そういう日もあるよね
私は朝、出勤準備をする時にいつもラジオを聞く。
今日はリリーフランキーさんの「スナックラジオ」。
ゲストは銀杏BOYZの峯田くん。
峯田くんの回が聞きたくて、わざとYouTubeで「スナックラジオ 峯田」で検索かけた。
私は今韓国にいるから日本のラジオが聞けない。
調べたら方法があるのかもしれないけど、YouTubeの違法アップロードを通して聞けてるから、まあいいかと思っちゃっていつもYouTubeで聞いてる。
私はYouTubeに課金していないので、ラジオを流している間は違うアプリを触ることができない。
だからいつも朝の支度時や、家の掃除中など、手が忙しい時に耳の暇つぶしとして聞いている。
スナックラジオの峯田くんの回を探した理由は特にない。
最近何かで誰かがその回に言及してて、「お、私も聞こ」と思ってつけた。
峯田くんは、番組の中で「狙ってる女の子がいるなら、その子のお父さんに重なる部分を作ることで女の子は勝手に親近感を抱いてくれる」的な話をしていた。
「そろそろ俺の母ちゃん誕生日なんだよねー、何あげたらいいかなー、なんかしてあげようかなー」から初めて「◯◯ちゃんはご両親の誕生日とか何かしてる?」、「そう言えばお父さんはどんな人なの?」みたいな感じで少しずつ情報を聞き出すらしい。
それで、女の子がお父さんの特徴を話した時に「お、実は俺もなんだよねー」って感じで重ねていくらしい。
あながちこれは間違っていないような気がする。
私のお父さんはガンダムやバイクやスポーツカーが好きだったが、その類を好きな男の人を見つけると「あ、お父さんと同じだ」と思って興味となぜか安心感を持つ。
スタジオにいた女の子2人もその方法を絶賛してた。
私は、私のお父さんってどんな人だったっけ、と考えた。
私のお父さんは、私が中学3年生の時に亡くなった。
ガンだった。
1年半くらい入院して、その間に何度か手術をしたけど、運が悪かったのか繋ぎ目が解けることが多く、何度も深夜や朝方、時間関係なく実家に病院から電話がかかってきて、お母さんが1人急いで病院に行っていた。
私の家はとんでもない田舎にあるから、実家からお父さんが入院する病院まで頑張って車で1時間くらい。
私はその緊急の呼び出しについて行ったことはなかったから、呼び出されたあと、お母さんが病院でどう言う景色を見て何をしていたかは知らない。
少し勇気を出して、今度聞いてみてもいいかもしれない。
私ももう大人になったから。
具体的には覚えていないが、一時期は自宅で療養していた時期もあった。
少し仕事もしていたのかな?よく覚えてないや、
多分自宅療養中に、自慢のスポーツカーで塾の送り迎えをしてくれた。
ある日、塾の入ってるビルの1階でお父さんの仕事の集まりがあって、その解散と私の塾の終わりの時間が被ったから(合わせてくれたから?)一緒にビルから出てすぐ隣の駐車場まで歩いた。
お父さんの上司の人が、お父さんの車を褒めた。
お父さんはニコニコしながらなんか謙遜の一言を言った。
なんて言ったかは覚えてないけど、「あ、この人謙遜とかできるんだ」と思った記憶がある。
7月の末、高校受験を控えた私は集団塾に週2回通っていた。
ある日の授業中、塾の固定電話に母の携帯から電話がかかってきた。
お父さんが亡くなったとお母さんは言った。(具体的にどう言ったか、どう言う口調だったかは覚えていない)
私はその知らせをすんなり受け入れた。
「そうか。」そんな感想だった気がする。
私は気まずそうに教室を抜けて家に帰った。
その瞬間に特に騒いだり泣いたりはしなかった。
母は仕事場から先に病院に向かい、私は幼馴染のお母さんが運転してくれる車に乗って弟と一緒に病院に向かった。
私と弟がお父さんの病室に着いた時には、もう心配蘇生?も終わって父は静かに眠っていた。
私は人の死体をそこで初めてみた。
静かに眠っているような、でももう一生動くことのないような、そんな不思議な光景だった。
私は泣いた。なんでかはわからない。
悲しかったかもしれないし、びっくりしたかもしれないし、雰囲気に飲まれたかもしれないし、泣いた方がいいと思ったかもしれない。
でも、そんなに泣けなかった。
目の前の「死」は、ドラマで見ていたような死の瞬間とは心に来るものが全然違う。
ドラマで他人が死ぬ瞬間を見る方が100倍泣けた。
私の前で横になっているお父さんは、私に死の実感を与えてくれなかった。
私はただ、お父さんが亡くなった少女として自分を認識することだけができた。お父さんが亡くなったことは実感できなかった。
その後のことは意外とよく覚えていない。
いくつか記憶に残っていることと言えば、
霊安室で汗をかいている父の死体を、おばあちゃんはなんの躊躇いもなくハンカチで拭い続けてたこと、(私は怖くて全く触れられなかった)
父が亡くなった次の日は好きな男の子とサッカーかなんかの試合を見に行く約束をしてたこと、(1ヶ月前から約束していたから行けなくて本当に残念だった)
具体的な死因を知るために死体解剖?するべきか、お母さんが幼い私たちにも意見を聞いてくれたこと、(私は「いっぱい手術して痛い思いしたから死んだ後くらいは痛いことしないであげたい」と言った)
父が亡くなった日に看護師さんも何人か病室に来てくれて涙を流してくれたこと、(看護師さんからしたら日常茶飯事だと思っていたから泣いていたのが意外だった)
そのくらい。
無事にお葬式を終えてから、私は普通に学校に出席した。
普通に生活をしながら悲しみを感じる瞬間はほぼなかった。
いつまで経っても実感が湧かなかった。
中学校の先生たちが5人くらい挨拶に来てくれた。みんな神妙な面持ちだった。私も涙を少し出しといた。
いつもなら生徒の父親なんて先生からしたらほぼ見えない人なのに、本当に見えなくなってから見える人になったのが不思議だった。
担任の先生はすごく心配してくれた。私の心が大丈夫なのか。
でも、学校生活の中であまりに悲しまない私を見て「本当に強い子だね」と褒めてくれた。
私は強いんじゃなくて、父が実感をくれないだけなんだ、と思ったことは覚えてるけど多分それは言わなかった。
10年経った今でも父が亡くなった実感は湧かない。
1年半入院しててあまり会ってなかったのもあって、元からいなかった気もするし、いつか「ただいまー」って普通に帰ってくる気もする。
今もそう思ってる。
実感が湧かなかったせいで心底悲しめなかったし泣けなかったことも私は悔やんでいる。
もっとたくさん泣けばよかった。そう思う。
でも、本当に辛かったのはお父さんが亡くなった瞬間じゃなくて、お父さんが亡くなった後の事務的な処理や申告、事業の引き継ぎに追われるお母さんを見てることだった。
誰かと電話しながら大声で叫んで泣いたり、私と弟が頼まれてたお手伝いをしなかったせいでリビングのドアのガラスの部分を叩き割ったり、夜遅くまで自分の仕事とお父さんの後処理のことでしんどそうだったり。
今だったらもうちょっと上手く立ち回れるのに、その時はまだ子供で何も手伝うことができなかった。
正直、元々子煩悩な父親ではなかったから、お父さんがいなくなってからも家族の形に支障が出ることはなかった。
友達とお父さんの話題になった時に空気を少し気まずくしてしまう以外は変わったこともなかった。
私はたまに、これお父さんに相談したらなんて言うかな、今頃お父さん生きてたら私の人生は違ったかな、お父さんと一回お酒飲んでみたかったな、なんて思うことがある。
学生の時に友達と遊びに行く時はこっそりお小遣いをくれたり(お父さんが亡くなってからお母さんが「押入れの中にお父さんが準備していたお小遣いだよ」ってくれた5000円札は今もそのままお守りとして実家の私の部屋の引き出しに入れてある)、ゲーム片手に漢検の勉強に付き合ってくれたり(当時は「片手間で勉強教えんなよ」とかなりキレてた)、ニュースを見てて「これどういう意味?」「これなんで?」って聞いたこと全て答えてくれたり(大人になって思うとすごいことだよね)、なんだかんだいい父親だったのかもな、なんて思う。
今日もなんとなくお父さんに会いたくなった。
峯田くんの話を聞いて、お父さんのことを考えた。
お父さんのことを考えて今日はなんだか涙が出た。
なんでだろうな、と思ったら、明日はお父さんの誕生日だ。
潜在意識の中にお父さんの誕生日があったのかな、いつも忘れちゃってたけど、今日は思い出せた。
今日はお父さんの夢でも見るのかな。
せっかく思い出したから実家に何か送ろうかなと思ってLINEギフトを開いた。
お父さんはお酒が好きだったから、ちょっと豪華なお酒の詰め合わせとかにしようかな、お供えの期間が終わったらお母さんも飲めるように。
書き出してみると呆れるくらいお父さんのことについて覚えてることは本当に少ないけど、今日はお父さんのためにたくさん涙流したから、これで許してもらおーっと。
自分を思って涙を流す娘なんて可愛すぎるでしょ!
p.s.
朝、お母さんに、「お父さんの仏壇に添えられるものなんか買ってあげて」ってコンビニの電子ギフト2000円分送ってあげたら、「覚えててくれてありがとう」って言われた。
私がお父さんの誕生日を覚えてることはお母さんにとっても嬉しいことだったみたい。ありがとうと言われたらなんだか照れ臭くなった。
本当はもうちょっと気の利いたものを送りたかったけど、気付いたのが昨日で、ラインギフトでは送るのに7日くらいかかるみたいだったから遅すぎて一旦やめた。
こんど7月実家に帰った時にもっと豪華なプレゼント持って行くからね。
あと、私がキャバしてた時にお客さんに私の誕生日をお父さんの誕生日で伝えてたみたい。すっかり忘れてた。
今日キャバとの昨日お客さんから「誕生日おめでとう!」ってラインきてた。
こじき客で私がフリーで着きそうな時間帯だけ来て最後まで指名してくれなかったお客さんだけど、3年も経って誕生日まで覚えててくれてるのはちょっと嬉しかった。
(面倒だから返事するのは悩むけど。あと、私がなんとなく空を見た時に満月だったらすごく気分が良くなるって話をしたら、この人から毎月満月の日に「月が綺麗だね」とかメッセージ送ってくるようになって満月が嫌いになった。私の楽しみ奪いやがって。)
キャバで知らない人たちに無条件に私の個人情報開示するのが嫌だったから、お父さんと私の誕生日はまあそんなに違わないし支障ないだろお〜と思ってお父さんの誕生日を勝手に拝借してたけど、星座占いの話になって、「え、誕生日と言ってる星座合ってなくない?」って言われてアタフタしたのを思い出した。
そうだ、私のお父さんは誕生日は近いけど星座は違うというトラップがあったんだった。