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井の中の蛙大海へ

前置き

 どう生きていくのか、それは数え切れぬほどたくさんあるけれど、私はそのほとんどを知らなかった。今もその無知から完全に抜け出しきれていないが、無知だと知れたことは私の人生の大きな転換点だと言って間違いない。ソクラテスの問答は今なお有効に外、そして内への扉を開いてくれる。

天才

 彼のことは蔵氏と呼ぼう。彼は自らを「天才」と呼んではばからない。そしてそれは嘘ではなくましてや強がりでもない。一種おどけた調子を伴って、その人好きするであろう印象を私たちに持たせる点でなおさら「天才」と言っていいと思う。天賦の才能は時として人を近寄りがたい存在にするが、彼はその逆である。蔵氏は人を集めることが出来る天才である。天才を越えた天才なのだ。

 頭が切れ、ビジネスをすればきっと成功させるだろうと私たちに思わせ、実際に形にしてしまう。長距離走を走れば彼の挑戦や挙動に多くの人が期待し、応援し、注目し、そして心を動かされる。
 では、人間性はどうなのか。申し分ない。会話は楽しく、建設的な意見、ポジティブで人を思いやることが出来る人だ。

 それは天性のモノかもしれないが、それを他人に言わせないだけの努力も怠らない人だと思う。しかもその努力をひけらかさない。見えず、匂いが漂ってくるのは本当の努力だからだと私は思う。

導き手

 小学生以来教師を目指してきた私に照明の使い方を教えてくれたのは他でもない蔵氏だった。つまりスポットライトは動かせるしそもそもスイッチを押さないと点灯しないこと。洞窟の中の唯一の灯火をめがけて歩いてきた私に突然文明の利器が導入された。いや、正確に言えば閉じていた目蓋をぺりぺりと剥がしてくれたと表現したほうが良いかもしれない。私はその瞬間から自分が太陽の下で草原に立っているのだと知ったのである。世界は全方向に開けている。

 彼は日の下に私を連れ出して、どこへ行きたいのかを親身になって聞いてくれたし、ではどうやってそこへたどり着けば良いのか一緒に考えてくれた。背中を押してくれた。教師は一つの道で、他にも道はあるし、教師の先にもまた道はあるということ。その自由度に目が眩み、そしてどうしようもなく胸が弾んだ。私には何でも出来るのだ!

タレる

 私には何でも出来るわけではない、と思い知るのに大して時間は必要なかった。挫折と言えばまだ発展の過程だと言うことも出来るし、納得することも出来るだろう。でも私の場合、それは逃亡であったし怠惰であったし言い訳だったから、可能性はあっても自ら放り投げた自業自得である。長距離走で喩えるなら、体の限界に達する前に心が折れて仲間たちから引き離された「タレた」のであった。

 その根性や心意気を評価されていた私は、実のところ大仰な絵をあしらった板に支えをつけただけのハリボテに過ぎなかったのだ。それまで気づかないでいられたのは、気づいていないつもりでいられたのは、それでも頼みにする道があったからだった。教師になる、という目標を抱くことは自他共に認める確固たる道だった。そこへ向かっているのだとすればどんなことも許されてしまう、私は決して破られることのない盾の後ろで戦士になっているつもりになっていた。

 そんな私が広大な草っ原に放り出されて戦えるはずがないのである。そして私はなんとかして戦い生き残ることを放棄して、目を閉じ自分の想像の中に引きこもった。その中でなら私は龍を打ち倒す勇者にだってなれるからだ。現実は独り体育座るひ弱な存在でしかないにもかかわらず。

 私はそれでも(今でも)蔵氏の天才(と努力)をすごいと思い、同時に羨み憎んでいる節がある。周回遅れにされたランナーならこの気持ちがよく分かるだろう。そしてこうも思うのではないか。“あの人は才能に恵まれているから”。それが負け惜しみだったり、自分が十分な努力をしていないことに自覚的だったとしても、私たちはそう思わずにはいられない。“自分も彼のようだったなら”と思うことは若ければ許容もできようが、もはや私にそんな言葉を使う権利はない。他人を羨んでいるだけでは本当に死んでしまう。

アメリカセンダングサ

 小学生の頃、道端に生えている雑草、花の部分にマジックテープのような服につくトゲがあるあれを友だちと投げ合ってよく遊んだ。私たちはあれを「バカ」と呼んで背中にくっつけたまま家に帰る仲間をくすくすと笑ったものである。あれは正式名を“アメリカセンダングサ”と言い、種子をより遠くへ運ぶために布に引っかかる構造を獲得したらしい。

 私はあれだ。「バカ」だ。蔵氏の袖にたまたまついて、日の当たる素敵な草原で離れたあの小さな種なのだと思う。そう信じてみたい。

 私が今志す道もやはり何かに守られようとする私の意図が透けて見える気がする。ここでも私は逃げているのではないかという疑念が拭い去れない。私は今度こそ目の前の障害に目を開けて立ち向かえるのか、また夢見に戻るのか。

 それは分からないと言うしかない。覚悟を決めるのは容易で、覚悟を実践することとは井戸と大海ほどの差がある。

 ただここに連れ出してくれた蔵氏には強く感謝したい。愛憎半ばと表現するのが正しいかもしれないが、この感謝の気持ちは絶対に嘘ではないと私には珍しく言い切れる。大海も草原も、一筋縄ではいかない環境だけれど、この上ない美しい景色だ。そこで生きるか死ぬか、今度はもう私が責任を負う番だ。

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