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夜空に主張する音楽たち

皆さん初めまして、夜桜です。本サイト初投稿です。

数か月前にnoteを始め、様々な投稿を見ているうちに、自分も日常の中で考えたこと・感じたことの中で世に発信したいことを記事としてまとめてみたいなと思い、筆を執らせていただきました。

慣れない部分も多く、拙い記事になってしまうかもしれませんが、読んでいただけたらとても嬉しいです。


今回は、先日行ったプラネタリウムでの体験をきっかけに、範囲はかなり狭いですが、娯楽における音楽についての考えをまとめてみました。

-index-
1. 天球と歌謡曲
1.5. 天球と歌謡曲・リターンズ
2. たまや・かぎや・ヒット曲や?
3. おわりに


1. 天球と歌謡曲

先日、十数年ぶりにプラネタリウムに行ってきた。今までは学校行事でしか行ったことがなく(今回行ったのとは別の場所)、自主的に行くのはこれが初めてだった。

前々から行きたいとは思っていたものの、場所が遠く、かつ自分が出不精なのもあってなかなか行けずにいた。


施設の公式サイトを見ると、プログラムが何種類か載っていた。それぞれのタイトルと大まかな内容をざっと見て、「まあこれでいいか」と、大雑把に見たいものをフィーリングで決めたのだった。


今思い返せば、あの時プログラムの詳細を細かく見なかったことが、この記事を書くきっかけに繋がったのかもしれない。


いよいよ当日。

その日はたまたま平日で、お昼時だったのもあってか来客は私含めて大体10人前後と、とても空いていた。

混雑してなくてよかったなあと思いながら、リクライニングシートでリラックスタイム。

ナレーターの声を聞きながら、風景や星空の映し出される天球をぼんやりと眺める。

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しばらくすると、真っ暗な空が映し出され、ちょっとした説明と共に星座が浮かび上がってきた。

やっぱり星座はロマンチックでいいなあ、と思っていた、その時。


ナレーションが終わり、突然、あらたまったようにピアノの音楽が流れてきた。

別のBGMに切り替わったんだなと私は一瞬思った。



けどちょっと待てよ、これはどうもクラシックではなさそうだし、何なら私も知ってる歌謡曲のイントロっぽいぞと。


まさか歌入りじゃないだろうな?この非日常的な空間との調和を考えれば歌無しで流してくれるんだろうな?


歌入りだった。

私の知らない誰かによるカバーだった。


次々と浮かびあがる星座と共に流れるのは、いかにも恋愛ドラマや"感動モノ"の再現ドラマの視聴者を泣かせようとする場面でよく流れていそうな音楽。

スーーッと冷めていく私の気持ち。

普段なかなか味わえないような癒しの空間から、一気に現実世界に引き戻されるような心地。


日本語の歌詞付きの音楽はその後も二曲ほど続いた。

二曲目以降はどれも知らない曲だったが、「どう、どう?感動的な雰囲気になったでしょ?泣けるでしょ?」と言われているように感じてしまうことには変わりなかった。
(少し捻くれすぎただろうか……)


けど星空は綺麗だぞ。せっかくお金払って見に来たんだから楽しまなきゃ損だぞ。

そう自分に言い聞かせながら、普段ポップスをあまり聞かない私は一人、暗闇の中で半分冷めた顔になりつつ天球のショーを味わったのだった。


その途中で私は、「娯楽の過剰な演出」に関連して、約5年前に某水族館で見た『あるもの』を思い出した。それについては、後日また別の記事に書きたいと思う。


ショーが終わり、後でチラシの裏面を見ると、そこには堂々と、日本の歌謡曲と共に星空を楽しめるという旨が書いてあった。


これちゃんと内容確認しなかった私も悪いじゃん。

公式サイトをちゃんと見れば書いてあったのでは?


と反省しつつ、今度プラネタリウムに行くときは、途中で流れる音楽までちゃんと確認してから行こうと心に誓ったのだった。


1.5. 天球と歌謡曲・リターンズ

その約1か月半後、再びプラネタリウムに行く機会があった。

前回の反省を生かし、挿入歌に歌詞付きの音楽が使われていないプログラムを探した。

あれでもないこれでもない、と探しているうち、一つだけあった。


なんでそこまで歌入りの音楽を流したがるのだろう……?

そのほうが一般的に受けがいいのだろうか……?


……と言ってるお前こそ、何故そこまで「歌入りの音楽」を避けたがるのか。

そう思われる方もいるだろう。


私が人一倍、背景で流れる音楽にうるさいのもあるかもしれないが、プラネタリウムのメインである幻想的な星空のショーに、街のあちこちに流れているような、歌が主張している音楽が介入してしまうと、どうもモヤっとしてしまう。


やはり、プラネタリウムのような、普段の喧騒から離れたひと時を味わえる空間ならば、ゆったりとしたインストゥルメンタルや環境音楽こそが相応しいのではないか。BGMがそこまで主張する必要はないのではないか。

と、私は考える。


しかしプログラムの中には、星空にぴったりな歌謡曲を楽しもうというテーマのものもあり、それらにいちゃもんをつけたいわけでは断じてない。それは星空のショーと一緒に歌謡曲を楽しみたい人に向けたものなのだから。

今挙げたのが、歌謡曲を主題とするプログラムであるのに対して、他のほとんどのプログラムにおいては、音楽はショーを彩る装飾の役割を担っていると言ってもいいだろう。
多くのプログラムで、その装飾がやたらと主張しているのが、私にはどうにも納得がいかない。


先日行ったプラネタリウムに話を戻そう。

公式サイトにあったとおり、美しい風景と星空が映し出され、ナレーションとともに静かに流れていく。

これは前回見たものよりもよさそうだぞ。

そう思った矢先。


サイトにもパンフレットにも書いてなかったポップスが、突然流れてきた。

「なんでやねん!」と思わず突っ込みを入れたくなった。


けど、ショーの中盤で流れたそれは2、3分ほどで終わり、それ以降は主張の激しい音楽は流れてこなかった。

映像もプログラムのテーマから少し離れていて、ちょっとした箸休めの時間だったのだろうと捉えることにした。


もちろん、音楽そのものには罪はない。

ただ、プラネタリウムの装飾として主張の激しい音楽を流すのはどうも納得がいかない。

という新たな考えを、十数年ぶりのプラネタリウムで得ることができた。

いずれ、幻想の世界に完全に引き込まれた気分になれるような、理想のショーに出会えるといいな。


2.たまや・かぎや・ヒット曲や?

娯楽における音楽と言えばもう一つ、私がどうしても納得できないものがある。


それは、「花火大会で流れるヒット曲」だ。

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どーん。


これもプラネタリウムの時と似たような考え方になってしまうが、花火が打ちあがると共に、ここぞとばかりに巷で流行っている曲を流されると、「お前らどうせこれで感動するでしょ?」と言われた気分になり、かえって冷めてしまう。
(やはり捻くれすぎだろうか……)


極端な話、空に打ちあげられてから、ぱらぱらと消えていくまでの花火の音と、盛り上がっている人々の歓声、そして必要最低限のナレーションでも十分なのではないかとすら感じる。

BGMをかけたいならば、日本の伝統文化に相応しい、風情のある音楽を流してほしいものだ。


そのテーマが先日、毎週見ている某バラエティー番組でも話されていた。

進行役の人たちも、花火大会に余計なBGMは要らないのではと言っており、うんうん、やっぱりそうだよね、と、赤べこ人形みたく激しく頷きながら番組を見ていた。

このご時世で、今年は各地の花火大会が軒並み中止になってしまったが、再び開催されるようになったら、一体どんな音が、華やかな夜空と共に響くのだろう。


3. おわりに

この二つのシチュエーションにおける音楽について、言いたいことを短くまとめると、

「場を盛り上げようとしているのは十分わかる。けどそこまではしなくていい」。

これは、前半で書いた"水族館で見た『あるもの』"に対しても言える。

 繰り返しになってしまうが、これについても近いうちに記事としてまとめたいと思う。


今回の記事はあくまで私の考えを述べものであり、自分が納得できないものを排除しようなどという意図は断じてない。

もちろん、花火大会におけるBGMの有無については人によって意見が分かれるだろうし、大音量で歌謡曲が流れる星空のショーに対して純粋に「素敵だな」と思う人もいるだろう。


音楽には、人々の心を豊かにしたり感動させたりする力がある。

しかしだからと言って、どの場面に何を流してもいいというものではなく、更に言えば、どの場面でも巷で人気の曲を流しさえすればいいというものではないと、私は思う。



ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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