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佐々木朗希完全試合継続中に降板!?蘇る15年前の日本シリーズ、山井大介-岩瀬仁紀のパーフェクトリレーの記憶

前回登板で28年ぶりとなるNPB史上最年少で完全試合を達成した佐々木朗希投手でしたが、4月17日の先発登板でまたしても伝説を残しました。

なんと日ハム打線相手に8回終わってもパーフェクトピッチングを継続!!

これはもしかしたら、メジャーリーグですら誰も達成していない前人未到の2試合連続完全試合が達成されるのでは!?と思われましたが、ここまで日ハムのエース上沢直之投手も千葉ロッテ打線相手に好投を続け、千葉ロッテ打線も無得点と試合は今だに0-0でした。

完全試合は試合に勝たないと達成できません。さらに佐々木朗希投手はまだ20歳の投手、8回投げ終わった段階で球数も102球となっており、千葉ロッテの井口監督が下した決断は、

佐々木朗希投手から守護神益田直也投手への投手交代でした。


結果として、2試合連続完全試合の大偉業は儚く散り、また試合も延長10回表に日ハムの万波中正選手のホームランで勝ち越し、不思議なことに、たった1安打で日ハムの勝利に終わりました。

結果だけ見れば、延長戦を制した日ハムの勝利という試合に終わりましたが、いやはや、佐々木朗希投手の完全試合継続中からの投手交代という井口監督も大きな決断をした試合でもありました。

このことについては、物議を醸すのでは?と思われましたが、佐々木朗希投手の将来性を考えた井口監督の考えに賛同するファンの方々が多数で、時代も変わったのだと思い知らせれました。

何故私がこう思ったのか、ドラゴンズファンの私にとっては忘れもしない、15年前の日本シリーズでも今回のことと全く同じことが起きていたからであり、当時はこの出来事が球界を巻き込む大論争になったからです。

その出来事とは、ドラゴンズファンの間では伝説の出来事となった、山井大介投手-岩瀬仁紀投手のパーフェクトリレーです。


簡単に説明すると、ナゴヤドームで行われた2007年の日本シリーズ第5戦目、中日3勝、日ハム1勝で中日が日本一に王手をかけた状況で、日ハム先発はダルビッシュ有投手、中日先発は山井大介投手でした。

試合は当時19歳の平田良介選手の犠牲フライで中日が先制するも、ダルビッシュ有投手は中日打線を封じ込め、山井大介投手も日ハム打線をパーフェクトに抑え続け、8回終わった段階で中日1点リード、9回表を抑えれば中日ドラゴンズ53年ぶりとなる日本一という試合でした。

ただこの試合、山井大介投手が日ハム打線をパーフェクトに抑えており、当時は中日の日本一よりも山井大介投手の完全試合達成なるか!?ということに注目されていました。

当時の私も中学3年生で、テレビの前でその試合を見ており、8回裏が終わった段階で、山井大介投手の完全試合を望む「山井!!山井!!」というファンの山井コールがとても印象に残っていました。

ですが、9回表が始まろうとしているのに、ベンチでは山井大介投手は座ったまま、さらに落合監督と森ヘッドコーチがお互い話す姿が映し出され、最後に落合監督が審判の方へ出向き、投手交代を申告

無情にも響き渡る「ピッチャー、山井大介に代わりまして、岩瀬」のウグイスに球場は「え~!?」という落胆の声、さらに実況も解説も「何故?」と戸惑いを隠せない状況だったのを今でも覚えています。

そして山井コールから「岩瀬!!岩瀬!!」という岩瀬コールに代わり、岩瀬仁紀投手もパーフェクトに抑え、中日ドラゴンズは53年ぶりとなる日本一を達成、さらに前人未到の継投による完全試合、パーフェクトリレーを達成しました。

この時、山井大介投手の球数も90球にも行っておらず、球数的には続投していても全く問題はなかったのですが、実は5回辺りにマメが潰れ、出血した状態で投げ続けており、いわば怪我をした状態で山井大介投手はパーフェクトに抑えていたのです。

今なら選手の怪我を考慮した上での交代なので、全く問題は無いのですが、試合終了後の報道番組では、ドラゴンズの53年ぶりの日本一ではなく、何故山井大介投手を代えたのか!?ということばかり議論され、賛否両論、数多くの批判が飛ばされ、挙げ句ドラゴンズファンからも「落合は野球を分かっていない」という辛辣な意見もあり、まさに異様な状況となっていました。

当時の私としては「ドラゴンズの日本一をもっと取り上げろよ!!むしろ最後に抑えた岩瀬仁紀をもっと讃えろよ!!」と思っていました。

この出来事については山井大介投手、岩瀬仁紀投手の引退後、落合博満氏や森繁和氏の口から当時のことを語られており、森ヘッドコーチが山井大介投手に「最後行けるのか?」と聞いたら山井大介投手も最後は岩瀬仁紀投手に抑えてもらいたいと考えており、「岩瀬さんでお願いします。」と答え、岩瀬仁紀投手に交代したと明言されているので、最早議論の余地などありません。

また、山井大介投手は2010年の巨人戦に8回ノーノーピッチングから9回に坂本勇人選手にホームランを浴びノーノーを逃し、2013年には横浜戦でついにノーヒットノーランを達成しており、岩瀬仁紀投手もこの当時の出来事を引退会見で、「現役生活で最も印象に残っている試合」「マウンドへ行く時に足が震えた」と明言していたので、結果としてこのパーフェクトリレーが現在でもNPBで唯一無二の出来事となっているので、ある意味伝説となったと言えます。


話は戻しまして、千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手は非常に素晴らしく、最早沢村栄治投手の生まれ変わりではないかと思われますが、井口監督の決断は佐々木朗希投手の将来性を考えた上での決断なので全く問題はありませんし、おそらく益田直也投手も岩瀬仁紀投手と同じ感覚を味わった投手になったのではないかと思います。

ですが15年前のプロ野球では選手の身体よりも偉大なる記録、結果が全てであったという考えがまだ蔓延していた時代であったのも事実です。

時代は変わっていきます。自らを犠牲にする滅びの美学は最早前衛的な考えです。選手第一の考えが浸透していくこそがプロ野球界、さらには様々なスポーツの発展に繋がると思います。

良い時代を作り上げてほしいものですね。



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