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No.121 『PXという言葉への違和感』

極私的な話になりますが、高校受験を来年に控えた娘がいるせいか、街中にある学習塾の看板が最近、やたらと目に飛び込んでくるようになりました。世の中には実に多くの塾があるものだなと改めて感心させられますが、なかでもわたしの意識に引っかかるのは個別指導の「スクールIE」であります。この塾が掲げる「やる気スイッチ」というキャッチフレーズ、みなさんは気にならないでしょうか。「どこかにあるスイッチをポチッと押せば自動的にやる気が生まれるはず」という発想の根底に、あたかも子どもを統御可能な機械のように見立てる大人の浅はかな魂胆があるように思えてなりません。

「現代は操作主義の時代である」と臨床心理学者の河合隼雄が看破したのは有名な話ですね。操作主義的な発想は学習塾の世界だけにもちろんとどまりません。わたしたちの会社の中にだって存在するでしょう。否、わたし自身の中にも存在すると謙虚に言うべきでしょうか。「チームのメンバーの『モチベーション』をどうしたら上げられるかなあ」。考えてみれば、いや考えるまでもなく、これも立派な操作主義ですよね。「やる気スイッチ」を非難しておきながら、マネジメントとして実は自分もコントロール幻想に囚われている。それだけではありません。父親としても思い当たるフシがありました。「特別給付金10万円の支給で娘の歓心を買う」。これもやっぱり操作主義的な発想と認識すべきなのでしょう。

さて、今日の本題はここからであります。最近、「PX(ポートフォリオ・トランスフォーメーション)」という言葉を国内外の経営者が使い始めたそうですね。先日の日経新聞でも取り上げられていたので、ご存知の方も多いかもしれません。(7月2日「PXの時代がやってきた コロナが迫る企業の代謝」)。コロナによる人々の行動変容をきっかけに、本業のイノベーションにつながる新たな技術を「買い」、本業との連関性に乏しい非中核事業を「売る」ことによって、企業の新陳代謝を促す動きが強まることを意味しているようです。PXと略語化すると何となく新たな概念のように思いますが、言わんとするところは事業の機動的な入れ替えによって企業の労働生産性を高めようという、従来のポートフォリオ経営の考え方とそれほど変わらないように感じました。

「やる気スイッチ」と同様、PXとかポートフォリオ経営という言葉にもやはり操作主義的な匂いを嗅ぎ取ってしまいます。あるいは機械論的な企業観と言い換えてもいいかもしれません。「Aを取り除いてBに入れ替えたら性能がグッと上がる」。企業はそんな単純なシステムではないでしょう。むしろ、複雑化した組織には生命が宿っているといえます。拒否反応もあれば副作用もある。極めて繊細な挙動を示す高度な生き物ではないでしょうか。

もちろん、優れた経営者はそのことを知悉しているでしょう。たとえば、このnoteでもご紹介した堀場製作所の堀場厚会長は、かつてフランスの科学機器メーカーである「ジョバンイボン」を買収したとき、焦らずにじっくりと時間をかけながらグループの中に溶け込ませていきました。買収してしばらくは社名を「ジョバンイボン」のままに、そして次には「ホリバ・ジョバンイボン」と社名を併記し、社員の融合が図れたと判断した時点で「ホリバ・フランス社」へ最終的に社名を変更している。この間、実に20年。真のPMIとはまさにこういう時間軸での企業の努力を言うのでしょう。

反対に、操作主義的な発想による拙速な意思決定が企業の力を衰退させたケースもあります。もう15年も前の話になりますが、シチズン時計がシチズン電子を完全子会社化しました。当時のシチズン電子は携帯電話向けLEDが収益を力強く牽引する上場企業で、営業利益も時価総額も親会社なんて目ではない。まさにシチズン時計は「親の七光り」ならぬ「子の七光り」状態でした。その親孝行のシチズン電子を完全子会社化することによって、営業利益の嵩上げを狙うと同時に、投資家から指摘されていた親子上場の問題も解消できると考えたのでしょう。ところが、それはあまりに短絡的すぎた。本社のある山梨県ではファナックに次いで有名な上場企業というブランドを失った結果、シチズン電子の従業員のロイヤリティがダダ下がりの状態に。しかも、設備投資の意思決定権がシチズン時計に奪われたことでスピード感のある判断ができなくなりました。時計と部品ではやはり「時間の流れ」が違う。結局、シチズン電子はLEDの世界であっという間に競争力を失っていきました。

企業に提案する立場のわたしにとっても当然ながら他人事ではありません。仮にM&Aを提案するにしても、機械論的な企業観ではなく、いわば生命論的な企業観に立って、深みのある細やかな発想を心がけたいと思う今日この頃であります。

そういえば先日、中学一年生の次女に何気なく話しかけたら、「キショイッ!」と言われてしまいました。こんな残酷な言葉を誰が発明したのでしょう。あぁ、どうしたら手っ取り早く娘の歓心を買えるのだろうか・・・・


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ゆういち@証券アナリストの『私的な企業分析』
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