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恩送り

 父のいない私にはそれを補うように大人の人々との関わりが多かった。私はだから自分の人生を語るとき、家族だけを取り上げるのでは到底足りず、もっと先へ手を広げ網を手繰らなければならない。今日は私の恩師の一人を紹介したい。ここでは彼の名を“高山”と呼ぶことにする。

高山さん

 高山さんは私が小学校、中学校に通っていたときのランニングクラブのコーチである。当時中学校には陸上部がなかったので部活終了後に近くの公民館へ集合しそこを拠点にクラブの練習をしていた。現在60代半ばということだからその時は40代、仕事も子育ても大変な時期でその合間を縫って私たちの練習に付き合ってくれていたことになる。

 私が長距離走を始めたきっかけの一つであった先輩が所属していたクラブで、その先輩の伝手で私も加入したのであったが、高山さんの初対面の印象は闊達で頼りがいのありそうなおじさんだった。顔の彫りが深く普通のおじさんよりも痩せていてでも丈夫そうな、精悍なという形容がふさわしい人だった。大人の男性と関わることがほとんどなくなっていた私にとって高山さんはその見た目にもかかわらず畏怖の対象だった。怖いような出来れば関わりたくない存在だったように思う。

 昨日会うことがあって久しぶりに話したのだが、当時の私はほとんど話さず人と関わることも恥ずかしさもあってしなかったので「お前はかなり手のかかる子だった」と笑いながら言われた。何を考えているのか分からなかったという。私も現在このクラブで小学生と一緒に走ることもあるのだが、彼らはこちらから話しかけないと言葉をかわさずに練習を終えることも多くて、高山さんも同じような気持ちだったのだろうかとふと思った。

スパルタ

 現在のクラブは楽しく走ることが全面に押し出されているのだが、高山さんがコーチをしていた頃はひと月ごとくらいに練習メニューを渡されてそれに沿ったトレーニングをしていくという、一言で言えばスパルタ方式な指導方針だった。組み込まれている内容も今考えると小中学生向けを大きく超越していたなと思う。それがあまり良い印象を持たれないことも多いようなのだが、クラブに加入している以上それは納得ずくめなのではないかという思いが私にはある。当時はそんなことを思うこともなくなにしろ小学生の私はそのクラブが初めて所属するランニングクラブであったのでそれが普通なのだと思っていた。

 高山さんの要求はランニングだけに留まらない。勉強もきちんとやりなさい、というのがもう一つの方針だった。高山さんの言によると「走っていることで勉強ができないというのでは好きでやっている走ることに失礼じゃないか」ということだった。もしかしたらあなたはこれがこじつけに思えたり、ブラック企業的論理じゃないかと思うかもしれない。しかし私はそれを聞いて「なるほど」と物事の真理を垣間見た気がした。

 洗脳されていたと言われればそうだったのかもしれない。高山さんは箱根駅伝のメンバーにも選ばれたことがある人で、カリスマ性もあったし、事実そのメニューに取り組んで私の記録はぐんぐん向上した。中学卒業後、進学校と呼ばれる高校に入学できたのも高山さんの教えがあったからだと思う。だから私からは高山さん贔屓の言葉ばかり出てくるというバイアスは間違いなくある。

 体調を崩して走れなくなっていったり、心が追いついていかなくてやめてしまったり、高山さんと考えが合わずいなくなってしまう子がいる中で私は中学卒業の日までクラブに通い続けた人間である。長距離走と勉学だけでなく、高山さんは人間的にも強くならなければいけないと教えた。高山さんが私たちに望むものは多かったが、そのどれもが取り組めば相応のものが返ってきたから私はのめり込んだのだと思う。

 父のいないことを引きずっていた私は何かで人より優れていないといられなかった。目に見える形で自分はすごいのだと思うことに飢えていた。それを叶えてくれる高山さんを恨めるはずがない。

 高校に入学してからは高山さんと会うこともめっきり少なくなったけれど、その教えは変わらず持ち続けていた。そして高校三年間で飛び抜けた成績を残せたわけではなかったのだが勉強と長距離走、正しい人間であることに心血を注いだ。それは多くのことを私に与えてくれた。目標の大学に進学することも出来た。

 だが現在、中学校、高校での生活を振り返った時、喜びを感じつつもどこか虚しさを感じている自分がいる。年齢を重ねて記憶が曖昧になっていることを差し引いても当時の情景には晩秋に低地へ降りてくる霧のようなぼかしが入っているのである。いわゆる青春という時期に私の場合彩りが欠けている。そこでふと気づくのである。私は戦っているふりをして逃げてしまっていたんだなあと。

分からなくなった

 と、ここまで書いてきたのだが、私の書きたいことはこれだっただろうか。上手くまとめていこうとする自分が自分に見え透いていて。客観的であることは書く者として大切なのだろうけど何かもっとロックでありたい。底から出てくるものをシャウトして喉をからして「ああやっちまった」と後悔しながら解放感に地べたに座ってへへへと笑いたい。
 じゃあ、いくぜ。ちょっと叫びたくなったんだ。

 高山さんは大好きだけど俺に呪いをかけた人でもあるんだ

 いろんなことをきちんとしなきゃいけない、
 
 一人で子供を育ててくれてる母親に感謝しなきゃならない、

 今の俺はアルバイトしながら小説家になりたいなんて言ってるけど高山さんは口では「それでもいいんじゃないか」と言いながら本音は違ってその年になってまでお前は何してるんだと呆れている、

 こんな飲み会に来てる暇があるならやることがある

 小説家になるだなんて言い訳で本当は苦しく我慢しなきゃならない仕事から逃げているだけだ

 俺はこんなに、鬱になったりしてまでいろんな辛いことをしてきたのにお前はヘラヘラ笑っていろんなことをごまかしている

 お前は本気で物事に取り組んでいるのか

 中学校のときのお前はどこに行ったんだ

 たたかえ、たたかえ、たたかえ

 毎日のように頭に響いてくる言葉は高山さんの言葉で、そして自分の言葉で、周囲のいろんな人の言葉。

 これまでみんなに好かれたかったがゆえに築いてきた自分の砦

 ハリボテの砦

 懸命に支えて表面ばかり整っているからみんなは私をあの頃の私に重ねて失望する

 隠していても、そういうときもあるさと言っていても聞こえてくる

 私自身が叫び続ける

 お前はそんなんじゃないだろ、

 もっと出来るやつのはずだ、

 アルバイトなんてしてるやつじゃないんだ、

 もっと可能性があって、

 もっとお金持ちで、

 母や兄弟姉妹を助けられる金銭と心の器があって、

 みんなにすごいと認められていて

 勝手に育てたプライドが暴走して自分と他人を傷つけ始めてるんだ

 だから叫びたくて叫びたくてでもプライドが邪魔して俺は家にこもるか、平気な顔して他人にアドバイスをくれてやるんだ、まるで自分はもう悩むことなんてやめたんだと思ってるみたいに

 ああやだああやだああやだ!

 「恩送り」っていうのは自分が受けた恩は恩をくれた本人ではなくて後輩に、自分より若い子たちに返していく送っていくということ。高山さんは事あるごとに口にした。

 今の俺は小中学生、高校生と一緒に走りながら、時にアドバイスみたいなこともしながらそれをやっているつもりでいる

 けれどそれも自分の時間が惜しいと思いながらやっているんだ

 俺には物語に費やす時間が必要なんだと思って

 そう思いながら関係のないことに時間を使うんだ

 怖いんだ怖いんだ怖いんだ

 怖いことを言い訳にしているんだ

 高山さんごめんなさいごめんなさいごめんなさい

 僕は違う違うんだと思う僕は鬱にはなれないハッタリしか出来ない

 僕はどこで戦えばいいんだ苦しいのは間違いなのか

 本当に言いたいことは

 “いつか絶対超えてやる”

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