医学部受験した筆者の自己紹介

はじめまして、yoです。このNOTEを見てくださってる方々は医学部受験について考えてる親御さんや医学部受験を目指してる人がいるのではないでしょうか。3年間浪人をして合格を掴み取った医学部受験について自分の経験を発信していこうと思います。

僕は現在地方医大の3年生です。医学部受験をしたのももう3年も前になりますが今でもあの勉強した日々を忘れることはありません。受験について気になる人が多いと思うので小中学生時代については短く書いていきます。要望があればまたべつに細かく書いていきます。


小学生時代

小学生の頃は親の勧めかつ自分の興味もあり本をよく読む子でした。本もよく読んでいましたが外で遊ぶこともそれ以上に好きで近所の友達と日が暮れるまで遊んでいました。

小学5年生の時に親に受験をしてみないかと言われ何も考えていなかった僕は高校受験をしなくていいならやると気軽に始めたのですが友達と遊ぶ時間を削って勉強するのは本当にきつくこっそり抜け出しては親にバレて家に引っ張られる日々でした。

そんな中で成績が上がることもなく大変でしたが塾に行っている間は真面目にしていたため少しずつ成績は上がっていき県内で2番目の中学に入ることができました。

受験をすればもう勉強しなくてもいいやと思い込んで入学した中学、ここから勉強に関しては片田舎の小学校で頭がいいキャラだった自分とは真逆の暗黒時代に突入します。

中学、高校時代

中学生になってからは今までの反動で全くというほど勉強をせず中学生の時は200人の中で150番くらいを安定していたと思います。100番以上の人なんて理解できないぐらいの感じでした笑 

それくらい意識が高い子が多い学校だったと思います。その一方で僕は部活も毎日ハードにある学校で部活で疲れてる中夜遅くまでゲームをして学校は朝から部活までずっと寝て部活は厳しいから頑張るといった生活をしていました。

色々問題も起こしてしまいよく怒られていたなと思います。そんな日々を3年も続けていると周りととんでもない差が高校入学時にはできており高校入学時の偏差値は45くらいでした。一応高校受験組と同じ試験を受けるのですが4割くらいで高校受験をしていたら到底入れる学校ではありませんでした。

高校に入っても中学の頃から生活が変わることはほとんどありませんでした。理系200人中150番くらいで安定して再試験の常連でした。2年生になってクラス替えがあった時も特進クラスではなく凡クラと呼ばれる下位のクラスでした。

幸か不幸か凡クラでも自分が通っていた高校では頭の良し悪しで人を判別する人が少なく居心地は悪くなく勉強以外は充実した生活を送っていました。高校2年生の途中までは部活に所属していたのですがあまりにも成績が悪い自分に流石に焦り部活を辞める決断をしました。

勉強を理由に辞める自分に対して快く思わなかった顧問の先生とは喧嘩別れのようになり今では少し後悔している部分もあります。一生で一度しかできない高校生活あの決断が良かったのかは今でも分かりません。

部活を辞めて勉強に専念すると決心をしましたが元々勉強が習慣化していない自分が勉強をしようとしても本気でやってる人には到底及ばず、結局定期テスト前だけ頑張るだけでそれでいて対して成績が上がらないなんとも言えない状態になってしまいました。

勉強も部活も中途半端に終わりましたが高校生活は友人と楽しい生活を送れたので全てが悪かったとは思いません。いい思い出だったと思います。

そして受験までも家庭教師の方に教えていただいたりして勉強はしていたのですが上記のような生活を続けてもE判定しかとれず、医学部受験に対しても知識がなく最終的には私立の医学部を2校受けて一次試験で圧倒的に落ちて僕の現役の大学受験は幕を閉じました。

この頃からE判定しかとったこともないし偏差値も50ぐらいの自分でしたがなぜか絶対に受かるという意味のわからなすぎる自信を持っておりに親も常に呆れていました。しかしこの自信は受かった後に気づきましたが本当に自分にとって大事なものでした。

浪人生活に関しては三年間あるので次の記事で書いていこうと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございます。人となりは少し分かっていただけたでしょうか。部活も勉強も中途半端で中学、高校で落ちぶれた自分がどのようにして三年間の浪人の末医学部に合格したのか興味を持っていただけたらと思います。

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