やうやう 創刊号 vol.1 インタビュー 高橋理枝子「わたしが政治に飛びこんだ理由」(前編)(2020年10月)
土屋(以下T)・・本日はお忙しい中ありがとうございます。今回のインタビューは新庁舎問題だけではなく、高橋さんのこれまでの人生においてやってきた様々な方面についてのお話を聞きたいなと思ってます。では、はじめに。今回、コロナで何か生活の変化はありますか?
高橋・・今現在はお惣菜屋さんのパートに行ってます惣菜屋はコロナの影響受けずに逆に忙しいです。(笑)
T・・わかります私は飲食をしてるのでそれはすごくわかります。(笑)Facebookで拝見したのですがエステもされてると。
高橋・・エステは今もしていましてパートの休みの間にエステを入れているんですがコロナの影響を受けて止まっていましたが、最近徐々に戻ってきています。
T・・エステは昔からされているのですか?
高橋・・12、 3年前から最初は代替医療とかに興味がありアロマを勉強したら、マッサージをしないといけない。そちらが面白くなり全身マッサージしていて、顔はしてくれないのかと言うお客さんの声もあり、安心して顔を触れる仕事としてエステをして、結果としていまにいたります。
T・・京都の大学を出られたんですか?
高橋・・短期大学に行っていました。
よく落ちますね。(笑)
T・・もともとご出身はどちらですか?
高橋・・もともと出身は垂水です。小さい頃は鹿児島市内にいました。玉龍高校をでて、最初は4年大学を目指していたのですが、落ちまして、よく落ちますね。(笑) 短大に引っかかり編入ができるので編入しようと思っていたが1年の時にがんが見つかりそこから短大の期間は闘病をしていました。卒業をしましたが単位が取れていないので編入は無理でした。今現在になり、また学びたいという意識は出ています。
T・・闘病していたとなると、京都での影響を受けることなく、闘病でそれどころでは無いといった感じでしょうか?
高橋・・それでもそれなりに友達と遊んでいました。大阪に兄と住んでいて、京阪電車の特急で京都まで通っていました。その後京都高島屋に就職が決まっていたが親が心配をして帰ってこいと。その後、実家の歯医者の手伝いをしていました。
T・・その後はご結婚されて今に至るのですか。
高橋・・主人は文部科学省の官僚だったのですが鹿屋体育大学の会計課に霞ヶ関から転勤に来ているときに結婚してそれが27歳です。結婚して東京に戻って、その後はあちこち転勤をして回って、垂水に戻ってきたのは14年前位。
政治への興味は夫から
T・・では官僚だったご主人の影響もあって政治に興味を持ったのですか?
高橋・・そうです。これまで新聞やテレビでその話をするのですが、影響を夫からと言う人は誰もいなかった。ピンとこないのかそう言われたのは初めてです。その通りで、夫は国会の答弁を作っていたりしていたので身近に国会議員の話や政治の話を普段からしていた。そういう話から、政治は面白いなと思っていた。
T・・高橋さんは今回落選したとはいえ、政治家と言っていいとと思うのですが、いかがですか?
高橋・・ある方が政治家を目指した時点でもうあなたは政治家です。とおっしゃっていたのでそうですかと。笑
T・・高橋さん自身はそこら辺はどう思ってるんですか?
高橋・・私は政治家ではないですね。どちらかと言うと市民活動家と思っています。
T・・ではいきなり突っ込んでしまいますが、この後はもう一回市議選に挑戦したいという気持ちはありますか?
高橋・・それはもう落ちたときには、いろいろあってもう嫌になりもうこんな汚い世界二度と出るかと公言した。でもこの新庁舎問題は出ようが出まいがどんどん進んでいって、新庁舎問題を考える会に入って、当たり前のように議論の場に私を呼んでくれる。別に市議にならなくても議員にならなくても話ができるんだと思う。
T・・それでは草の根で活動しながら、出る出ないと言うのは1度は出ないと言ったけれど今のところわからないといった感じですか?
いいのかな?と、ここ一週間は思っています。
高橋・・出ないと私は一度言ったけど本当にそれでいいのかな?と、ここ一週間ぐらいですが、思っています。ちょっとした達成感もあったのでこれでいいのかなと思ったりしていましたが、すぐに新庁舎を考える会が始まって、今では新庁舎を進める話にもなっている。こんな私にも期待してくださる方もいる。『あなたががんばんばらないといけないんだよ。勉強しときなさいよ。』と言われている。だから頑張らないといけないのかなと思っている。もし二回目があるとしたら最初よりはうまくできるのかなと思っています。やはり最初は甘かったです。
『あなたが出るべきです』と連絡があった。
T・・具体的に出馬するきっかけみたいなものはどこかで書いていらっしゃいましたが、「鹿児島県内の女性議員を100人にする会」あれに入ってからなんでしょうか?
高橋・・きっかけというか、7、8年前から市議議員になってみたいと言う気持ちを持っていた。しかし実家が倒産したりとなかなかタイミングが合わなくて、諦めていたところに、あちこちそれまでにリサーチしていたので、「鹿児島県内の女性議員を100人にする会」代表で南さつま市議の平神純子さんから『あなたが出るべきです』と連絡があった。平神さんは女性活躍の場で全国的にも有名な人で、南さつま市から垂水まで何十回も来てくれて、ぜひ出てほしいと。私ができない理由を言うと一刀両断される。一つ一つできない理由を言うと、『うん。うん。わかった、わかった。出れる!!』(笑)『わかる、わかるよ~。で?さぁ何か始めよう!!』(笑)ととにかくポジティブな方でした。
T・・それでは実際の選挙ではポスターを貼ってもらうこと一つとっても色々と動いてくれる人がいないと選挙活動できないわけじゃないですか?
高橋・・はい。その平神さんがサポートしてくれました。10月に私が出ますと電話をしたときに、東京にいらしたみたいですが、私は忘れたんですが、向こうは『忘れもしない、10月何日の何時何分に電話が来たのよ』ととても喜んでいただいて、まずそこからマニアルが届いて、自分のやり方をノートにまとめたものがどさっと届いた。私は自分では分からないのでしょっちゅうここ垂水に来てくださった。『任しといて選挙はできるから』と全然知らない人を担いで、願わくば当選させるという活動をされている。
選挙活動は10万円でしました。
T・・インタビューの私が言う必要がないのかもしれないんですが、「鹿児島県内の女性議員を100人にする会」というのはイデオロギーがどうとか所属がどうとかいうことではなく、すばらしい活動ですね。
それでは次の質問です。これは具体的に言えないこともあるかと思いますが供託金が30万円ですよね。それ以外にもお金はかかるものなんですか?
高橋・・私は10万円でしました。ポスターやはがきの助成金も一部出ますが、供託金に入ってるものだと思います。ある程度まで得票がいかなければ没収されるが、10万円の中でかかったものといえば、パンフレット作成と名刺ですかね。自宅を事務所にして、看板は3つつくりました。私としてはどんな人でも選挙に出れるという前例を作りたかったので、極力お金を抑えました。結構いろいろそれで落ちたと言われましたけどね。(笑)みんなお金を待っているから、看板屋さんや車屋さんのためにお金を使うのは選挙だと。(笑)車の看板も作らずに全然目立たなかったと言われました。近寄って初めて気づいた、わからないよと言われました。(笑)
T・・今の話は若い人や政治に関心があるが出れない人に勇気というか、良い前例となる話だと思います。
高橋・・食事代飲み物代にお金はかかるけど、それは応援してくれる女性がたくさん作って、いろいろ手伝いしてくれました。本当はお金を払うべきだったと思いますが皆さん手弁当でしてくれてとても感謝しています。女性を応援したいというその気持ちがとてもうれしかったです。もちろんお酒も出しませんでした。
T・・高橋さんは前から政治に興味がおありだったと言うこともあり、
高橋・・政治が好きな女ですよ。(笑)
T・・(笑)いやいいと思います。僕もとても好きなんで。
高橋・・女性女性と言われましたが、そういったものは超えました。
T・・お好きな政治家はいらっしゃるんですか?
高橋・・いないです。私は自民党で育ってるんです。私の実家の父も母も自民党員でした。小池さんの政治グループができて名前も忘れましたが(笑)面白いと思って応募しました。(笑)ミーハーなところがあります。(笑)
T・・ちょっと聞きにくいのですが、残念ながら落選という結果でしたが、私も不勉強で知らなかったんですが、過去誰も女性市議が垂水市はいなかったそうですね。
何とかして女性市議を作りたいと思っていた
高橋・・何とかして女性市議を作りたいと思っていたんで、知り合いの女性にいろいろ声をかけたんですが、いないのでそれでは私が出ようと思って『100人の会』に入りました。
このつづきは「やうやう」第二号にて。
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