冥王の娘 pixivからの転載
――お祖母ちゃん。
十に満たない少女が年老いた女性にせがんでいる。空想好きの末子は家族で一番、老婆に懐いていた。他の兄弟と違い内向的で非活動的な孫娘の遊びは祖母のおとぎ話に耳を傾けること。
女性は「はいはい」と手にしていた編み物を横に置き快く応じた。
物語は始まり、少女は祖母の声で紡がれる空想に聞き入る。
ある少女には物心ついたころから父親と母親がいなかった。叔父の家で育ち、勉強と家事手伝いが主な仕事だった。
うららかな日曜日の午後。彼女は乾いた洗濯物を取りに行った庭先で長い事使われていなかった古井戸に謝って落ちてしまう。彼女が目を覚ましたそこは冥府だった。
「その子は死んでしまったの、お祖母ちゃん?」
「そうねえ」
祖母の話に身を乗り出すのと同じタイミングで廊下側から扉が開かれた。孫の父親、老婆にとっては息子だ。学校の宿題をさぼっていることが彼には漏れているらしいとその顔と声で分かる。
駄々をこねる孫と怒りながらも困っている様子の息子を見かねて老婆は息子の味方をした。
宿題が終わってからまたおいで。
祖母の嗜める声に孫は渋々と父親について部屋を出て行った。急に静けさを手にした室内で老婆は窓の向こう側を遠く見上げる。
「……あなたはわたしにとって、父と呼べる存在でした」
おとぎ話を本気にしたつもりはなかった。
ただ、ほんの少し自分にもあったはずの当たり前の日常を取り戻そうとしていたのかも知れない。両親と幸せに暮らしていたかもしれない自分の姿を枯れた古井戸の先で。
そこで出会ったのは寡黙な『夜』を体現した冥府の王。
人体としては恐らく仮死状態だった老婆はその魂のまま冥府と現世をつなぐ川岸にたどり着いた。予定にない魂の訪れを歓迎しない冥王が帰れと忠告するも聞かず老婆は冥府への逗留を頑として崩さなかった。
「奥方さまの好意に甘えて、ずいぶんと……あなたを困らせてしまいましたね」
優しい冥王。
死す予定にない人間の管理まで請け負うつもりはないと、渋い顔をしていた。それなのに、親を求めて泣き喚いた自分を抱き寄せてくれた。血がつながっている人間にすら甘えられない身にどれだけ嬉しかったことか。
「そう言えばね、久しぶりにあなたの夢を見たのですよ。そろそろ迎えも近づいてきているのかしら……なんて」
身体は魂を収める箱である。箱から長く離れた魂は冥府をさ迷い、消滅する。そうでなくとも魂が地上に戻るのが遅くなれば肉体の衰弱が進行してしまい最悪死に至る。そして冥府に遺された魂はタイムリミットを迎えてしまえば、転生もできず自我を喪い消滅を待つだけのものとなる。
父と母は見つけられなかったが、地上で換算して七日目。老婆は冥王の計らいで地上へと帰ることになった。
一度でも地上へと足を踏み出せば決して振り返ってはならない。
去り際、表情の見えない冥王は老婆にこんな言葉をかけた。
「ーーお前の行き着く先には私がいる。また会う日まで息災で」
まるで贈り物を手渡すかのような優しい声音で。
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