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ブランド人になれ! 会社の奴隷解放宣言 田端信太郎

おわりににこんなことが書かれていた。
「この本を最後まで読んでくれた君は、ブランド人とは何たるかを理解したはずだ。あとはもう、行動あるのみ。この本を何度も読み返してくれるのもいいが、さっさとゴミ箱にでも捨てて行動することにこそ、最大の価値がある。」と。
著者がこんなこというなんておそらく史上初であろう。行動にしか価値が無いことは、ブランド人として常識中の常識ではあるが、まさかごみ箱に入れることを推奨されるなんて・・・ワイルドすぎるだろ・・・

「奴隷の幸福」を感じる方は、経験上未だに一定数いる気がする。
良いか悪いかは別問題として世の中の構図として、指示をする人と指示を待つ人が存在し、意外と指示を待つ側の人間がマジョリティであると様々な場面で感じる。
なので、非効率的な組織があったり伝統が変わらなかったりするとは思うが。(教育系に多いような気がする)
個人的な見解を述べさせてもらえるのであれば、企業や社会が成長し続ける限りは指示待ちのほうが堅実で安定した人生を歩める可能性が高いと思うが、成長が止まったり、衰退してしまうとそんな主体性のない人間は必要なのか?転職するにしても需要はあるのか?と考えてしまう。
その会社に依存し続けるのであれば問題はないと思うが、敵を作ってでも主体的に行動することにこそ価値があるのではないだろうか?理想はその熱狂的な行動が組織に伝藩するのが理想ではあるが。
最悪なのは、陰でぐちぐち言うくせに、何も行動できないようなものであることはどんなケースでも間違いないが。

もう一つ強く共感して部分があって、ブランド人の正しいスタイルで、面と向かって話せないことは、Twitterでつぶやくなと。
ブランド人たるもの馬鹿正直で丸裸であれとあったが、まさにその通りだと思う。
先ほどの愚痴の話ではないが、面と向かって言えないようなことを陰で言ったところで何の意味もないと思う。人との信頼関係は相手を正しくディスれるか。そのディスリをしっかり受け止めてもらえるかが一つの指標になると思う。長く良好な関係を続ける条件にもなると思う。
逆もまたしかりで、悪いところ、要望やわからないことを気軽に質問してもらえるような関係作りが非常に重要だと思う。

引用の引用になってしまうが、徒然草の引用がすごく刺さったので引用させてもらう。
徒然草第150段(14世紀前半にかかれたもの)
能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちゝよく学ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくかちらめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。未だ堅固かたほなるより、上手の中に交りて、毀り笑はるゝにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性、その骨なけれども、道になづまず、濫りにせずして、年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、双なき名を得る事なり。
天下ものの上手といへども、始めは、不堪の聞えもあり、無下のかさんもありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、放埓せざれば、世の博士にて、万人の師となる事、諸道変るべからず。
(現代語訳)
これから芸を身に着けようとする人が、「下手くそなうちは、人知れず猛特訓して上達してから芸を披露するのが格好良い」などと、よく勘違いしがちだ。こんな事を言う人が芸を身に着けた例しは何一としてない。
まだ芸がヘッポコなうちからベテランに交ざって、バカにされたり笑いものになっても苦にすることなく、平常心で頑張っていれば才能や素質などいらない。芸の道を踏み外すこともなく、我流にもならず、時を経て、上手いのか知らないが要領だけよく、訓練をナメてりる者を超えて達人になるだろう。人間性も向上し、努力が報われ、無双のマイスターの称号が与えられるまでに至るわけだ。
人間国宝も、最初は下手くそだとなじられ、ボロクソなまでに屈辱を味わった。しかし、その人が芸の教えを正しく学び、尊重し、自分勝手にならなかったからこそ、重要文化財として称えられ、万人の師匠となった。どんな世界も同じである。
ここまで読んでいただければわかると思うが僕の大好きな言葉で示させてもらおうかと思おう。
「やればできる子」は「やらなくてもできる子」と「できなくてもやる子」に機会を奪われ続けて生涯を終えるだろう。
過去も現代もおそらく未来もこの原則は変わらないであろう。

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