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ハビエル・ミレイ大統領とは何者なのか?アルゼンチンの衰退と「予想外の革命」
今回は、ハビエル・ミレイ大統領と彼が主導する政治運動および思想に関して多角的な資料調査をもとにレポートにまとめていきます。できるだけ包括的に情報を整理し、アルゼンチンにおける歴史的背景、ミレイの人物像や政治理念、さらには支持者たちの動向についてまとめました。
序説:アルゼンチンにおける「予想外の革命」
2023年、アルゼンチン政治の舞台で「予想外の革命」とも呼ばれる大きな転換が起こった。長年にわたり経済危機と政治的混迷が続く中、ハビエル・ミレイという異色の人物が大統領の座に就いたのである。既存の政治勢力や専門家は、ほとんどこの事態を想定していなかった。その急進的な主張やカリスマ的な言動により、あっという間に支持を拡大し、結果として大統領に当選を果たしたことは、国際的にも大きな衝撃として受け止められた。
本レポートでは、まずアルゼンチンが数十年にわたって陥ってきた社会・経済の衰退と政治的停滞の実態を概観する。次に、なぜそのような長期低迷が起こり、既成の主流政治家たちが解決策を示せなかったのかを分析する。そして、ハビエル・ミレイという個人がどのような生い立ちや経験を経て、今日の政治的・思想的スタンスに至ったのかを丹念に追っていきたい。さらに、いわゆる「リバタリアン革命」とも呼ばれる一連の動きの核心を形成する経済理論や社会哲学を整理し、ミレイ支持者の形成過程や議会制民主主義へのインパクトも見ていく。最後に、ミレイ政権が直面する数々の課題や、今後の展望、国際社会への影響を取り上げる。
1. アルゼンチンの半世紀にわたる衰退と政治的混迷
1-1. 1970年代までの軍事政権と民主化
アルゼンチンの政治的・経済的混乱は、1970年代の軍事独裁時代にさかのぼる。左翼ゲリラと軍事政権との対立は「汚い戦争」と呼ばれ、多くの人権侵害を伴った。1976年に成立した軍事政権は反乱勢力を徹底的に弾圧し、多数の行方不明者・犠牲者を出した。その一方で、経済は深刻なインフレや貧困増大に見舞われ、国民の生活は大きく悪化した。
1983年、軍政が崩壊して民主化に移行する。ラウル・アルフォンシンが民選大統領に就任し、軍の責任追及や人権回復を進めたものの、財政赤字やハイパーインフレを抑えきれず、任期途中で辞任に追い込まれる。こうした政治的不安定と経済危機は、その後の政権にも大きな影響を及ぼすことになる。
1-2. メネム政権の自由主義的改革
1989年に大統領となったカルロス・メネムは、ペロン党に属しながらも通貨ボード制を導入し、大規模な国営企業の民営化など新自由主義的改革を推し進めた。当初はインフレ抑制に成功し、一定の経済成長が見られたが、腐敗の横行や不平等拡大も同時進行し、改革は十分に根付かなかった。また、国際経済の変動や財政の脆弱さから2001年に深刻な経済危機が勃発し、国家デフォルトに陥る。複数の暫定大統領が目まぐるしく交代するという「政変」が起きるほどの混乱だった。
1-3. キルチネル主義とポピュリズム
2003年にはネストル・キルチネル、続いて妻のクリスティナ・フェルナンデス・デ・キルチネルが政権を担う「キルチネル主義」の時代が始まる。ペロン主義を汲みつつ、積極的な産業保護や公共支出拡大など左派ポピュリズム的政策を打ち出し、表面的には経済成長を達成した。しかし、汚職や統計偽装、司法介入などの問題が深刻化し、国際的な評価も失墜していく。一次産品価格の高騰に支えられた部分的繁栄は長続きせず、再びインフレや通貨不安が深刻化して国民の不満が高まった。
1-4. マウリシオ・マクリとアルベルト・フェルナンデスの時代
2015年に就任したマウリシオ・マクリは、中道右派政党を率いてキルチネル政権からの路線転換を目指したが、議会少数派という制約もあり、緩やかな改革にとどまってしまう。結果として、インフレと財政赤字は改善せず、支持率を落とした。一方、2019年に再度政権を握ったアルベルト・フェルナンデスは、新型コロナウイルス禍への厳格なロックダウンや資本規制で経済が打撃を受け、インフレ率が年100%を超える事態へと悪化。国民の政治不信や絶望感はピークに達し、アルゼンチン社会は深刻な閉塞状況に陥った。
1-5. ミレイ台頭の土壌
このように、1970年代後半から現在に至るまでの約半世紀、アルゼンチンは軍政下の暴政、民主化後の財政・インフレ危機、大規模な汚職やポピュリズム政策の失敗、そして政権交代を繰り返す中で国力を消耗してきた。現行政権がいずれも抜本的な解決策を示せないうえ、社会の疲弊が極限に達するに至り、「既成の政治家にはできない改革を断行する人物」が待望される状況が醸成されていた。そこに登場したのがハビエル・ミレイである。
2. ハビエル・ミレイの生い立ちと人物像
2-1. 幼少期の苦難
ハビエル・ミレイは幼少期から困難を抱えて育ったと言われる。家庭環境が厳しく、特に父親との関係は深刻なものがあったようで、家庭内暴力や確執を経験し、妹だけが唯一の心の支えだったという。若いころはサッカーのゴールキーパーを目指していたが、大成する前に断念。しかし、その際に培った「孤独に耐え、結果に責任を持つ」というゴールキーパー特有の精神性は、後の彼の政治的スタイルにも大きく影響を与えたと考えられる。
2-2. スポーツと音楽からの影響
ミレイが公言する「徹底した勤勉さ」や「勝利への執着」には、サッカーの名監督カルロス・ビラルドへの傾倒や、熱狂的なロック好きという側面が色濃く表れている。ビラルドは「勝利のためには手段を選ばない」という実利的戦術で知られ、ミレイはそのメンタリティを「努力すればするほど運も味方する」という形で体現。さらに、自らもロックバンドで歌っていたほどの音楽好きで、演説会場でロックを流しながら登場し「自分はライオンだ」と叫ぶなど、型破りなパフォーマンスを見せる点でもその精神が表れている。
2-3. 妹カリナの存在
ミレイにとって唯一絶対的に信頼できる存在は妹のカリナだとされる。政界入りしてからも、妹は戦略やスタッフ管理など重要な役割を担い、ミレイが突飛な言動で物議を醸しても、彼女が事態の火消し役や広報のコーディネーターとして機能してきたという。ミレイ本人が「彼女こそがボスだ」と語るほどで、政治活動の裏側で彼女の影響力は絶大だと推測される。
2-4. 20歳で形成された「ハビエル・ミレイ」
大学進学を機に、ミレイは本格的に経済学への道を歩み始め、オーストリア学派をはじめとするリバタリアン思想に触れた。その頃を境に「自分は変わった」と自ら語っている。幼少期の挫折や家庭内のトラウマを乗り越えるために、徹底的な自己鍛錬を行い、政治や社会に対する明確な見解を持つようになった。20歳前後で「今の自分の原型がほぼ完成した」というのが、ミレイの自己評価である。
3. 全国を駆け巡る「自由ツアー」と草の根支持
3-1. 論客から運動指導者へ
経済学者としてテレビ討論番組などに出演したミレイは、歯に衣着せぬ過激な発言で注目を集めるようになる。しかし、ただのメディア論客にとどまらず、実際に全国を回り「自由」を訴える講演会を頻繁に開催し、若者層やビジネスパーソンを中心に支持を広げていった。これが「自由ツアー」と呼ばれる一種の啓蒙活動で、地方都市でも熱心な聴衆が集まり、SNSを通じて評判が拡散される。こうして「テレビで見たちょっと変わった経済学者」から、「頼れるリーダー」に変貌していったといえる。
3-2. なぜ人々の心を掴んだのか
ミレイは演説で「自分は怒れる国民の一人だ」「政治家が自分たちを裏切り続けた」と強調し、いわゆるエリート政治家と一線を画す姿勢をアピールした。また、学生や地方の中小企業主など、既存政治から利益を得られない層に直接語りかけ、SNS上で拡散力を高めた結果、「この人なら既得権益を打破してくれる」という期待感を醸成することに成功した。特に若者が彼を支持する傾向は顕著で、旧来型の保守的な政治家にはない斬新さに魅力を感じる層を取り込んでいったのである。
3-3. 調査機関の「見逃しエラー」
当初、世論調査や主流メディアは「ミレイの支持はごく一部」と過小評価していた。しかし実際には全国規模で支持を獲得しつつあり、それを既成政治勢力は見誤った。いわゆる統計学における「第二種の誤り」とも言われ、潜在的な不満票や無党派層の動きを正確に把握できなかったのである。結果として、ミレイが選挙で予想外の高得票を得た時、既存勢力や評論家は大いに驚くことになった。
4. リバタリアニズムとミレイの思想的バックボーン
4-1. オーストリア学派と無政府資本主義
ミレイの思想は、オーストリア学派の経済学に基づくリバタリアン理論がベースだといわれる。ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスやフリードリヒ・ハイエクの市場至上主義、国家介入否定の考え方を徹底して学び、さらにマレー・ロスバードが提唱した無政府資本主義(アナルコ・キャピタリズム)にも共鳴している。国家を最低限の形にまで縮小し、通貨発行や公共サービスなども可能な限り民間の自発的秩序に任せるという、きわめて急進的な主張が特徴である。
4-2. パレオリバタリアンの立場
ミレイは自らを「パレオリバタリアン」であると位置づける。経済では極限の自由化を唱える一方、文化面では伝統的道徳や家族の価値観を重んじる保守的立場を示す。たとえば中絶やジェンダー理論に批判的であるなど、典型的なリバタリアン(社会面でも自由主義)とは異なる側面を持つ。ここがアルゼンチンや欧米のリベラル層から批判を受ける点でもあるが、保守的な宗教層などの支持を得る一因にもなっている。
4-3. 日常的な文化闘争と左派への対抗
ミレイとその支持者たちは、既存の左派的文化や国家主義イデオロギーを「誤った神話」として徹底的に批判する。その手法はテレビ討論やSNS上の言論戦にとどまらず、大学や高校での講演や自主的勉強会など多岐にわたる。彼らはこれを「文化的闘争」と呼び、左派が長年にわたり染みつかせてきた「福祉国家=善」「社会的正義=国家介入」といった価値観を解体しようとしている。ミレイが演説で強調する「我々が勝利するまで戦い続ける」という言葉は、この文化戦争への姿勢を如実に表す。
5. 支持者の組織化と政治運動の急拡大
5-1. ボランティアの大量動員
ミレイは2021年の中間選挙で議員に当選した後、自身の政党「自由が進む」を結成して本格的な組織化を進めた。オンライン登録を活用し、全国から莫大な数のボランティアを集め、投票所監視員やキャンペーンスタッフ、SNS宣伝などに配置する仕組みを作り上げる。わずかな期間で数百万人規模の登録者を得たとも言われ、草の根の熱狂的支援が既成政党を凌駕する勢いとなった。
5-2. 若年層への浸透
特筆すべきは、若年層の間でミレイ支持のムーブメントが巻き起こったことだ。大学や高校などでもミレイ支持者が急増し、従来は左派学生運動が強かった象徴的な教育機関でさえ、新たな自由主義クラブが登場し注目を集めた。彼らはSNSを通じて情報を交換し、独自に集会や集まりを開催して「ライオンたちの目覚め」とも呼ばれる動きを加速させる。若者にとって、ミレイは「これまでの政治家にはないエネルギー」を感じさせる存在だったといえる。
5-3. 「国民 vs. カスタ(既得権階級)」
ミレイの支持拡大には、「国民 vs. カスタ」という対立軸の明確化も大きかった。カスタ(特権階級)とは、政治家や官僚、労働組合の幹部、大企業のオーナーなどが裏で結託し、腐敗や癒着を通じて利権を貪る集団を指す。ミレイは「我々一般国民が苦しむのは、このカスタが国家を食い物にしているからだ」と訴え、草の根レベルで強い共感を得たのである。この図式によって、既成政党は左右問わず「同じ穴のムジナ」というイメージが確立した。
6. 大統領選挙と「誰も予想しなかった」勝利
6-1. 予備選挙での電撃トップ
2023年、アルゼンチンでは大統領選挙が行われた。8月の予備選挙(PASO)で、ミレイは主要候補を抑え第一位を獲得。世論調査やマスコミが想定していなかった結果に、政治の世界は騒然となる。これまで「泡沫候補」と見なされてきたミレイがトップを奪い去ったことで、一躍選挙戦の主役に躍り出た。既存政党は大慌てで対策を講じるが、すでに彼を支持する熱狂は全国に広がっていた。
6-2. テレビ討論での挑発的スタイル
大統領選終盤のテレビ討論会で、ミレイは他候補(与党左派や中道右派)を激しく批判。たとえば、「あなた方こそ国をダメにしてきた」「反論できないなら黙ってろ」といった直接的な言葉で論戦を挑み、有権者の前で強烈な印象を残した。一方で、その挑発的な姿勢に嫌悪感を示す層も少なくはなかったが、結果として「本音を言う政治家」として多くの人々に支持を訴求した。
6-3. 決選投票での勝利
本選投票では与党候補が首位となり、ミレイは僅差で2位にとどまったが、上位2名による決選投票にもつれ込む。その際、中道右派票を取り込むための交渉や調整を行い、結果的にミレイは勝利を収める。投票結果が判明した夜、メディアは「政治史に残る大番狂わせ」と報じ、多くの国民や政治家が「これほどの支持があるとは予期していなかった」と認めざるを得ない展開となったのである。
6-4. 新大統領就任と社会の期待・不安
2023年末、ハビエル・ミレイは正式に大統領へ就任。就任演説では「国家を根本から作り直す」「自由と秩序を取り戻す」といった過激なスローガンを掲げ、省庁統廃合や中央銀行廃止、ドル化など大胆な施策を示唆。多くの国民は深刻な経済危機からの脱却を期待しながらも、その過激な改革方針に対しては「本当に実行できるのか」「社会混乱が加速するのではないか」といった不安の声も上がった。
7. ミレイの政策と思想
7-1. 中央銀行廃止論とインフレ批判
ミレイは長年のハイパーインフレを「政治家による合法的な盗み」と断じ、中央銀行を「インフレの元凶」として廃止し、通貨をドル化するべきだと主張してきた。アルゼンチンではインフレが日常生活を圧迫し、貧困や不平等を深刻化させている。ミレイによれば、通貨の発行権を国家が独占することで紙幣の価値を実質的に毀損しており、国民の資産を盗む行為と変わらないというのだ。激しい反論や「非現実的」との批判はあるが、インフレ抑制策としてドル化を支持する民間人が少なくないのも事実だ。
7-2. 小さな政府と大規模な民営化
リバタリアン的志向に基づき、ミレイは行政組織の大幅削減を唱えている。具体的には、文化省や公共メディアなど「国家が担う必然性の低い分野」は原則として民営化するか、そもそも廃止するという。公共サービスや社会福祉も、国が一元的に管理するのではなく、教育バウチャー制度や医療バウチャー制度などを通じて段階的に民間移管していく計画を示唆する。既存の福祉制度を守ろうとする層からは「弱者切り捨て」という批判が絶えないが、彼はむしろ「国家の非効率と腐敗が弱者を苦しめてきた」と主張している。
7-3. 規制撤廃と汚職インセンティブの除去
アルゼンチンでは官僚による規制の複雑さがビジネスの成長を阻む一因となってきた。ミレイは徹底した規制撤廃を打ち出し、公務員の数と権限を極限まで削減する方向を目指している。その背景には「政治家が権限を持ち続けるほど汚職の余地が生まれる」という経済学的な発想がある。これは「腐敗をなくすのは道徳教育ではなく仕組みの改革だ」という考え方だ。国営企業の民営化や補助金の削減により、政治家の裁量範囲を狭めることが狙いだ。
7-4. 中絶やジェンダー問題へのスタンス
保守的価値観をもつミレイは中絶に反対であり、フェミニスト団体から激しい批判を受けている。彼らは「ミレイは女性の権利を侵害する」と主張し、実際ミレイも公に「胎児の生命を尊重すべき」という見解を示している。一方、法制度としての中絶禁止を一律に押し付けるのではなく、「連邦各州が判断する形にする」とも語っており、そこに若干の柔軟性は見られる。この論点は国民の間でも意見が分かれやすく、今後の政策運営で大きな争点となることが予想される。
8. 「ファシスト?」「極右?」:批判への反論
8-1. ファシズムの定義とミレイとの対比
ミレイは左派から「ファシスト」と呼ばれることがあるが、ファシズムとはそもそも強力な国家主義と統制経済を志向するイデオロギーである。ミレイは国家の大幅縮小をめざす立場であり、経済を支配することにも反対なので、理論的には真逆といえる。彼自身も「国家が人々を縛ることこそファシズム」と反論し、むしろ左派が進めてきた権威主義的手法がファシズム的だと批判を返す。
8-2. 反権威主義のはずが国家元首に
また「無政府資本主義を掲げるなら、なぜ国家のトップになりたがるのか」という疑問もある。ミレイはこれを「国家という怪物を解体するためだ」と説明する。つまり、外から批判するだけでは何も変わらないので、大統領として権限を行使し、可能な限り国家を縮小させるという逆説的戦略をとっているのだとされる。
9. アルゼンチン特有の文化的障壁と既得権構造
9-1. 社会正義・連帯という神話
アルゼンチンには「社会的正義」や「連帯」という言葉が美徳として根付いている。しかしミレイやその支持者によれば、それらはしばしば国家による強制的な再分配を正当化するためのスローガンとして使われ、実際には腐敗や依存心を助長してきたとされる。福祉の拡大が人々を国家に依存させ、政府支出を膨らませる一方で、経済成長や雇用拡大には寄与してこなかったという見方だ。
9-2. 「カスタ」の正体
いわゆる「カスタ(既得権階級)」は、政治家や官僚、労組の幹部、国家と結託した企業家などで構成されるとされる。左右のイデオロギーを超えて、国家予算や規制権限の分配を巡り互いの利権を保持する仕組みが長年続いているため、政権が替わっても根本的改革は進まない。彼らは国民には「社会正義」や「安定」を説きながら、実際には政治的地位や予算を私物化して利得を得る。こうした構造に国民は長年うんざりしてきた背景がある。
9-3. 文化闘争としての革命
ミレイが唱える「自由革命」は、単なる経済政策の転換にとどまらず、社会・文化面の意識変革をも含む。依存体質や、政治家に解決を任せてしまう受動的なマインドを根本から変える必要があるという。自発的な市民同士の連帯と市場メカニズムによる創造性を信頼し、「国家に頼らない人生」を選ぶことを推奨する。この点が人々の大きな反発も呼ぶが、同時に「今こそ変革を起こす時だ」と賛同を集める原動力にもなっている。
10. 社会主義の亡霊と自由主義の再評価
10-1. 冷戦後も消えない左派の影響
ソ連崩壊以降、社会主義という看板は勢いを失ったと考えられてきたが、ベネズエラやキューバ、アルゼンチンの左派政権など、いまだに大きな影響力を持つ国や地域が存在する。アルゼンチンでは「ペロン主義」によって大きな政府思想が引き継がれ、またキルチネル政権も補助金や公共支出を柱にポピュリズム路線をとってきた。しかし、結果として経済の低迷や汚職を拡大させた。ミレイは「社会主義は何度も試され、失敗している」と強調し、その亡霊と戦うことを政治目標に掲げる。
10-2. 90年代改革の再評価
しばしば「1990年代の新自由主義改革がアルゼンチン経済を破綻させた」と批判されるが、ミレイ陣営の視点では「むしろ改革が中途半端に終わったことが問題だった」という分析がある。つまり自由化そのものが悪だったのではなく、十分に徹底されなかったために借金や通貨制度の歪みが残り、2001年の経済破綻を招いたという主張だ。彼らはチリやニュージーランドなどの事例を挙げ、短期的な痛みを伴っても大胆な改革が必要だとアピールしている。
11. 批判や誤解に対する具体的反論
11-1. 「弱者切り捨て」という批判
ミレイの小さな政府路線は、「弱い立場の人を見捨てる冷酷な思想」だと見られがちである。しかし彼の論法によれば、国家が過度に福祉を独占するほど、汚職や非効率が生まれ、結果的に社会の脆弱層が割を食うことが多い。市場経済が成長すれば雇用も増え、また民間の自発的慈善活動や地域社会のつながりが活発になるというのが主張である。
11-2. 「女性差別主義者」とのレッテル
中絶への強硬姿勢などから、フェミニズム運動の一部はミレイを「ミソジニー(女性嫌悪)」と非難する。しかしミレイは有能な女性を要職に登用しており、性差で差別しているわけではないという。彼にとって中絶問題はあくまで生命倫理の次元であり、女性への蔑視とは無関係だと反論する。もちろん彼の言動には過激な発言もあり、誤解を生む余地はあるが、支持者はそのメディアでの切り取りを批判している。
11-3. 「市場失敗があるのに政府介入不要か?」
経済学では市場失敗もあり得るため、政府の役割が必要というのが一般論だ。しかしミレイは市場失敗と同等、あるいはそれ以上に深刻な「政府失敗」が存在すると指摘する。官僚による腐敗や非効率のコストは想像以上に大きく、結果として国民の富を奪うケースが多い。だからこそ、政府が小さいほど社会全体の幸せに寄与すると彼は主張している。
12. オーストリア学派の理論的支柱
12-1. 歴史と主要な思想家
オーストリア学派は19世紀末のカール・メンガーに始まり、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス、フリードリヒ・ハイエクらが発展させた。限界効用理論や、価格機構による自発的秩序などを重視し、ケインズ主義のような政府介入には反対する。第二次世界大戦後はアメリカで研究が続けられ、マレー・ロスバードなどがアナルコ・キャピタリズム(無政府資本主義)を提唱した。
12-2. 通貨理論とミレイのドル化政策
オーストリア学派では、政府が貨幣を独占的に発行することがインフレの原因とされる。ミレイが中央銀行廃止やドル化を訴える根底には、ミーゼスらの「通貨の非国家化」という理論的支柱がある。中央銀行を存続させてきたことこそ経済危機の根源であり、民間通貨やドルとの競争を容認することでインフレを根絶できるという信念に基づいている。
12-3. マーケットメカニズムと民間サービス
さらに、オーストリア学派は公共サービスも市場に委ねれば、より効率的かつ多様なサービス提供が可能だと考える。教育や医療を含めて民営化を進めれば、官僚的な非効率が減り、質の高いサービスが実現するというのがミレイの政策論の背景だ。それに対しては「貧困層がサービスを受けられなくなる」という懸念も根強いが、彼らはバウチャー制度などで一応の対応策を提示している。
13. ミレイ政権発足後の現在と未来
13-1. 深刻な課題
ミレイ政権が発足した時点で、アルゼンチンは経済破綻寸前の状態にある。外貨準備不足、天文学的な対外債務、年100%を超えるインフレ率、約半数近い貧困率など、問題は山積。さらに議会ではミレイの党は少数派であり、大胆な政策を法制化するのは容易ではない。労働組合や左派勢力が激しい抵抗を示すのはほぼ確実で、社会的混乱が生じるリスクも高い。
13-2. 楽観的シナリオ
とはいえ、ミレイが唱える大規模な政府縮小と規制撤廃、ドル化によるインフレ封じ込めが一定程度成功すれば、外国投資が呼び込まれ、経済再生のチャンスもある。かつてアルゼンチンが世界屈指の豊かな国だった時代は自由貿易と移民政策で栄えたとも指摘され、原点回帰を目指すことで再び国力を取り戻すという見方が支持者の間にはある。
13-3. 国際社会への影響
もしアルゼンチンがミレイ流のリバタリアン改革で成功すれば、他国でも同様の動きが広がる可能性がある。特に南米諸国や、欧米で低迷するリベラル勢力にとっては一種の希望となるかもしれない。一方、失敗すれば「やはり極端な自由主義は破綻する」という批判が再燃し、世界の政治潮流にも影響を与える。どちらにしても、その結果はアルゼンチン国内にとどまらずグローバルな注目を集めることになるだろう。
13-4. 国民の行動次第
ミレイは演説やメディア露出で「革命は政治家だけではなく、国民一人ひとりが覚悟を持つことが必要だ」と訴え続けている。これは「自由」を本気で選び取るなら、補助金や公的サービスのカットなど痛みが伴うことを受け入れねばならないことを意味する。低税率と規制撤廃で経済を活性化させる一方、当面は生活上の混乱が避けられないという。ここで国民の多くが改革を支持し続けるのか、それとも大規模デモなどで反発するのかによって、今後の政権運営が大きく左右される。
結論:アルゼンチンの「革命」はどこへ向かうのか
ハビエル・ミレイの大統領就任は、長きにわたるアルゼンチンの政治・経済の停滞に風穴を開ける「革命的事件」として認識されている。社会主義や大きな政府の限界を説き、過激なまでのリバタリアニズムを掲げるミレイの主張は、多くの国民にとって衝撃でありながらも希望の光ともなっている。
しかし、一方でアルゼンチンの政治的構造は根深い既得権益や腐敗がはびこり、議会や官僚組織、労働組合などの抵抗が予想される。また、大統領自身の性格的な過激さが世論を二分する可能性も高い。金融市場や国際社会が彼の急進的政策にどのように反応するかも不透明だ。
それでも、彼が目指す「国家からの解放」と「自由の拡張」というビジョンは、長年抑圧的な政治・経済環境に苦しんできた多くのアルゼンチン国民の琴線に触れている。激しいインフレと貧困に苦しむ人々にとって、従来の政策が無効だったのは明らかであり、大胆な変化を受け入れる土壌があることもまた事実である。
この「誰も予期しなかった革命」が成功するかどうかは、実際に改革がどこまで断行され、どこまで成果を出せるかにかかっている。成功すれば、アルゼンチンだけでなく世界の自由主義運動にとって大きな転機となる可能性がある。失敗すれば、新自由主義やリバタリアニズムは再び厳しい批判に晒されることになるだろう。いずれにせよ、今後数年の動向から目が離せない。
以上のように、筆者が調査・分析を通じてまとめたところ、ハビエル・ミレイ大統領の出現は、アルゼンチン国内だけでなく、グローバルな視点から見ても非常に興味深い事例を示している。経済危機や政治不信が極限に達した社会では、これまで「非常識」と見なされていたような急進的政策が現実味を帯びる。まさにミレイの存在とその勝利が、私たちに民主主義や国家の役割、個人の自由とは何かを改めて考えさせるきっかけを与えていると言えよう。