ビーガニズムから学ぶコミュニティケア
週末に数年ぶりに近所のカフェへ。
亜紀書房の「たぐい」Vol.3 ティム・インゴルド特集をお供に。
私自身が人類学として中心に捉えているインゴルドは、人類学を「世界に入っていき、人々ともにする哲学」と定義している。(インゴルド 2020:9)
他者から学びいかにして生きるか、を問い続ける実践としてのインゴルドの人類学は、医師という仕事をしながら「コミュニティとケア」を考え実践することを主題にしている私にとっても、あるいは関心を重ねる同志にとっても大いに示唆を与えてくれると思っている。
手元にある「たぐい」は、「他者」を人間だけではなく「マルチスピーシーズ」にまで、さらにはインゴルドの語るような“生きている”物質との関係にまで広げ捉え直すような人類学の論集だ。
論集を一つずつ読み進めていて、今日は「ビーガン探訪. 井上太一」の論文に目が止まり、読み進める。
井上の論文は、ビーガンや動物愛護をめぐる捉えにくい背景をきれいに整理しており、ビーガニズムが考え方であり実践であることを明快に伝えてくれる。ビーガニズムに理論があることは、思考から入りがちな私にとって、彼らを理解し学び合う上でとても重要な基礎だと感じた。もっと早く出会っていれば。
ビーガニズムとは、「動物の搾取と虐待を、現実的で可能なかぎり暮らしから一掃しようと努める哲学と生き方」であり、その実践者をビーガンという。あらゆる搾取から脱却をはかる生き方というわけだ。
搾取からの脱却、制度化された暴力への抵抗というテーマは、医療の枠組みでは、健康の社会的決定要因(SDH)や健康格差の問題へとつながるし、最近やっと表立って話題になるようになった女性差別、外国人差別、家庭内の虐待などともつながる。
このテーマのつながりを捉えることは大きい。ビーガニズムと利他的動機をもたないオシャレ菜食主義の混同と混乱を、「コミュニティケア」と「オシャレ地域づくり」においても学ぶことができるからだ。
軽やかで、芯のあるコミュニティケアを実践するためには、理論と実践の往還を欠かさないでいたいと自戒の念をこめた午後だった。