先は見えないもの. もう恋なんてしないと思ってた。

わたしはもう二度と恋をするとは思ってなかった。

巷の恋を歌う恋の歌、ラブソングなんて、全部青二才に感じた。

人の事恋しいだ、欲しいだ、愛しい、だなんて、そんな事に必死に乞うことが理解できなくなっていた。

変なところに落ち着いて、まあ、こんなもんでやっていくんだ. と思ってた。

理解できない差異や、自分の思いとは裏腹の相手、期待と誤ち、不安・・・。
全て私の想定外。理解不能。
心と心のコンセントが繋がった先に、全力で恋してるじぶんがいた。
そういう不完全な掛け違いも、ハートから思わず弾けた蜜のように、のちに恋の味ともなる。

皆、真剣に恋してんだなあ、って思った.

何で恋をするんだろう? 何で我々は好きになるんだろう?

どんな理屈を並べても、頭では考えられない“何か“が答えだと、必死で訴えかける。

男女として違うのも、身体や脳の違いから何からを、全て知るところから快楽の始まりであり、苦悩もまた始まる。

恋というものは、美しく、可憐で、そして切なく、残酷だ。
まるで散る花のように。

好きに理由なんて、ない。それが私の答え。

ーあ、そうそう。結局何をそう突然そんな恋だの、何だの、って言ってると思ったかというと。
山崎まさよしの『One more time,One more chance』のPVを見てしまったからだ。

https://m.youtube.com/watch?v=BqFftJDXii0

そして、その当時の空気感も思い出される…
わたしはまだあの時7歳だったが、とてもこのキレイな顔と色気のあるギターの音と声に魅入ってたな〜…
その当時だけの感覚かと思ったら、やっぱり今もそんな彼に同じような思いを抱いてる。

あの時も、今と同じような感度で、素敵でちょっと切ない恋の歌をつー…と聴いている。
ませてたのかな?きっとませてるよね笑

でも、その当時は想像や雰囲気で切ない思いはあったけど、今は一つ一つを自分の肉片となったリアルな感情として感傷したり、その世界観に没入できるまでに至っている.
その曲の雰囲気に相まって。

やはり自分の想いは、誰かの想いだな。

何だか、このひんやりした空気感が春先の冷たさを思い出す。

桜木町に行ってみたくなったな。

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