君の神様になりたかった
はじめに
note始めました。夏なんで。
これから時々更新していこうかなと思ってる。
自分の考えてる事とか、その他諸々。
頭の整理にもなるし、もっと俺のことを知りたいと思ってくれてる人にとって価値のあるコンテンツになったらいいな。
Twitterでもいいんやけどな~、あれは文字数少なすぎるしな。
それにいろんな人の目につくし、激重感情系とかはこっちでした方がええかな。
ホンマにコアファン向けのつもりで書いていくから、程よい距離間で見てたい人はYouTubeとかTwitterとか見ててくれた方がいいかもね。
あんまり変わらんかもしれんけど。
ってことで。
悪意のない一言
生きてる中で自分の身に起こる嫌な出来事の原因に、『悪意』があるケースって、実はそんなに多くないんじゃないかなって思う。
コンビニで店員にダルそうに対応されたり、逆に働いてて終わってる客に当たったり。
こういうのって、自分に対して悪意が向けられてるわけじゃなくて、
多分コンビニ店員は昨日なんかしてて寝れてないし、終わってる客は普通にそういう生き物で、誰に対してもそういう態度をとってる。
俺たちはそういう奴らの生き方の余波を受けて暮らしてるし、きっと自分自身も他者に対してマイナスな影響を与えてる事ってあると思う。
だからこそ、お互いトントンやから、「まぁ、何かあったんやろな」って受け流して自分を保ってみんな生きてるわけで。
俺も大概のことは「君はそう思うんだね」、「そんな考え方があるんだね」って、できる人間のつもりやけど、今回みたいな命に直接関わることに、他人が中途半端に首を突っ込むような意見に対しては、黙って首を縦には振れへんなと思う。
最初にあの文章を見た時に沸いた感情は「舐めてんのかコイツ」の一言に尽きる。
良いことを言っている、他者に寄り添っている意見の体を装って、自分のエゴを通そうとする。
自殺者当人への声掛けは一つもなく、挙句の果てに「老若男女例外なく全員色んな人にまっぱ見られますよ」?
キショ過ぎるやろなんぼ何でも。
まぁまぁの文章量書いてらっしゃいますけど、必死に考えてこんなふざけた言葉しか吐けないんなら口に出すなよ。文末に草まで生やしやがって。
この文章に関しては悪意がないからこそ有害で、今必死に悩んでギリギリで生きてる人間を馬鹿にしている、追い詰めかねない文章やと思う。
今、死にたい人にかける言葉
今回のこれは自殺に対する警鐘を鳴らす物の中でもぶっちぎりでふざけた文章やったと思うし、多くの人が元ツイートに対して反感を持っている様子がリプ欄からも見てとれた。
ただ、これはあくまで特別な一例であって、割と日常的にこの手の意見を目にすることは多い。
「命を無駄にしちゃいけない」、「残された人が悲しむ」、「苦しいのは今だけだよ」、「君には無限の可能性があるんだから」、「外に出て日光を浴びるところから始めよう」、「仲のいい友達に相談しなよ」、「君は一人じゃないよ」、「美味しいもの沢山食べなよ」、「旅行にけば世界が広がるよ」、「生きててよかったって思える日がきっとくるよ」
お前誰なんだよ。
分かってる。どうにかしてあげたいって気持ちがあって、善性に溢れていて、未来の可能性を信じている。
素敵なことだよね。
でも、お前、誰なんだよ。俺の何なんだよ。
きっとこんな言葉で救われた人も沢山いるんでしょう。
でもそれはきっとね、本当に身近な人や、愛している人が一生懸命ふがいない自分のために動いてくれている状況のおかげだったり、
あるいは、今日が終わったら死のうって思っている時に、ライブ会場で素晴らしい音楽にのせて届けられた言葉だったりするから意味があるんだよ。
形だけ模倣して、聞きかじった知識を並べて、理解者のような顔をして、そんな薄っぺらい言葉が、他人からのそんな言葉が誰かを救うなんてことは無いんだよ。
言い表しようのないこの苦しさを、俺にしかわからないこの苦しみを、お前なんかの、そんな言葉で救わせてたまるか。
って、俺は性格が悪いから思ってしまう。
みんながみんなそうじゃないと思うよ。
中には素直に聞き入れてくれる人もきっといると思うけど、本当に追い詰められている人にとって、こういう言葉ってなんなら逆に追い詰める形になっちゃうんじゃないかなって俺は思います。
俺は、人が人を助けることなんて出来ないと思うし、かける言葉もないと思う。仮に這い上がってきたのなら、それは本人が頑張ったからだと思います。「よかったな」です。
終わりに
散々話してきましたが、要は「どこの誰かもわからん奴が、知った風な口をきくな」が主張だったと思います。
人の苦しみは千差万別。Bちゃんにとっては何でもないことでも、Aちゃんにとっては耐えられないことだってあるのです。
知識や自分の経験に基づいて話をすることは大切ですが、それがいかに正しくともそれで誰かを救えるわけではないということです。
もちろん、こういった俺の主張のようなことを心得た上で、それでも、という方もいらっしゃるとは思いますが、人の心は目に見えないのでどれだけ立派な思想の元に動いても表面しか受け取れないのが世の常です。
追い詰められている人間であればなおさら。
どちらも悪ではありません。そういうものですから。
だから俺は「自分は他人を救える」というのは思い上がりだと思うのです。
必死で生きた人の最後の選択を踏みにじることもね。
今回はフル動画で「カンザキイオリ」様の「君の神様になりたい。」をカバーさせていただきました。
僕が今まで聞いてきた曲の中で、言葉のすべてに共感を持てた数少ない楽曲の一つです。
今日の僕の主張とも重なる部分がきっとあると思うのでぜひ聞いてみてください。
人は人を救えない。ならば、見殺しにするのが正しいのか?
いいえ、ただ側に居て支えてあげればいいのです。
文句の一つも言わず、当たり散らかされようが、相手のためを思ってした事が裏目に出ようが、目の前で手首を切られようが、ODで寝具を汚され、救急車を呼ぶ度に「またか」という顔をされようが。
そこまでできる覚悟がありますか?自分の人生を全て投げ捨てて、一緒に地獄へ落ちてあげられますか?
俺はおすすめしませんけどね。
俺?俺ならどうするかですか?
そうですねぇ、俺も俺のことで手いっぱいだし、出来ることといえば
一緒に苦しんであげることぐらいですかね。
俺の苦しみは、俺だけのものだし、
お前の苦しみは、お前だけのものだよ。
俺が生きてる間は一緒に頑張って生きような。
全部は分かってやれないし、救ってなんてやれないけど、一緒に苦しんでやるからな。
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