「外国人」のこまりごとが、全ての人にとって暮らしやすい街をつくる、かも。
第34回フミコムcafe「外国人が『地域社会でくらす』ということ」
こちら、参加してきました。
現在は、日本全国で256万人の外国人が暮らしています。
(私自身の研究テーマでもある)大都市のプライマリケアを考える上でも、
まちづくりと健康づくりを考える上でも、まさに主題のひとつです。
これから個人的に、臨床、教育、研究、地域活動全てにおいて統合的に取り組みたいテーマの一つです。
講師の原田さん(ぶんきょう多文化ねっと)。
普段20人程度の会に、参加者60人超え。
入管法改定のニュースのせいか、市民の関心の高さが伺えました。
原田さんより、
「労働力ではなく生活者」という言葉の引用から始まり
(ここから伝えないといけないという現実が切ない)
外国人が日本で暮らすときの3つの壁 として
制度の壁 (「義務教育」ではない、など)
ことばの壁(情報格差、つながりの格差、特に災害や病気)
こころの壁(差別と孤独。住居のかりにくさ、など)
を上げて話されていました。
その上で、市民として普段できることを強調されていました。
あいさつでお互い安心することや、読みやすいゴミ出しの表記、災害対策、地域参加、など。
本当に、外国人に限らず、安心できる町をつくっていく上で当たり前のことが重要。
そんな話を聞きながら、私自身の関心である、医療とまちづくりの現場に引きつけて次のように考えを巡らせていました。
外国人は、「健康格差」の視点に立っても、
マイノリティであること、情報や人とのつながりが制限されていること、
住居や教育、仕事に困難があることといった、
いわゆるソーシャルキャピタルが乏しくなりやすく、
健康問題においても「格差」が集積しやすい「Urban Underserved」な立場に陥りやすいわけで、医療を含めた包括的なケアの対象と言えます。
一方で、医療提供側にも同じく、制度、ことば、こころの3つの壁により、現在は十分なケアを提供できていないように思えます。これらの壁は医療機関だけのリソースで越えることは難しい。
だからこそ、これらの課題に対して、専門にしている医学教育学のアプローチだけでなく、日本語教育や福祉、人類学、社会学などの実践家、専門家との協働が必要ですし、
まちづくりの視点でのより広い分野との、そして住民協働の実践が必要だと言えると思います。
つまり、外国人の「こまりごと」に向き合う中で、
多分野の協働と、当事者ー専門家ー住民の協働実践が進み、
外国人の住みやすい町をつくることが、
結果的に全てのひとにとって住みやすい町をつくることにつながる
可能性を秘めていると考えています。
身体や精神の「障害」のある人(これは「老い」も含むと考えれば、全ての人にとって自分ごとであるはず)へのケアにおいても、同様の視点で私は見てます。
そんな方向性を抱きながら、
まずは今関わっている「谷根千の街」と「病院」の
2つの「現場」をより深くフィールドワークすることから初めながら、
協働と実践につなげていければと思います。