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小休憩:いたわること

 
 留学が始まって1か月がたったころ、微熱と吐き気を感じた一日があった。思い当たる節は多かった。雨の中のフィールドワーク、連日の寝不足、酸味を帯びたパンの味。フィールドワーク先でいただいたラム肉も、胃は受け付けなかった。おなかは鳴るのに、食欲がわかない。共用キッチンの残り香でまた気持ちが悪くなる。空っぽになった体のなかで何が起こっているのか分からなかった。
 熱を測ると微熱だった。37.4度。図るたびに0.1度ずつ下がっていく不思議な体温計は、渡航前に日本で購入したもの。平均してみた。ベッドに顔をうずめて数時間おきに目を覚ましながらとにかく眠った。
 
 翌日、お昼前に目が覚めた。ぼうっとした頭が妙に重い。熱は37.2度。食欲が少し回復していた。作り置きしていたトマトソースのパスタを食べた。オニオンがすこしきついけれど、よくよく噛んだ。細胞レベルでなじむように、自分を励ますように。
 「ちゃんとしたもん食べとったら大丈夫」と父も母も言っていたっけ。あんなに仲が悪いのに、大事にしている価値観はとても似ている、へんてこな二人。平穏に眠った夜の記憶は、罵倒の夜に上書きされているだけ。確かに覚えているのは、不安そうな弟の目と、姉が流してくれた優しい音楽。縦横無尽によみがえってくる記憶に心が揺れ動く。
 パスタは半分を残して冷蔵庫に入れた。
 
 ただ、少し体調を崩しただけなのだが、いたわり、の感覚を思い出す経験だった。私にとっての器はこの身一つしかない。ならばどうして、いたわりをまずは自分にかけてやれないのだろうか。必死に頑張ることは不安を拭い去ってくれるし、日々は刺激に満ちていて楽しい。その先に見える何かに不安とワクワクを感じて積み重ねる時間。けれど、その中でなおざりにしてしまうこともある。私は気づかないうちに自分の身体を置いてきたのだと思う。ちゃんとしたご飯を食べたり、たまに温泉につかったり、好きな音楽をBGMとしてではなく、そのものとして楽しんだりすること。そして言葉を真剣に選んで、自分と会話をすること。

 こうしたことを思い出させてくれたのは、ふと舞い降りて来た、不思議な通話だったりする。遠くから届く手紙、メッセージ、日々の言葉のやりとり、いろんなものに救われている。見ない人も含めて、本当にありがとう。

 考え込んでしまうところも、すぐ調子に乗ってしまうところも、摩擦が怖くて人と妙に距離を置いてしまうところも、こうして急に何かを書きたくなるところも、受け入れるところから日々を始めたい。説明できないことの方が圧倒的に多いと思うから、よくわからないことはそのまま受け入れられるといい。
 「いたわること」ーーこんなことを話したら祖母に笑われるかもしれない。そうやんな、これはぼうっとしがちな午後のたわごと…ということにさせてください。
 
 


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