人懐っこい後輩
このnoteはフィクションです。
「まちぐささん(以下Mさん)さっきあがったあと、まあ仕方ないかーとか言ってたじゃないですか。あーゆうのクソうざいから止めたほうがいいですよ」
「ごめん」
「あーうざいなあ。切ってる牌いつもむちゃくちゃなのに。絶対何も考えてないでしょ」
「本とか読んだことないし」
「自分だって殆ど読んだことないですよ。そんなの打ってたら自然と身につくじゃないですか。あーうざいなあ。そろそろ負けて下さいよ。実力通り。先輩達がいる建前上、毎日毎日我慢してますけど、内心、こんな奴らに負けるわけないと思ってるんですよ。後ろ見したらすぐわかるんですよ。Mさんも勿論酷いですよ。あーうざい。うざすぎる。」
「とにかくごめんなさい」
「とにかくMさんっていい加減なんですよ。さっきリーチに東切ったやつ、あれ白絶対刺さらないんだから。あーゆう大体この辺りでいいだろみたいのが見てて一番イライラするんです。せめてもう少し真面目に打ってよ。弱いんだから」
「反省します..」
「はー、なんでこんなにつかないんだろ..まさか僕のこと弱いと思ってないですよね」
「思ってないけど」
「まあそんなことどうでもいいんですけどね」
ここまで読み進めたあなたは、何故お前はこんな奴と一緒にいるのか、と思っているかもしれない。
しかし、私は彼が嫌いではなかった。
彼の声色、仕草、目つき、風貌等々に、茶目っ気が溢れていた。
この一線を超えたら本当に喧嘩になりかねない手前で必ずこちらをくすぐってくるのであった。
今晩のファミレスでは、つい先ほど終わったセットの話題ばかりであったが、普段は、彼の地元の話をよく聞いていた。
剣道で県代表になった。同級生で一番可愛い子に告られて付き合っていた。家の敷地は田畑山林を合わせて2000坪を有に超える。うらやましいでしょー。
私がホスト役となって彼が一方的に話し続けていた。
彼は182ぐらいはあったのであろうか。鼻筋が通っていて、切れ長の目とよく似合っていた。細身なのに肩幅はガッチリしていた。母親が地元一の美人だったなどと言っていた。歌舞伎役者の卵はきっとこんな感じなのであろう。
たまに街を一緒に歩いていると、彼は通行人の中でも抜きん出ている感じであった。我身の釣り合わなさが恥ずかしかった。
客は我々以外いなかった。
1000点で役牌をポンすべきだと思いますか?周り弱いんだから別にそこで頑張らなくてもいいと思うんですよね。Mさんは勉強できたほうなんですか?いかにもまぐれで入れたような感じですけど。この何切る知ってますか。受け入れ枚数MAXはこれですけど良形重視でこっちがいいんですよ。あ、今度部屋来る時は靴下変えてから入って下さい。次は入れないですよ。つーかこっちで替えの靴下準備しますわ。汚い人入れたくないんで。
歳は2つしか変わらないのだが、私にはない若さが漲っていた。常に躁状態のような青年である。
とっくに飯は食べ切っていた。店員も既に寝ているような深夜の店内に彼の喋りが断続的に続いている。
私は根っからの貧乏性なのか、ドリンクバーを頼むと必ず10杯以上は飲んでいた。今晩もうテーブルとトイレを5往復はした気がする。
用を足してドアを開けた時に、カランコロンと来客の音がした。目を向けると、長身の女性である。なんかいかにも美人っぽい。
彼女は我々のテーブルにまっすぐ向かい、彼の両肩に手を置いた。
「部屋行ったけど、いなかったから。多分この辺りかなーと探してたら窓越しに見つけたんだよ。あれ..1人じゃないの」
「大学の先輩と。ほら、そこにいる人」
軽く会釈をされて、私も返す。鼻がすっと立っていて、くっきりとした二重が、近眼の私にも一目でドキッとさせた。小顔の狭い額とショートカットが素人目にもマッチしている。
「最近会えてなかったけど、ちゃんと勉強してる?ダメだよ、遊んでばかりじゃ」
「単位は取れてるよ」
「ねえ、前から話してたことだけど、納得してくれた?そろそろ本気にしてくれないと」
「今、先輩いるから..」
私のような鈍臭い田舎者が居て良い場ではない。彼と彼女の世界から一刻も早く立ち去らなければならない。隣り合って座っている2人はまごうことなき恋人達である。
「あ、これ会計しとくから」
それ以上2人へ目を向けることはせず、さっさとファミレスを後に、深夜の大学街を1人とぼとぼと歩いていく。
澄んで冷え切った空気に頭がクリアになっていくと、自分がもの凄くドキドキしていることがわかってきた。
彼にあんな素敵な恋人がいたなんて。あんなに毎日饒舌なくせに、おくびにも出さなかったな..まあ実際かっこいいしな。高校時代の話も概ね事実なんだろう。しかし彼の部屋に何回か行ったが、そういった類のものの一切無い、清潔な室内としか思わなかったけど..麻雀狂いの大学生にまるで似つかわしくない綺麗で整ったあの部屋でねえ..人は分からないものだ。いや外でするのかな。イケメン美人のカップルとはそういうものなのだろう。部屋に穢れは持ち込まない。いやそれにしても今まであの子と遭遇しなくてホントラッキーだったな..床でゴロ寝してる姿見られなくて良かった..
自分のアパートに帰り、シャワーを浴びてベッドに身を放り投げた。明日は午後からは大学にいかなくてはならない。
帰り道で、あれこれ考え続けたおかげか、眠りはいつも以上に早かった。私の数少ない長所の一つが、すぐ寝れることである。
目覚めは案外早かった。麻雀した次の日には意外とよくあることだ。心身共にとても軽い。空はどんよりとしている。
探したい本があったし新聞も読めるし、大学の図書館に向かおう。真面目な学生を演出する。
まだ学生もまばらなバスに乗り、大学に着き、溶け切ってない汚い雪をガツガツ踏み踏み歩いていく。もう少しちゃんと雪かきして頂きたい。
概して大学の図書館というものは試験前以外は空いてるものである。
そんな空いてる図書館の、更に奥というのか、暗がりの隠れ家的空間が私のお気に入りだった。ここで授業外の時間を、ダラダラ本を読んだり寝たりボーっとしたりして過ごす。
今日も人っこ1人いない。テーブルにさっき借りた本を置き椅子に腰かけると、実は疲れてる自分に気が付いた。麻雀のダメージは遅れてやってくるあるある。
なんか本読む気も、何か書く気も考える気も起きない。やはり眠い。眠い時に寝るにしくはなし。午後まで寝よう。自分はきっと起きてくれる。
キラキラ日差しが入り込んでいた。天気が良くなったんだ。起きてくれた自分さすが。
「やっぱここにいましたか。寝顔が見てらんなくて起こそうかと思ったけど止めときました。ここ公共の場なんですから..本当だらしないですよね」
「あ..おはよう。なんかだるいわ..」
「Mさんが、あんなに空気読めない人だと思ってませんでした。どうして帰ったんですか?絶対いてくれなきゃダメでしょ。気をつかったつもりなんでしょうけど本当馬鹿すぎる。もう少し頭使って下さいよ」
「あ..ごめん。いたほうが良かったか。いや全く考えなかったわけじゃなかったんだけど」
彼はひたすら呆れた様子でため息を繰り返している。申し訳なくなってくる。
彼の彼女が多分異常なのだろうなとは、さすがに私でも何となく思っていた。あんな深夜に男をファミレスまで追っかけてくる女がまともなはずはない。
目が軽く血走ってる感じとか、頬に最も現れている全身が引き攣った感じとか、普通ではなかった。
特に、彼の両肩を掴んだ時のグワっとした感じには寒気を覚えていた。ただ、恐らく上手くはいってない恋人達の関係なんてそんなものなのだろうと、それ以上深く考えないことにしていたのであった。
「本当空気読めない人なんだなと分かりました。麻雀弱いのも納得です。あー、今日Mさんの部屋行っていいですか。自分の部屋ちょっと今いたくなくて。できれば2晩ぐらいお願いしたいんですが。その間に色々どうしようか考える感じで」
「えー....」
「僕の部屋に泊まったことあるんだから嫌とは言わせませんよ。掃除とか僕が全部するんで。どうせろくに窓も開けてやしないんでしょ」
「あーそろそろ行かないと。分かったよ、分かったから..」
この当時の頃からであろうか、大学改革なのか何なのか、あからさまな経費削減とばかりに、教室内は全く温まっていなかった。
私は空気読めない奴か。そうなのだろう。
空気読めないとは、ある意味、都合のいい言葉だ。馬鹿ではあるが悪人ではないから。悪意はないわけだから。
私に悪意はなかったんだろうか。
後に、人伝に聞いたことだが、彼女は今で言うところの「宗教2世」であるらしかった。カルトとは言わんまでも、様々に批判されてる著名な宗教である。
そういったバックボーン等が彼と彼女のあの晩の会話を紐解く鍵になるわけだが、それ以上深く知ろうとは思わなかった。知りたくもなかった。彼がその宗教の関係者かも、ついに分からなかった。私に薦めることはなかった。
あの晩、私がさっさとファミレスを後にしたのは、彼と彼女との関係に配慮したからというのは建前で、本当はその場にいるのが怖かったからなのだ。
彼と会う度、波のように放たれる自分語りは、どこか決まって欠落していた。必ず何かより大きなものを隠していた。触れてはいけない話題を毎回避けていた。
そんな彼の危うさに気が付いたのはあっという間だった。
私は、それまでの人生において、何か周囲に揉め事が起きた際、というか起きそうな時は、知らぬ存ぜぬを貫ける立場に身を置くことを意識していた。例えば、学校でいじめの噂を聞いた時は、決して関わらないようにした。加害者被害者が誰かは私には分からない。いじめが起きそうな校内の場所には近づかない。学校のアンケートには何も知りませんで通す。嘘は言ってない。
そんな私が初めて何か大きなものに巻き込まれそうな危機感を覚えたのが彼との出会いであった。そして確信に変わったのが、あの深夜のファミレスであった。とにかく逃げたかったのだ。
このnoteの冒頭で、私は彼のことが嫌いではなかったなどと書いていたと思うが、それはおためごかし、きれいごとで、所詮は私に悪影響を及ぼさない範囲で嫌いではなかったということなのだ。
もう彼とは縁を切るしかない。李下に冠を正さず。
しかし..そうやってつくづく考えていくと、彼の私への「空気読めない」認定のうまさに気付かされるのであった。
彼も内心、私の彼からの離反、裏切りの萌芽に気づいていたのかもしれない。そしてあのファミレスでの私の振る舞いにそれを確信したのかもしれない。きっとそうだろう。
それらを全て飲み込んで、許して、私のことをただの空気読めない奴に留めたわけだ。私は彼に悪意は持っていないと。
いや本当に悪意を持ってるか、持ってないかなんて、どうでもよくて、肝心なのは、持ってないフリをし続けてということなのかもしれない。
これからもただ一緒にいて。本当に僕から離れたら今度こそ許さないから。そんな脅迫に思えてくる。
などということを授業中も下校時もずっと考えていると、あっという間に私の部屋の外は真っ暗になっていた。彼がそろそろやってくるんだろう。
しかし、彼の日頃の言動、振る舞い、部屋の様子に、あんな彼女の影を窺わせるものはなかった。人は外面では決して分からないものだ。
彼とのこれまでを振り返ってみると、いじらしく、愛おしくも覚えてくる。SOSを発していたような。見栄を張っていたような。私にむしろ気を使っていたような。
少しは打ち明けてくれれば良かったのに。結局向こうからも信用されてなかったのかな。せっかく来てくれるんだから美味しいコーヒーでも入れといてあげよう。
このコーヒーメーカーは、この寒々とした我が部屋にはそぐわない有名メーカーのものだった。
彼女と一緒に奮発してワリカンで買ったのは2年前ぐらいだったかな。別れてからもう1年程か。
こういう共同購入のモノは部屋に残ったわけだが、彼女が持ち込んできた、炊飯器、電子レンジ、オーブントースター等々は、ある朝目覚めると、綺麗さっぱりなくなっていた。
一緒に住んでいた人が出て行くと、風がスースーして、お日様が部屋中に通って気持ちいいんだなと知ったのだった。
そういったことを、彼がやってきたら、いちいち話さなきゃならないんだろうか。めんどくさいな。まあどうせ目敏い彼はすぐ勘付くんだろうけど。
いや逆にむしろ色々話したい自分がいるのも否めない。
もっと知られたいような、これ以上知られたくないような、私の空間に踏み込まれたくないような、そんな単純な人間じゃないよと分かってもらいたいような。
自分でも自分がどうしたいのか、どう考えてるのかよくわからない。まあ、どれもこれもそうなんだろう。
石川啄木がローマ字の日記に、
「なぜこの日記をローマ字で書くことにしたか?予は妻を愛してる、愛してるからこそ、この日記を読ませたくないのだ。——しかしこれはうそだ!愛してるのも事実、読ませたくないのも事実だが、この二つは必ずしも関係してゐない」
などと書いていたのを何故かふと思い出した。本棚には実家から持ってきた日本文学全集の一部が並んでいる。
私も病んでいるのかもしれない。より病んでいるのは自分なのかもしれない。部屋に入れない口実なんていくらでもあったじゃないか。関係を切りたくないのは本当は私のほうなんだろう。
などということをつらつらと考えている時にピンポンが鳴った。ちょうど、コーヒーのいい香りが立ち上がってきた。
(おわり)
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