観光客に評判がいいよね。
南雲 ヨシモトポールは社員旅行に行きましたよね?
*7 一六タルト
愛媛県松山市に本社を置く製菓メーカー。四国銘菓の一六タルトが有名。
*8 坊っちゃん電車
夏目漱石の「坊っちゃん」に登場した、蒸気機関車を復元した、松山市内を走る列車。現在はディーゼルエンジンで走行。
*9 景観条例
良好な都市景観を形成することを目的として、地方公共団体が公布する条例。
小野寺 自分たちが関わった現場に、社員旅行で行くっていうのは良いですよね。何人ぐらいで行ったんですか?
森田 群馬も、滋賀もいきましたから、あわせると120人くらいで行きました。
バスシェルター
篠原 バスシェルターもつくったんだよね。
南雲 県道なんですけど、松山市が予算を出して、整備することになりました。最終的に6カ所のバス停にシェルターを設置しました。もうちょっと安ければ、20~30箇所くらいは出来たけど。(笑)
丸山 「もうちょっと」というよりは、相当安くならないとその数は無理ですよね。(笑)
南雲 屋根はアルミハニカム材で、支柱には熱押形鋼を使っているし、技術的には結構頑張ったんですよね。
北村 暴風壁はポリカーボネート板で、縦格子も熱押形鋼ですからね。
南雲 たまに見に行きますけど、意外と汚れていないのと、エイジングが効いていい感じになっているんです。さすが高いだけのことはあったな。(笑)
丸山 設計単価より、製造原価の方が高かったです。(笑)
南雲 出荷の前日に、工場に検査に行ったら溶接の仕上げが悪いところがあって、もう一回研磨して塗装し直してもらって、一日か二日遅れて納品したんです。
篠原 値段はいくらだったの?
丸山 300万円くらいです。
小野寺 バス停1個つくるのに300万円は高いね。
南雲 ホントは150万円くらいで売ることが出来ればいいんですけどね。
篠原 高いね。松山市はよくOKしたね。
小野寺 初めは県道のバス停を全部つくるって言っていたんですが、6基しか建ちませんでした。
丸山 うちもそういう意味では、やればやるほど赤字が増えましたよ。(笑)
北村 毎回、シェルターで問題になるのは屋根材なんですよ。
丸山 アルミハニカム材を使っても、ガラスを使っても、屋根だけで20万/㎡もします。
北村 だからと言って、折板でつくってもそれほど安くはならないので、目下の課題は安い屋根材を開発することでしょうか。
南雲 シェルターはバス停だけではなく、駅前のロータリーにも必要だしね。
間違いなく課題だね。