未来に齎すもの
うーん、先ほどKing Gnuの曲やその曲を作るに至った背景を書いていたのだが、今しがたあるショップにてこれを書いている。
隣で小学受験?の勉強と思しき5歳ぐらいのおぼっちゃまとその母が。
何だろう?明確にいつも怒りが湧いてくる。
私は文教都市という地域に住んでいて、いわゆる名門校というものが各所にある地域に住んでいるのだが、たまーに母が娘や息子に対して、イライラした様子で、
「ねぇ、何でこれができないの?」
「さっきも言ったよね?」
「え、何で、これは(何々)にならないよね? 何でこうなるの?はぁ。(溜め息)」
と、今にも手を出さんばかりに体を乗りだして、向かいの男の子に愛の一切ない顔と態度で、怒りを躊躇なく剥きだして指摘、文句、愚痴を畳みかける様子目にする…。
そう、一切 非難の応酬なのだ。
子どもは何で今自分が鉛筆を握り、お勉強というものをしてるか分かってるのかな?
泣き出しそうになりながら必死に耐えてるよね。いくら自分を否定する言葉を目の前の母親に強く言われても。
わたしは心が今すぐにでも逃げ出したくなるの分かるよ。
正直、その母親を叱りたくなる。そして、引き剥がしたくなる。
傍目に何も悪いことせず、ただただお母さんの言う事を癇癪も起こさず、泣く事もせず、じっと耐え、鉛筆を握り、紙に向かってる(風な)あなたは本当に凄い。
我慢する必要もないのに、我慢して、自分の感情はもう、この年代から脇に置いてるなあ、と同時に将来への不安を馳せてしまう。
それと同時に考えるのは、その母親も同様に親からそのように“しつけ”られ、受験神話の中でその子のみならず、様々なプレッシャーから絶対に漏れてはならない、落ちこぼれてはならないと必死なのだ。
もうね、どの母親もその子供の事は見ずに、ヒステリーになってるの。
常に、子供に詰問してるのね。
教官、スパルタ、ミスを一切許さない警察みたい。
ナチュラルに公然と、虐待してる。
その状態をいつも私の傍で繰り広げられるたび、介入したくなる衝動に襲われる。
何ていうか、外だからまだその“程度”で済んでないかなぁ?と。
そのお母さんとお父さんの関係も気になるところ。
普段、コミニュケーション取れてるんだろうか?
夜遅くに帰る生活で、家事・育児を人任せにあいてないだろうか?
子どもの責任を母親に押し付けてないだろうか?
そんなような事を考えてしまうね。
関係ない他人がそう、人のことを考えるな?って。
心配するべき事案よね。
何より将来を担うのは、その子たち。
子どもの頃の愛情の飢えは深刻よ。
勉強するにしても、その愛情の土台があってからこそ。
心身の健全な発達は勉強より優先順位が低いもの?
特に母親からの無償の愛は、代えのない一番価値のあるもの。
勉強ができるかどうかは今はそんなに大事じゃないわ。
あなたがせっかく生まれた我が子に、どれだけ生まれてきてくれてありがとう〜。
って、愛と自分の身体全体で包んであげることよ。
頭を一旦脇に置いて、心で触れ合って。
傍にいるわたしも辛かった。
辛かったけど、私はあえてそこで終始行方を見守ってる。
(多分だけど、お母さんが子どもに手をあげたりしようとしたら、静止できるように無意識にスタンバッってるんだと思うw)
そういう状態で1日のほとんどの時間を一緒にいるのは有害だと思う。
それなら、情緒的に落ちついた年上や大人のいる中で、安心して勉強を教えてもらった方がいい。
もし、勉強させるならね。
でも、本当は腹の底から笑って欲しいし、勉強よりもこの広い世界の驚いちゃう体験や、「なんで?」って純粋に思ったことに対して、その子なりに深めていった方が、将来により豊かな実りもたらすとおもうけどな。
もたらすって “齎す” って書く。この漢字の深みよね。素敵。
今日はずいぶん意図せずして、色んな“家族”のテーマについて考えさせる事があった。
“家族”というだけで、健全でハートフルな意識で見がちなのをやめようか。
色んな闇がここには詰まってる気がするよ。
それを見ないふりするのが一番良くない事だと思うの。
だって、実際に現状として起こってる事だもの。
どれだけ不健全かを真正面から見る勇気も大事。
見られるってことは、もうその状態で当事者ではなく客観視できてることになってるから。
あ〜、私は普通の家庭出身じゃなくてよかった。
そして、色んな状況と対峙し、見聞きしてきて良かった。
いくら美麗美句を並べ、礼賛しようが、上塗りできない深〜い深淵があるから。
綺麗事であしらって、むやみに人を傷付けなくていいし、傷のうずめきを敏感ながら感じ取れるようになったから。
ちょっと一旦筆を置きます🖌
追記:一連の繋がりがあるなぁ〜とも思ってこの記事を書いたんだけど、まさに前に私が呟いたり書いて危惧した事や、今日林檎の詩(うた)で書いてた内容そのまま…。