
葛藤を超え、送られた【ラヴ・レター】 ~パラコレ凛世感想~
どうも、TK(@TK_HoCliP)です。
なんか酒飲んでたら急に担当のパラコレが実装されました。ほわ……

かわいそう
爆速でコミュを読んで面白かった、ということで珍しくコミュ単体の感想ポチポチです。
いつも通り過去コミュの引用はいっぱいあります。あと凸手紙の内容が載ってるので、まず自分で見たい人はそうしてください。

結局時計の時間何も関係なかったのメチャクチャ笑う、めぐるはもう片方だったし
以下常体。
1.手紙について
さて、パラコレには2凸するとアイドルからの手紙を読める、という(悪魔みたいな)仕様がある。
凛世と手紙、というと思い浮かぶのはSTEPであろう。凛世STEPがパラコレ第一弾の発表後の実装であることや、STEPのコミュ名が『出さない手紙』であることから、以前からSTEPとパラコレの間につながりがあるのではないか、とは以前から考えられていた。(というか普通に狙いすぎだろ、凸手紙用意したのって、ほぼこのためじゃないか?)
そして、実際にSTEPの手紙の続きは【ラヴ・レター】中で描かれた。その内容はアイドルとしてだけではなく、「ひとりの女性として」隣を歩きたいというものであった。


シャニマスでここまできっぱりとした告白を見る日が来るとは思っていなかった

かつてあったような誤魔化しは、もう存在しない
この手紙はコミュ中で(少なくとも)一度、出すのを躊躇っている。【ラヴ・レター】はそのタイトルからも、手紙を巡る凛世の葛藤がテーマの一つであることは間違いないだろう。
2.葛藤、そして決意
いつの日か凛世が好意を真っ向から伝えなくなった理由として、「関係性の決定しない今を楽しみたい」があったことは今までも描かれていた。そして、その裏には「関係性の決定に対する恐れ」があったことも【ラヴ・レター】では描かれる。
であれば【ラヴ・レター】で告白をしたということは、これらを上回る理由が生まれたからだと考えられるだろう。ここではその理由について考えていく。

常磐(緑)は、(その漢字からも分かるように)永遠性を描くものとして凛世コミュで描かれる

『こひぶみ』で出せなかった手紙についての話が、緑の封筒からこれが出てくる
やりすぎだろ!
『こひぶみ』で出した手紙を、やはり出すのをやめ、誠実さのために新しく書き直した手紙を添付している可能性もある(って読んでいる人もいた)のだが、緑の封筒だから多分ないと思う
やりすぎだろ!
2.1 紡いだ時間~カメラ~
『とけなひ』や『こひぶみ』では、ペアウォッチのPR撮影の空き時間に水族館や観覧車を楽しむ様子が描かれる。
撮影以外にプライベートな時間を楽しむ様子は、以前から描かれている「アイドルとプロデューサーとしての関係」だけではなく「二人の人としての関係」も楽しみたいという凛世の欲であり、特に【われにかへれ】以降で幾度も描かれている。

その代表みたいなコミュ
ローポジションがカメラ用語であり、いつもと違う視点を示すことからも、特に意識的に描かれているように感じられる
このような「二人の人としての関係」が未来まで続いていることは、後の彼女の決断に大きな意味を持つため、先に記すこととした。
2.2 『大人』と『子ども』~時計~
アイドルとプロデューサーの関係において「生きてきた時間の差」は重要な点であり、この差は「大人と子ども」という関係として描かれることがある。

一枚で説明できるやつ

真乃の同級生に、という場面ではあるが、一応
「知ろうとすること」の重要性が描かれている発言ではあるのだが、それだけではなく生きた時間の差が大人と子どもとして描かれている側面もあるだろう

LPや【両手に兄!】から兄と妹、というイメージの強いが、本コミュでは大人と子どもとしての側面が強く押し出されている
そしてこれについて、凛世は「相手は『大人』であり自分は『子ども』である」と考えており、プロデューサーは追いつき隣に並びたい人として描かれている(以下、純粋な年齢ではなく、自認がどうであるかを語っているものを『』をつけて記す)。

ここではプロデューサーが追い付きたい対象として描かれる
これは、4thの手紙や常咲の庭からも読み取れるだろう
一方でプロデューサー自身は大人としてアイドル達を支え守りつつも、自分には『子ども』っぽい部分があり、まだ『大人』ではないと考えている様子が存在する。

私はここのプロデューサーを、自分の中の『子ども』を自認しながら、大人として『子ども』と考えていると理解している

先ほどの凛世の独白と対になるプロデューサーのセリフ

凛世がどんどん『大人』になっていく様子を感じているプロデューサー
勿論、二人はアイドルとプロデューサーだけではなく二人の人として、隣を歩いていることは理解している。だがそれでも、二人の人として立つ時に認識の差はあったのだ。
ここまでを纏めると、
・凛世→プロデューサー
『子ども』から『大人』になることで、大人であるプロデューサーの隣に並びたい
・プロデューサー→凛世
自分には『子ども』な部分がありながらも、大人としてアイドルは守りたい
と考えていたと思われる。
これについて、両者は『子ども』な部分がありながらも大人になっているという点で共通しているが、『子ども』な部分との向き合い方で差があると言える。つまり、プロデューサーにとっては、『大人』と『子ども』は自分の中でグラデーションのように存在し続けるものであると認識している一方、凛世は『大人』だけになった時に初めて大人になると考えていた。
『おそろひ』では大人になった凛世がプロデューサーと打ち上げをしているが、ふとした瞬間にプロデューサーが上のように考えていたことが漏れ出た。この瞬間に凛世は、プロデューサーも『子ども』でありながら『大人』らしさを身に着け、大人であろうとしていることに気付いたのだ。
つまり「プロデューサーの横に並ぶ」、とはプロデューサーに追いつくことではなく、既にプロデューサーと並んでいることに気が付くことだったのだ。

二人の『子ども』は『大人』に憧れていた


自分の憧れは、自分と同じく『子ども』らしさに悩む、そんな一人の人間に過ぎないのだ
二人の時間はそろえるまでもなく、初めから揃っていたのだ。
隣を歩いている自覚を持ったことで対等性を意識したことは、間違いなく手紙を出す後押しとなっただろう。

2.3 おもひで~手紙~
さて、目玉ともいえる手紙だが、余白がとてつもなく大きい。告白に対する答えは一切描かれないのだ。(無論前述の通り、そもそも出してない可能性すらあるが、私はそう考えていないため考慮しないものとする。)
当然OKが出れば御の字であるのだが、可能性としてそうではないことも考えられる。事実として凛世が一度手紙を渡さなかったのは、その可能性がよぎったからでもある。



だいぶ似ているところがある
【輝いてアンドロメダ】も【ラヴ・レター】も、関係を決定付けるような大きな決断に踏み出す勇気と葛藤が描かれている点で、共通点は多い
では何故その可能性を押し切って手紙を出せたのか。
勿論「2.2 『大人』と『子ども』~時計~」で述べたように、隣を歩いているという気づきが背中を押してくれたのは間違いないが、他にも理由はあると私は考える。それこそが「2.1 紡いだ時間~カメラ~」で述べた、「二人の人としての関係」である。
凛世はこれまで、プロデューサーとアイドルとしてだけではなく、人としてもかけがえのない時を過ごしてきた。今まで紡いできた二人の大切な、楽しい、ときめく時間は色あせることなく脳裏に焼き付いている。

この選択肢ヤバない?

耳を澄まし続けた一瞬一瞬の思い出
この思い出こそが、彼女の背中を押すもう一つのファクターであろう。
日々を紡ぎ重ねた思い出は、凛世のプロデューサーへの想いを強め、一度は弱気になった凛世の背中を押し出している。

アイドルとしての思い出も、知らなかったものの思い出も、

世界を広げたプロデューサーとの思い出はかけがえのない物であり───

───その思い出は凛世がプロデューサーを思う気持ちを加速させる。
そして、仮に今はその恋が叶わなかったとしても、この掛け替えのない思い出は決して色あせることはない。思い出の日々は尚も暖かく背中を押し、アイドルとしてプロデューサーの隣を歩く日々は続いてくのだ。
この救いもあってこそ、彼女は告白に踏み切れたのだと私は思う。

それでもゴンドラは回る
そしてゴンドラは新しい思い出を紡いでくれる
3.感想やあとがき
まず私は、このコミュを読んで素直に嬉しかった。
まず、しっかり手紙を出す選択を描いてくれたこと。
STEPで未回収だった手紙を、その続きを含めて渡してくれたことは勿論嬉しいのだが、そこはまだ予想がつく範囲ではあった。寧ろ、凛世が恋心を誤魔化すことなく素直に伝えるという、【ラヴ・レター】というカード名に恥じないような直球なことをしていることが特に嬉しかった。

ステージの上で魅了するとも決めている以上、そこに凛世自身が満足がいかなければ、好意を伝えない未来があってもおかしくないと私は考えている。
それでも、ここが伝える未来ならば、誤魔化すことなく伝え、伝わって欲しいと思っていた。
また、プロデューサーが「一人の対等な人間である」と、凛世が気付いたことも嬉しかった。
今までの凛世とプロデューサーの関係は、アイドルとプロデューサーとしてだけではなく、人としても、隣を歩くものではありと理解しつつも、『大人』と『子ども』という関係性に捉われている部分があった。
そのため、日常のふとした瞬間の気づきからこの関係性から脱却し、真に対等性を意識したことは喜ばしい物であった。

私が好きな対等性っぽいやつ
そして何より、凛世にとってプロデューサーとの思い出が大きな意味を持つもであると、丁寧に描かれたことを嬉しく思う。
告白をするための後押しとしてだけではなく、恋が成就しなかった時に残ってくれるものであると描かれていた。その成否に拘わらず、「思い出の存在自体が嬉しい」と描かれていて本当に良かった。
いつか訪れる別れがあるとして、「ああ、出会わなければよかった」ではなく「それでも、掛け替えのない思い出をくれて嬉しかった」と考えられることは、私が放課後クライマックスガールズ、延いてはシャイニーカラーズが好きな理由であるからだ。
時は過ぎるよ だからもう歩いてくよ
だけど大丈夫 この胸にあるから
ずっとずっと 忘れないよ
作詞:古谷真 作曲:小久保祐希・YUU for YOU 編曲:YUU for YOU

別れた後が辛くても、二人過ごした日々の思い出は掛け替えのない残るものだ

放クラとの日々も同じくらい大切な思い出であると、描かれているように見える
その他にも嬉しいところはたくさんあった。成長しより大胆な誘い方をする様子、プロデューサーから魅力的だとしっかり言われている様子、相変わらず積極性があり一人暮らしにも挑戦する様子など……
最後の余白を含め、何度でも楽しめる素晴らしいコミュだった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
それでは~

この凛世めっちゃ強いんで引いた人はグレフェス、しよう!
分からないことがあったら聞いてくだされば答えられる範囲で答えます
4.追伸「思い出演出と衣装名について」
全然こっち考えるの忘れてました(アホ)。フォロワーが思い出の話するまでマジで思いついてなかった。おかげさまで当日中に追記する羽目になった。
思い出アピールで特に目を引くのは凛世の踊りが墨として描かれており、そこから色と景色が生み出されている点。

かっこいいね
凛世と踊りといえばLPだが、凛世はここで「踊りとは手段に過ぎず、伝えたい想いを乗せてこそ人の心が動くものになる」ということを知った。
凛世の踊りは、踊りとして完成されてこそいようとも墨で描かれた水墨画でしかない。そこに「プロデューサーを魅了したい」という想いを乗せたことで、墨の濃淡は景色を生み出し、人の心を動かし魅了する。
私が長きに求めていた、杜野凛世がアイドルとして我々をどう魅了しようといるのかの、一つの答えがこの思い出演出なのかもしれない。

フェス衣装名はゼンマトイマウハゴロモ、禅纏い舞う羽衣といったところだろうか。
凛世の舞は水墨画であるかのように描かれるが、水墨画は英語でZen Paintingと言うらしい。
そう考えると、この衣装名も踊りという手段を纏い、踊る凛世のことを指しているように思われないだろうか。
今度こそ本当に終わり。