日記が長続きしない人間の話
お久しぶりです。もうnoteの更新頻度が年1レベルになっている。
でももしここで「どうせ更新しないし」と思ってアカウント閉じても、すぐまた何か書ける場所が欲しくなってどこかでブログを立ち上げるにきまってるので続けます。
僕は自分のことがよくわかってるんだ。
「日記が長続きしない人間」というのは、つまりは僕のこと。
note以外にアナログでも日記をつけているけれど、そっちも最近あんまり更新していない。でも今年に入ってからあまりにもいろいろなことがあって、それについては記録をつけておいた。記録は記憶なので。
日記が長続きしない人間はすなわち筆無精でもあるので、他人からの連絡にもなかなか反応しない。通知が来た時に「あとで確認して返しとこ」と思ってそのまま忘れる。
翌日思い出すけど「忘れずにあとで返信しなきゃ」と思ってそのまま忘れる。それを毎日繰り返す。
日記も書かない、連絡も返さない。つまり文章を書くのが嫌いなのでは?
いや、そうじゃない。書きたいことはたくさんある。
音楽のこと映画のこと、展覧会のことライブのこと。コンテンツの考察だって書き残しておきたい。
長いこと創作するエネルギーをもてずにいたけど、最近はまた「書きたい」という欲求が湧いてきた。
書きたい気持ちはある。書きたいものもある。
ただ……「義務」がダメなんだよなぁ……。
日記もSNSも、書くことに義務感を覚えると途端に書けなくなる。
足が遠のくというか。
「ああ、今週も更新しなかった」とか「こういうものを書かなきゃ」とか。そういう状況に弱すぎる。
これはものを書くことに限らず、お裁縫でもお絵描きでもお勉強でもなんでもそう。
自分で楽しんでる状態じゃないとなーんもできない。なーんもやりたくない。
それでも仕事であれば真面目にやるけど、なんと日記もお裁縫も仕事じゃない。趣味。つまりやらなくても誰も困らない。僕も困らない。嘘、困ってる。フェリシモで買ったキットが封も開けられずに積み上がっている。めちゃくちゃ場所をとる。困る。
困るけど、でもそれで人が死んだりはしないので、まあ大したことは無い。
「別にやらなくてもいいならやらなくていいか! よし昼寝しよ!!」という思考回路で生きている。
それでも、20歳くらいからぽつぽつ書いてきた日記帳はいまや3冊目に到達した。
noteだってまあ、年に1回は更新している。
小説は全然書けてないけど、シナリオは書いてる。ただしTRPGの。
つまり、全くダメなわけじゃない。なんにもできないわけじゃないのだ。
10年前は「完璧じゃなければ全部ダメ」「9割できても1割ダメなら意味がない」くらいの潔癖さで生きていた。でもこの10年で、自分で期待するほど自分は有能な存在ではないことに気づいてしまった。僕は物語の主人公ではない。悪役でもない。地の文にすら登場しない何者でもない何かでしかない。
だったら、潔癖さなんて人生を生きづらくする毒だ。
1割できたら9割ダメでも別にいい。「できたこと」が大事。今はそう思うことにしている。
だから、ブログの更新が年1回でもいい。なろうは作品もろともアカウントも消したしカクヨムは年単位で放置してるけど、まあ……まあ公開してないだけでシナリオは書いてますし……TRPGのだけど。
ゼロじゃなければいいだろ!いいんだ!OK!そういう自分許してこ。
今年の目標は月1回更新。いや、目標とか掲げちゃうとまた義務感できちゃってやらないな。
目標は無し。ゼロ。無。
今年もたくさん楽しいことをしよう。「これがしたい。これが書きたい」という衝動に従おう。
今の僕にはそれが必要なので。
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