切り替えが早いと言われるワイ
最近、「○○(自分の名前)は切り替えが早い」とか「感情の浮き沈みが小さい」とよく言われます。
大学の人だけじゃなく、割といろんな人から言われるので、思っていることを少し。
実は、今と違って昔はとても泣き虫でした。囲碁で負けたとき、兄とスポーツをしていたとき、たいがい負けて泣いていたと思います。でも、高校生くらいから全く悔しいとか悲しいとかそういう感情に支配されることがなくなってしまったように感じます笑。いいことか悪いことかは知りませんが。
今回はそのように変化した原因と、現在の自分のマインドについて深堀したい。
変化した原因
自己管理ができるようになったこと。これは似た内容を前回の投稿でも近いことを書いたので、参考にしていただければ。
要約すると、自分の実力が分かっているから、結果に対してあまり一喜一憂しないし、そんなもんかなって感じることが多くなったと思います。小さい頃は大体何でも勝ちたいし、それを体格差や知能、才能のせいにしたくなかったんだろうなー。
そうなった原因は、やはり高校時代の影響が大きい。
とても周りが優秀だったから、一度成績に差がついたら埋めるのが不可能だった。おそらく当時の自分はその差を埋める気もなかったようだけど笑
模試などでも、大体このくらいの点数が取れるやろと思ったらそのくらいとれてるみたいなことが多かったです。ただ、自分がめっちゃいい点数を取ったと思っても、相対評価だとビリとか普通にありました。だから、悩んでもしょうがないんですよね。次、次って行かないと!(なお1浪)
現在のマインド
今のマインドはいたってシンプルで、ないものねだりをしすぎない。
自分が心から共感した記事が上の記事。
珠算の天才少年に義手の手術をするのですが、珠算大会の途中に義手が限界に来た少年は、大会の決勝で舌でそろばんをはじいて正解を導くというお話。
この記事にも書かれているのですが、世の中は義手(自分の理想や求めている状態)をつけてないと絶対にうまくやっていけないのでしょうか?
苦手や不得意を努力で補うことを否定するつもりはありませんが、何かに挑戦してみてどうしても叶えられないことだってあるだろうし、負けてばかりの人にどう頑張っても勝てない経験がある人もいるでしょう。
そうした「自分なりの精いっぱいの努力で補えない部分」こそがその人の個性でありタレントだと僕は思います。自分の力だけではどうにもできないこともあるんじゃないかな。悔しいけど。
選択肢は一つじゃない
やや話がそれましたね笑
僕の話をすると、僕は今年の夏から留学に行きたいと思い、交換留学の申請の準備を去年の夏にしていました。周りの友人が留学行きを決めた中で自分だけが留学をアクセプトされなかったときはショックでした。
しかし、この経験があったからこそ、「そもそもなぜ留学に行きたいのか」「行った先で何がしたいのか」「それは留学じゃないと達成できないのか」などを本気で考えるきっかけになりました。
そして、今は「日本でしか充実させられないことって何だろう」と考えて、長期インターンやゼミでの活動を頑張っています。
どんなにカレーを作るのがうまくたって、カレー粉がなければカレーは作れません。
でも、そこで諦めるのではなくて、ジャガイモ、人参、お肉で作れる料理を考えればいいのです。
置かれた環境が自分の望むような状況じゃなかったり、不満に思ったりすることは確かにあります。じゃあ、置かれた環境を正解にすればいい。そのためにできることは何だろう?
これが自分のマインドで、切り替えが早いというのは、前の記事で言う「悩む」時間が短く、反省のサイクルが早いからだと思いまする。
まとまりのない文章になったので、次はもう少しきれいな文章を書きたいです。