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我が子がうちにやってくる!

11月に子どもが産まれましたが、早産児・極低出生体重児のため産まれてからずっと入院しています。
母体(自分)が退院してからは、家などで母乳を搾り、それを病院へ届ける日々を送っています。
生活が一変しますね出産は!
SLEで入院したときもそうだったけど、やたら体液の提出を求められる人生です。

母乳を搾るのは3時間おきくらいがいいらしいので、そうするよう努めていますが、ちゃんと搾るタイミングをあたまに入れるとか、アラームを鳴らすとかをしないと、スケジュールがどんどんずれこんでいき、ダメになってしまいます。
無意識に日常生活を送ってしまうと、3時間ってあっという間で、なんだか一日中乳搾りばかりをしているような気分です。実際そうなんだけど。

さて、産まれてから2ヶ月半ほどが経ち、子どもの体調もだんだんよくなってきて、退院の目処が立ちました。
今は当然のように(かわいいなあ、もうすぐ家に来るなあ)と思っているけど、そう思えるようになったのは奇跡のようなことで、
忘れてしまいそうなここ半年くらいの状況や気持ちの推移を書き残しておこうかなと思います。

2024年7月

妊婦健診に通い始める。最初は順調。でも2023年のことがあるので、エコーは常にドキドキ。心臓よ動いていてくれ。

2024年8月

仕事がとても忙しくなる。仕事に終わりはあれど辛い1ヶ月。8月後半に妊婦健診で「赤ちゃん小さめです」と言われる。

2024年9月 

妊婦健診で赤ちゃんの発育不全と腹水を指摘される。妊婦健診の頻度は2週にいっぺんほど。

2024年10月 

上旬、赤ちゃんの小ささがさらにひどくなったようで「赤ちゃんに異変があれば早めに取り出す可能性がある。いつでも入院できるようにしておいてください」と言われる。全然実感がわかない。胎児水腫という状態のようで、予後は悪いらしい。入院の準備と言われても・・・自分の体調は悪くないので言われていることと現実が結びつかない。ただエコーを見ると赤ちゃんに水が溜まっているのはわかるので、ただごとではないのだなという感じ。胎動はいつも元気に感じる。仕事はまた忙しくなりかけるも、母健連絡カードというものを行使し、時間外勤務がまったく免除される。とにかく赤ちゃんに大きくなってほしくて、職場の先輩からいただいたアドバイス「赤ちゃんに声をかけると願いが叶うよ」を実行し、毎日「おおきくなあれ」と言って過ごした。果たして赤ちゃんは願いを叶えてくれ、下旬の妊婦健診では、止まりかけたかと思われた赤ちゃんの成長が回復したので、このまま妊娠継続で様子を見ていきましょうか!と前向きな言葉をもらえた。妊婦健診の頻度は週に1回。

2024年11月

夫の宮城長期出張が控える中、おれが出血する。長期出張の準備の邪魔になるのは嫌なので、病院に連絡するのを1日のばしてしまった。満を持して連絡して受診すると、やはり即入院。入院かなと思っていたけど、本当に入院になるんだ・・・とびっくり。産科医たちから「今週中のお産になると思う」と言われるも全く信じないおれ。入院2〜3日目はかなり産まれそうだったっぽいが、なんとか耐えて2週間を病室で過ごす。張り止めの点滴のキツさに驚き。今まで体調の良い入院しかしたことがなかったので、張り止めの点滴の副作用で頻脈、動悸、息切れ、頭痛があり、日記も書けないのはきつかった。入院から2週間後、夫が宮城での最後の出店を終え、帰路についたところで破水。破水したときの絶望といったらなかった。34週までおなかにいてもらわないと元気な子は望めないと思っていたので(そういうリスクの説明を受けていたので)、たった31週で完全破水してしまってもう終わりだと思った。緊急帝王切開怖かった。医療従事者のみなさんの仕事っぷりがかっこよかった。産科の先生の「赤ちゃん出るよ」の発声とともに鳴き声が聞こえて感動した。急に子を産んだので実感に乏しいが母になったらしかった。宮城から帰ってきた夫が病院に到着したころに産まれたとみられる。
夫とNICUに通う日々が始まった。
あつあつの保育器の中で呼吸器やら点滴やら胃管やらモニターやらをたくさんつながれほとんど眠っていた子が、だんだんと目を開けてくれたり、動いてみせてくれたりするようになっていった。

2024年12月

日が経つにつれ、子は点滴がとれ、呼吸器が簡素になっていき、ご飯の量が増えていった。12月中旬くらいからどんどんと体重を増やしていった。12月末には産科の先生から「今まで見た胎児水腫の中で一番経過がいい!元気になって本当によかった」と言われ、小児科の先生から「安定期に入りました。あとは体を大きくするだけです」と言われた。とてもうれしい。

2025年1月

NICU(新生児集中治療室)からGCU(体を大きくして哺乳力をつけて退院への準備をするところ)へ移動。かわいすぎる我が子を見て日々幸せ。うちにやってくるの?どうしよう!(喜)と思っている。

まとめ

産むまでは
胎児水腫で産まれた赤ちゃんはどんな病気が隠れているかわからず、
⚫︎生命の危険の可能性があり、
⚫︎命は助かったとしても障害が残る可能性がある 
と言われてきたので不安一色だったが、
子はだんだんと元気になってきたし、12月下旬ころから「なんだ、先生病気のことなにも言ってこないや。病気なんてないのか?」という感じになってきた。
⚫︎服着れるの?口からミルク飲めるの?お風呂入れるの?
⚫︎もしかして退院して家にやってくる?
急に元気な赤ちゃんが手元にやってくる可能性が起き上がってきた。まったく逆の心の準備をしてきたので、赤ちゃんを受け入れるための物品の準備が全然できていなかった。
今、急いで準備中です。
退院まで、あと2週間強!


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