プロセカにおける「各セカイの初音ミク」についての雑記。
ツイートするにも重いし、長いし、せっかくならこっちに書くか!という次第です。今から話すことは全部私の妄想です。限界拗らせオタク注意報。
”初音ミク”の解釈はきっと人によって微妙に違う
初音ミクって結局何ですか?ボーカロイドって何?と友達に聞かれたら、あなたはどう答えますか?おそらくボーカロイドのオタクであればあるほどわからないのではないでしょうか?少なくとも私は奇声をあげ気絶してしまいます。
試しに「初音ミク とは」とかググって、各ページ(の編集者)がどのように解釈しているか調べてみました。以下、最初の一文です。
こうしてみると微妙なニュアンスの差が垣間見れて面白いです。特にコトバンクの「擬人化」されたボーカル音源という発想は個人的に面白い表現だなと思いました。歌声の擬人化という概念、なるほどね・・・
最後に、クリプトンの出してる製品紹介も引用しておきます。
ミクって人間と同じように多面的な存在だと思います。上記の説明の中にも「音声合成ソフト(ウェア)」「ボーカル音源」「歌声のシンセサイザー」「バーチャルシンガー」「ピアプロキャラクターズ」や「キャラクター」と色んな面が出てきました。
実際はもっと沢山の面があると思います。
各クリエイターはこれらの面を単一または複数切り取ってその面の良さを生かし曲を作り、絵師がその曲のまた多面的な部分を切り取って絵を描き、動画師が絵と曲の面を継ぎ接ぎして投稿され、私たちリスナーはその作品のどこかの(あるいは複数の)面を愛好する。
こうしてみると、私の見ているミクは単なる一つの憶測なのであり、正解はない。だからこそ、リスナーによって「初音ミク観」は微妙に違うのではないかと思う。
よって、ボカロリスナーが多くプレイするであろう「プロセカ」での「初音ミク」の扱い方には、リリース前から非常に興味がありました。
プロセカは規模の大きい二次創作という考え方
「プロセカ」リリース前後、バーチャルシンガーたちの在り方について多くの議論を呼びました。例えば「初音ミクを冠するゲームなのにメインキャラが違う」とか、まあいろいろ。
個人的にはこの落としどころは妙手だな、と思いました。ボーカロイドと人間の関係性に対する自分の解釈と個人的に合致したな、と勝手に握手を求めようとしてます。もちろん心の中で。
各セカイの初音ミク、ドラえもん的存在じゃないか論
タイトルがまあ語弊を呼ぶ言葉選びとなってしまいました。
プロセカにおける初音ミクらバーチャルシンガーは、オリジナルキャラの悩みや喜び、苦しみなど多くの感情を共にしながら、彼らの背中を押し、支え導く役割を担っています。
そして、バーチャルシンガーは彼らの中にある「本当の想い」に気づいてもらい、共に歌うためにuntitledとして生まれます。そして本当の想いに適したミクの姿やセカイの姿であり、オリキャラの想いに合わせてセカイも変わり、バーチャルシンガーの数も増えます。
ドラえもんは、のび太のくだらない悩みから壮大なミッションまで、いろんなことと付き合いながらのび太の冒険を見守り、支えている存在です。
そして、ドラえもんはのび太の未来を変えることでのび太の子孫であるセワシという人物がそれなりに生活できるようにやってきた、と言われています。
なんか似てませんか?
第三者の視点から成長を促し、見守る存在であることに共通しています。そしてどちらも人間ではありません。しかもおそらくどちらも感情があります。人間のように普通に接してきます。
きっとプロセカのオリキャラの子たちにとってセカイミクはドラえもんのように「いろんなことを教えてくれたり、辛いときは一緒に泣いてくれたり、人間のように接してくれる憧れのような存在 大好き」ではないでしょうか?
現実での、VOCALOIDと人間
プロセカでのセカイの名前は最初は「Untitled」。これ、VOCALOIDのソングファイルの初期設定なんですよね。そして、キャラが本当の想いを見つけることでUntitledが変化し、それぞれのセカイに即した名前になります。
これ、現実でも同じことではないでしょうか?
いや、残念ながら我々のスマホに突如Untitledが現れることはないのですが。うるせえ!
曲には作曲者の想いや心情が余すことなく組み込まれていると日々感じています。じゃないと人の心を打つのは難しい。
そんな作曲者の心情や思いを「本当の想い」として流し込み、歌詞や曲の雰囲気をミクやセカイの姿や言葉遣いとして反映させるという、曲作りという創作活動に対するあまりにも壮大な例え話だと考えています。
そしてオリキャラのミク観が曲を通して「いろんなことを教えてくれたり、辛いときは一緒に泣いてくれたり、人間のように接してくれる憧れのような存在」な人もいるのではないでしょうか。その気持ちを投影し、ミクたちはオリキャラの「ドラえもん」になったのではないかと勝手に推測しています。
うーん、伝え方が難しい・・・伝われ・・・
最初に「ミク観」は人によって違うし、クリエイターも例に漏れないしそのミク観という多面体の中から一つの見え方を切り取って作品を作っているという話をしました。この「クリエイターごとのミク観の違い」をセカイやミクを通して体現しているのではないかと私は確信しています。今のところ。
このように「セカイによって違うミク」がいることで私たちの微妙に違う”ミク観”を肯定しているように感じました。
結局、ミクという概念が何面体なのかは誰にもわからない
プロセカの世界観において、いわゆる「真ミク」と呼ばれる存在がいます。最初に出てきて以来、たまに出てくるレアキャラなあのミクです。
正直謎が多いセカイの狭間。自分も正直よくわかりません。
私は、私なりのあのミクに自分の中のミク観を勝手に投影しています。
プロジェクトセカイという私の比較的望んでいたプロジェクトを、ミクが沢山の人の背中を押していてほしいという私のなかのミク観を投影してもらっている感覚になっています。
でも結局のところ真ミクにたいしてはただの私の想像の押し付けだし、真ミクは謎が多いからこそいろんなユーザーのミク観を投影できると思います。
私の押し付けたミク観もしょせんはミクという多面的存在の中の一部を切り取ったミク観だし、多面の全てを知ることはきっとないと思います。
でも自分なりのミク観を愛したいし、リスナーとして愛していきたいなと思っている次第です。
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