「死ぬ権利」と「死なす権利」
2020年7月23日に衝撃的なニュースが流れました。
「ALS患者の嘱託殺人容疑で医師逮捕」
記事によると2019年11月に東京と宮城に居住する医師2名が京都在住の51歳のALS(筋萎縮性側索硬化症)患者宅を訪れ、その後、患者の容体が急変し、搬送先の病院で死亡したとのこと。2人が女性の依頼を受け自宅で薬物を投与し、殺害した疑いがあるとして、2020年11月23日嘱託殺人の疑いで逮捕となりました。
今回は明らかな違法行為
勿論、厳密な判定は裁判所に委ねることになりますが今回のケースは介入によって死期を早めることを意図したもので積極的安楽死にあたります。東海大病院事件の横浜地裁判決(1995年)でも議論になりその判決(*1)で示された違法阻却事由の4項目は以下のようになっています。全てを満たすことが必要です。
1.患者の耐えがたい肉体的苦痛
2.生命の短縮を承諾する患者の明確な意思表示
3.死が避けられず死期が迫っている
4.苦痛の除去などのため方法を尽くし、他に代替手段がない
現段階では患者の容態は推測になりますが一般的なALS患者の病状(*2)からみると1や3の項目が満たされないことや、2の点でも意思表示を正しく評価するためのコミュニーケーションや委員会の開催などの客観的評価を行われたとは推察し難い状況ですので、裁判でも有罪判決になる見込みです。2人の医師も半ば了承済みのような節も見られます。
ただ、重要なテーマを孕む事件
今回の事件に関しては、今まで私たちが目を背けてきた「死」に対する重要なテーマがあります。この医師らが行った行為は明らかに「よくない」行為でありましたが、この51歳のALS患者が2人の医師に依頼したこと(死にたいと願い、依頼したこと)は「よくない」行為だったのでしょうか。今回は死にたいと意思表示をする本人が関わる「尊厳死・安楽死の定義」「死ぬ権利・死なす権利」を見ていきたいと思います。(今回はナチスのT4作戦のような本人の意思に関わらない安楽死には言及しません。それはただの殺害であるためです。)
尊厳死・安楽死の定義
まずは死について議論するために尊厳死と安楽死の言葉を抑えておきます。
どちらも公的な定義があるわけではありませんが以下のように理解されています。(*3*4*5)
[尊厳死]
不治で末期に至った患者が、本人の意思に基づいて、死期を単に引き延ばすためだけの延命措置を断わり、自然の経過のまま受け入れる死のこと
[安楽死](以下の4つに分類)
(1)純粋安楽死(医学的な苦痛除去処置が生命の短縮を伴わない)
(2)間接安楽死(死苦緩和の薬の使用が結果的に死期の短縮を伴う)
(3)消極的安楽死(生命延長の積極的措置をとらない不作為)
(4)積極的安楽死(作為による直接的な生命の短縮による苦痛の除去)
このうち(1)は通常の医療行為で、(2)と(3)は尊厳死の範疇に入ります。(3)は以前は争点になっていました(人工呼吸器の停止など)が厚生労働省より「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」が示され、問題になることが少なくなっています。ただし(4)は現段階は尊厳死に当たらず、上述のように判決文で示された4項目を満たさない限りは違法とみなされる可能性が高いままです。今回はこの積極的安楽死の是非を見ていきます。
死ぬ権利
日本人の私たちは死ぬ権利があるのでしょうか。答えは『NO』です。厳密に言えば「積極的安楽死を選ぶ権利がない」と言えます。
私たちは自ら死を選んだとしても、法に咎められることはありません。ただし、それは合法でも違法でもないということに過ぎません。現状で積極的安楽死が認められない以上、医療的な手助けを借りて「綺麗に(体表上の外傷などの変化なく)、苦痛なく、静かに、ほぼ確実に」自死に至ることはできず、難しい選択を迫られます。伝聞や生半可な知識に基づいて自ら行うことがありますが、しばしば失敗に終わります。また未遂に終わり、治療を受け苦しい現状が尚更苦しくなることもあります。平成27年の統計では自殺者数24,025人に対して38,425名の自損患者が搬送されています(*6)。この統計では詳細は不明ですがそこまで完遂できる方が多くないことが推察されます。私も多くのパターンの未遂患者の治療に当たったことがありますが、助けられたとしても本人にとっても、家族にとっても苦痛が増大したケースも多くあり、辛い経験でもありました。
私たちの死亡率は100%です。身分の上下や所得の上下に関わらず、等しく私たちには寿命があり、事故や疾病を免れたとしても必ず死が訪れます。しかし私たちの国では積極的安楽死を選ぶことはできません(例外としてスイスは外国人の積極的安楽死を受け入れています。厳密には医師が準備をして患者自身で事に及ぶ自殺幇助と呼ばれます。)。判決で示された要綱には『患者の耐えがたい肉体的苦痛』が示されているだけであって、『老いへの苦痛』『機能喪失への苦痛』といった精神的苦痛は含まれないためです。
ただ日本を含め世界では緩和医療が発達してきています。この発達により消極的安楽死の幅を広げてくれています。スイスでこの積極的安楽死を選ぶ大多数はがん患者ですが、がんに対する緩和医療はかなり発達し肉体的苦痛はかなり軽減することが可能です。ただ、オピオイドの増量に伴い、副作用(悪心、嘔吐、便秘、眠気など)のコントロールが難しくなってくるのも事実ですし、精神的な苦痛に対しても改良がなされてきていますが、完全に取り除くのは難しいでしょう。また今回の事件にあるALSのような神経に起因する治療法のない患者さんの苦痛をどれだけ取り除けるかは、まだまだ課題が多い状況です。
死ぬ以外に苦痛から逃れられる手段は緩和医療の発達とともに多くなっていることは事実ですし、これからもその手段は増えていくことでしょう。ただし、限界もあります。その時に(特に精神的苦痛が主になる場合)今の私たちには積極的安楽死を選ぶ権利がなく、自分の人生でありながら、終わりを決めることができない(「死ぬ権利はない」)と言える状況です。
死なせる権利
仮に死ぬ権利を認められたとして私たちには死なせる権利はあるのでしょうか。今は「NO」です。仮に認められたとしても。これはさらに難しい選択を迫られます。
一般に人間の死期を早めた場合は刑法第199条〜203条により殺人の罪に問われます(*7)ただし、第35条(正当行為) 第37条(緊急避難)により、医師による通常の医療行為は違法性を問われることはありません。消極的安楽死は緩和医療の範疇でもあるため本人・家族の同意があればもはや違法性を問われることはありません。積極的安楽死は法に定められていないため、上記の判決で示された違法性阻却事由の4項目を全て満たせば(十分ではないものの)違法性は低いと考えられます。もう一度4項目を見てみましょう。
1.患者の耐えがたい肉体的苦痛
2.生命の短縮を承諾する患者の明確な意思表示
3.死が避けられず死期が迫っている
4.苦痛の除去などのため方法を尽くし、他に代替手段がない
このうち2の項目は医学的に評価しづらい項目です。もし患者が「死にたい」と書面に残せば、それは明確な意思表示と言えるでしょうか。
例えばうつ病の場合。この積極的安楽死を望む患者の多くはがん患者ですが、およそがん患者の20-40%に抑うつ気分を経験するとされています。(疼痛の強さに起因するとも身体機能制限に起因するともされる。*8*9)この時の「死にたい」という言葉は有効でしょうか。うつ病の症状は治療すれば良くなるという安易なものではなく、何度でも再発したりして「症状の揺らぎ」を持ちます。うつ症状の強い時は思考能力が落ちますのでうつ傾向の強い時期に書面に残した場合、それはその人の明確な意思表示とは言い難いです。
あるいは認知症の場合。日本の高齢者の10%以上と推定されています(*10)
認知症もうつ病と同様、正常な思考が落ちている状態であり、かつ揺らぎを持ちますのでどの状態を持って明確な意思表示とするかはかなり難しいと言えます。
今回のALSの患者さんの場合はどうでしょうか。ALSは一般的には筋力の低下が主で感覚や思考能力は低下しないとされます。ただし、ALSと合わせてうつ病や認知症がないかを評価する必要がありますし、非常にセンシティブな内容でもありますので患者・医師のコミュニケーションが十分でなければ意思の疎通が図れたとは言い難いでしょう。
このように客観的な評価を必要としますし、積極的安楽死を認めるオランダでも患者の自発的な要請のうち、半分は実施に至っていません。もし死なせる権利を認める場合は、複数の医師及び複数の職種による病状と意思の客観的評価の手続きが不可欠であると思われます。
それでも積極的安楽死を認めた方が良い
これから社会保障費の増大(費用を払う人がいない)や老老介護(介護する人が老齢、あるいはいない)などの問題により、積極的安楽死は政治的に必要な方向で議論がすすむと思われますが、一度立ち止まって考える必要があります。
人間の死が国の経済状況によって左右されてしまうことは悲しいことです。日本は国力がかなり落ちたとはいえ、日本国憲法第25条で規程した生存権を保証する力はあり続けると思います。ALS患者であり参議院議員の舩後靖彦さんが「死ぬ権利より生きる権利を守る社会をつくる」と発言したように生きる意思のある人を支えていくことは国の在り方として基本であり大事です。ただ、生きる権利の中に「積極的安楽死を選ぶ権利」があった方が良いと思います。如何に生きるのかを決められることが「生活の質」を高めていく事に直結するからです。
私がこれ以上に大事だと思うのが自殺を止めるために積極的安楽死を認めるということです。スイスの統計ですが通常の自殺者数(と自殺幇助数)は1995年で1400人/年(自殺幇助数:1995年は不明、2003年は187名)、2014年には1000人/年(742名)と減少し、自殺者数の減少と自殺幇助者数の増加が一致するような関係がみられます。
自殺は前述したように未遂に終わり、治療を必要としたり肉体的な後遺症に加え、残される側の家族や近しい人たちに与えるダメージが大きいです。また自殺の過程では医療者の評価を挟まないため、実際は(薬剤やそのほかの治療で)回復し得る状態にも関わらず、個人の思い込みによって(あるいは自殺サイトなどのデマに振り回されて)命や体を傷つけ、取り返しのつかないことになります。一度客観的に受け止めてくれる相手がいることは悲しい自殺を減らすための有用な手段です。客観的な評価の上で安全な積極的安楽死が認められたならば、旅たつ本人にとっても立ち会うことのできる残された人にとっても良い別れ方になるのではないでしょうか。
私たちの「死ぬ権利」「死なせる権利」について今夜は考えてみませんか。
参考
「安楽死・尊厳死の現在」松田 純
「安楽死を遂げた日本人」宮下 洋一
引用
(*1)安楽死に関する刑事事件(東海大学病院事件)
https://square.umin.ac.jp/endoflife/shiryo/pdf/shiryo03/04/312.pdf
(*2)難病情報センター https://www.nanbyou.or.jp/entry/52
(*3)日本尊厳死協会 https://songenshi-kyokai.or.jp/
(*4)安楽死・尊厳死をめぐる法と倫理 https://www.jstage.jst.go.jp/article/chisangakuho/51/0/51_KJ00009324699/
_pdf/-char/ja
(*5)厚生労働省:終末期医療のあり方について
https://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/10/dl/s1027-12g.pdf
(*6)自殺未遂の状況
https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/jisatsu/17/dl/1-8.pdf
(*7)刑法
https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=140AC0000000045#AQ
(*8)Pain and depression in patients with cancer
https://acsjournals.onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/1097-0142(19941101)74:9%3C2570::AID-CNCR2820740927%3E3.0.CO;2-3
(*9)Depression in hospitalized cancer patients
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/6739680/