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そのレスキューは再出動が織り込み済み

前置き

 山や海で遭難した人々は一度救出されれば二度と同じ失敗は繰り返さない。死にかける経験なんてほとんどの人はまっぴらごめんだ。
 だが、心は違うらしい。そのレスキューは一度の救出で出番を終えることがほとんどない。再出動、再々出動、それ以上だって当然のように必要だ。破片まで拾えないからなのか、レスキュー隊に恋をしてしまうからなのか、落ちた瞬間に閃く快感のせいなのか、それともそれ以外か。
 私が落ちる理由はたくさんあるのだが、その頃の私は電話そのものに疑いを持っていた。つまり、この先には確かにレスキュー隊がいるのかということ。

兄貴

 大学在学時、お世話になった院生がいた。その人をここではS ・Rさんと呼ぶことにしよう。彼と僕とはいくつかの共通点があった。同じ研究室に所属していたこと、スポーツをしていたこと、そしてもう一つ。これは僕の主観。人と接するときのスタンス。特にそれが私を彼に惹きつけたのだろう。今に渡るまで「兄貴」だと思う人はS・Rさんしかいない。呼んだことはないけれど。

 S ・Rさんはコーチの経験もある人で、だから人をまとめることが上手く、研究室で何かイベントがあるといえば自ら旗を振って私たちを先導してくれた。そしてその一つ一つが手抜きのない素晴らしいクオリティだった。私たちがついていけなくなるくらい。私たちの演出は彼の期待に沿うものではなかったけれど、しかしS ・Rさんのおかげでいつもイベントは成功に終わっていた。だから私はそんな彼に卒論の指導をしてもらえるようになって幸運だと思った。事実それはとても幸せなことだった。

 そうでなかったら私はどうなっていたか分からない。それくらいの幸運だったのだ。兄貴は決して私を見捨てなかった。

湿気たマッチを擦る

 大学最大の志をくじかれた私はそのとき心もくじかれていた。と思っていた。しかし、当時も気づいていた節はあったけれど、それはくじかれたことを言い訳の核にしていろんなことから逃げてしまいたかっただけだった。志に最後まで尽くせなかった自分の弱さ、口ばかりで結果も努力も放棄した自分を見る同志たちの目、その結果どんどん自堕落で醜くなっていく自分の心と体。「くじかれた」というのはあらゆることから身を隠す体裁良い口実だった。

 多くの人が私の「仮の」言い分に耳を貸し、信じて受け入れてそして同情さえしてくれた。しかし卒論の期限は待ってはくれない。いつまでも目を逸らしていたい本能を時折理性が遮った。卒業しないという選択肢はなかった。冗談なしに、死ぬことより学費を実家に求めることのほうが有り得べからざることだった。何も知らないR・Sさんから連絡があった。

 彼は臨床心理士の資格を持っていた。しかも病院で働く現役だった。そういう立場であったので、話をしやすかったというのが一つ。そしてゆきずりの、というのが楽なのもなんとなく分かるような気がした、私はR・Sさんとはこれきりだと思っていたのがもう一つ。(長い期間を考えると、心をつなげることのほうが怖い、というのは共感いただけるだろうか)

 心理学をなまじ勉強すると他人の辛さに向き合う手段はいくらか身につけられるが、自分には適用しにくくなると私は思う。なぜならそれが真心や本音ではなく科学や技術といった無機質なものではないかとどこかで疑ってしまうから。その点R・Sさんは心理学の概念を隠すことなく私に伝え、それを適用したり単に相談にのる、という方法で私と接してくれた。つまり、真心ではないことを真心で伝えてくれたのだった。

 これきりだと考えていたものの、結局卒業後も何かと気にかけてもらい、それはR・Sさんにとって湿気たマッチを擦るようなことだったと思うのだが、何度も何度も彼は私を救出してくれた。そしてその態度が「こんなのどうってことない」という一種の軽さを帯びていたことに私はどれだけ助けられたか分からない。問題は深刻に考えれば考えるほど深刻になることをこのとき私は実感した。力を抜けば大抵の悩みはほぐれていく、筋肉と同じだ。

元気でいますか

 私がR・Sさんなしでなんとか生きていけるようになってから(大袈裟に聞こえるだろうが、八割方本気である)、それを機会に、といった様子で連絡を取り合うことはほとんどなくなった。私としては腹を割って話した人と疎遠になることは寂しいけれど、再び手を煩わせることに躊躇の念もあってメッセージを送れないでいる。

――元気でいますか――

 そう問いかけることはなにか恩着せがましい気がしてしまう。でも、そうだとしても私は少し心配なのだ。当時私はただ助けられる立場であったが、無理をしていない風を装いながらイベントを盛り上げるのに手を尽くす姿や踏み込んでいるのに傍観者であろうとする姿勢を見ていると胸が苦しくなった。それは言葉を選ばなければ「健気」とも言えるもので、R・Sさんも飢えているような気がしたのである。彼のスタンスは付かず離れず、を目指して未だ迷走中、私と同じだ。と思う。

 偉そうなことを言ってしまった。

人生をやり直せるなら

 一度R・Sさんに問われたことがある。

「もし人生をやり直せるならどの時期に戻ってもう一回生き直してみたいって思う?」

 とっさに答えられなかった私に彼は自分の考えを教えてくれた。

 きっと自分はそのときに戻ったとしても今の自分と同じ選択をするだろう、それは今の自分に満足しているからとかじゃなくて、やっぱりそれはそのときの最善の選択だったと思うだろうから、と。

 彼ほどの確信はない。私はやっぱり人生をやり直せるなら違う道、よりよいと思われる選択肢を選びたいと思う。ただ、それでも思うのは、やっぱり私は彼と出会っていたいと思う。だって兄貴と呼べるのは彼しか思いつかないから。

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