【日記】

今日、2023年12月9日、飼っていた犬が亡くなった。僕が小学二年生の頃から飼っていた、十四歳のゴールデンレトリーバー。名前は伏せたいので、少々冷たい印象にはなるが、ここでは単に「犬」と呼ぶ。亡くなったのが早朝で、昼前には色々落ち着いたので、今日中に記事を書き上げることにした。
はじめに断っておきたいのは、あくまでこれが僕の日記だということ。犬との思い出だの、もっと触れ合っておくべきだったみたいな後悔だの、そんな犬の死を一種の悲劇的なエンタメのように消費し、食い物としてぶら下げておくような話をするためにこの記事を書いているわけではない。犬の死を通して僕が考えたことや、犬が明かしてくれたある事実を僕自身が忘れないうちに残しておくことが、この記事における目的だ。だから、哀悼の意を示すとか、そんなことも対外的にするつもりはない。これからするのは、犬の話ではなくて僕の話だ。それと、普段の記事は「読みに来てくれるお客様」に向けて書いているところがあるが、この記事は専ら僕自身のための記事だ。だから敬語も使わないし、目次を作って小見出しを用意して、そういう風に系統立てて書くこともしない。ただ、考えたことを残しておく。それだけの記事だ。以上のことを念頭に置いた上で、読むかどうかの判断は皆さんにお任せしたい。

とはいえ、クッションがてら経緯というか、今朝のことを少しばかり話しておきたい。朝七時頃、父が部屋の扉をノックした音で目を覚ました。僕は生活リズムがおしまいになりがちな大学生としてはまあやや早めに起きるぐらいの感じなので、七時にはまだ全然普通に寝ていた。前日は日付が変わるぐらいのところまで友人とスマブラをしていて、ウキウキで崖上がりに横スマを刺しまくっていた。その翌日の朝に、父から突然訃報を聞いた。受け止められなかったわけではないと思うが、階段を駆け降りてリビングに向かうようなこともせず、僕は恐ろしいほど普段通りに、タンスから二秒ぐらい考えて適当に取り出した服を持って部屋を出た。
リビングには、本当に亡くなった犬が横たわっていた。血を吐いていたようだったし、亡くなる少し前からほとんど常に息を切らしていたから、多分呼吸器とかその辺の病気だったんだと思う。素人判断だし、両親は「死因は分からない」と言っていたので実際は不明だけれども。前々から体調は悪かったのだが、高齢の犬は助かる見込みより手術のリスクの方が高いらしく、家の近くの獣医も薬を与えるだけにしていたという話だ。触ってみると、毛皮があるからか末端冷え性の僕の手より普通に暖かいし、何なら鼓動みたいなのも感じた。恐らく錯覚か、僕の指か何かの脈拍だったと思うが。そんな風で犬は確かにそこにいるのに、生きてはいない。奇妙な感覚だった。十年近く前に母方の実家の犬が亡くなって家族で駆けつけた時には、それは明確に亡骸だと認識できたのに、今回はどうにも実感が湧いてこないというような具合だった。だから涙も出なかった。

配信なんかではちょくちょく話していることだが、僕は感情の表現が割と苦手だ。特に、涙が出ない。中学の卒業式とかではちゃんと泣いたが、高校に入ったぐらいの頃からなんか全然嬉しくても悲しくても悔しくても涙が出なくなって、僕が泣くのは良い物語に触れた時だけになった。「感情を失った」みたいな話ではなく、確かにそこに感情はあるのに、それが全く表に出てきてくれないという話だ。僕はこの原因を、行きすぎた客観視だと考えている(余談だが、多分これは親の体罰の産物だと思う。体罰を受ける側は「殴られる自分」の中に「怒られた原因とか今後の対策とかを考える自分」を同居させないともう何が何だか分からなくなってしまうので。ここではいかにも悪そうに書いてしまっているが、もちろんこれに助けられている面も大いにある。少なくとも、僕は普段親に対して悪感情を抱いていない)。「悲しい自分」とは別に、「悲しい自分を見ている自分」の存在も確かに認識している。感情と理性がはっきり分かたれている、そんな感じだ。時には、「悲しい自分」に対して、客観視の自分が「本当に悲しむ資格があるのか?」と問いかけるというような場面もある。例えば高校の頃に部活の大会で敗退した時、ほとんどの部員が泣いていたのに僕が泣かなかったのも、それが理由だ。「お前は他の皆と同じように、悔し涙を流せるほど真剣に練習に打ち込んできたのか?」という問いかけが脳裏をよぎり、涙が出てこなかった。
「岡目八目」という言葉もある通り、客観視は余裕がある時にこそできるものだと思う。僕は人生に余裕がある。それは、人生の当事者として、笑い、泣き、怒り、生きている人のように、自分の人生に真っ直ぐに向き合っていないことを意味している。その意味では、僕は人間ではないと言うこともできる……のかもしれない。それは言い過ぎとしても、「自分の人生を生きている感覚がない」というのは否定できない。
思ったより前置きが長くなってしまったが、端的に言えばそんな事情から僕は犬に対してある期待を抱いていた。こんなことを言っては不謹慎だと思うし、実際このように考える度に僕自身も自己嫌悪の念を抱かずにはいられなかったのだが、犬の死の瞬間、僕は人間になれるかもしれないと思っていた。
これまで、僕はまともに死に直面したことがない。幸いにも祖父母は両家とも健在だし、何なら父方の実家は曽祖母も存命だ。他の曽祖父母は、僕が生まれる前、あるいは生まれて間もなく亡くなっているので、僕はほとんど知らない。先述した母方の実家の犬も、僕は幼少期(今朝亡くなった犬を飼い始めて少し経つ頃まで)は犬が苦手だったので、ちゃんと触れ合えた期間はおよそ三年ほど。それも帰省しているタイミングのみであった。だから、僕は物書きとしてそれなりの数の死を扱っておきながら、死を知らない。なので、いつも床に寝そべっているこの犬が亡くなった時、これまでに経験したことがないほどの悲しみが襲ってくるだろうという予期があった。そして、受け止めきれないほどの悲しみを前にすれば、僕は自分の人生の当事者になれるのかもしれないと思っていたわけだ。言うまでもないが、僕は犬に死んでほしかったわけでは全くない。思うに、抗いようもなくいつか訪れるその瞬間に向けて、前もってそこに何らかの意味を見出しておきたかったのだろう。実際、その期待と同時に犬の死と引き換えなんだったら人間にならなくていいやという思いもあり、むしろそっちの方が大いに強かった。ともかく僕が言いたいのは、今朝になる前にも犬の死の予期と、それについて考える心の備えは確かにあったということ、それだけだ。

犬の亡骸を前にしてから、僕はそんな感じのことについて色々と考えていた。今思えば、それも死から目を背けるために脳のリソースを他に割いていたんだと思う。それで、実際に犬が亡くなってしまったわけだが、果たして僕は人間になれたのか?
結論から言えば、なれなかった。
午前七時、亡骸のそばで朝食を取った。両親がヨーグルトだけで済ませる中、食事が喉を通らないなんてこともなく、まあまあのサイズのロールパンを二つもいった。それから顔を洗って、果ては横たわったままの犬を撫でながらソシャゲのログイン、ブルアカのデイリーに合同火力演習まで済ませて(ペットの葬儀屋の営業時間前だったので時間がかなり余っており、皆手持ち無沙汰になっていた)、淡々と日常が進んでいった。犬が動かないこと以外は全て普段通りだった。
確かに悲しいのに、自分でも驚くほど動揺していないし、涙も出なかった。十四年間も飼っていた犬の死に直面しても、僕は涙一つ流せないのかと落胆した。それから、この記事を書こうと思った。犬は、他者の死をもって僕が人間になることはないということを最後に明かしてくれたというわけだ。

それから葬儀屋の営業時間が来て、父が連絡を入れて、十時半頃に亡骸を引き取りに来てもらうことになった。一時間半、犬を撫でたり、首を揉んだり、ああだこうだして落ち着かない時間を過ごした。もうとっくに命は尽きているはずなのに、僕の意識の中には「残り時間」という概念があった。犬に触れられる残り時間が、一秒ごとにすり減ってゆく。何かに追われるように……というほどではないけれども、僕はそれを気にしながらできる限り犬に触れたままでいた。

十時半に葬儀屋の人が来て、諸々の手続きを済ませてから亡骸を輸送用の車に運び出した。家族三人がかりで運んだが、大型犬の身体はそれなりに重たかった。扉の前で寝そべっている犬をどかす時にも、同じぐらいの力をかけた覚えがある。生前とほとんど変わらない、これだけの質量があるのに、命はない。僕は死に触れて、余計に死が分からなくなった気がした。

亡骸を車の荷台に乗せて、最後に犬の頭を撫でた時、その時になって、やっと涙が溢れてきた。この先もう触れることは二度とできない。残り時間がもうなくなったのだと実感した。客観視の僕は相変わらず「そんなに熱心に世話をしていたわけでもないんだから、お前に泣く資格はないだろう」と咎めてきたが、数年ぶりに僕はそいつを突き破った。それから、犬の亡骸が車の奥深くにしまい込まれるのを見送って、この一件は終わりを迎えた。
「死ぬこと」と「いなくなること」は違うということは、犬が僕に遺したもう一つの事実だと言えると思う。僕は、死に対しては自分でも驚くほど落ち着いていた。少なくとも外面上は、そうだ。だからこの記事の中でも、こんな事態になっているのにひどく落ち着いているような書き方になっていたと思う。ただし、喪失に直面した時は、そうではなかった。死という事実よりも、もう会えないという事実の方がずっと重くのしかかってきた。それこそ、僕を人生の当事者たらしめるほどの衝撃だった。やけに広く感じるリビングが、残っているケージや犬用のベッドが、これから僕の感情にどう作用するのかは、まだ分からない。今の僕に分かるのは、自分が本当に恐れるべきは死ではなく喪失であるということだけだ。その考えさえすぐに変わるかもしれないが、今はそういうことにしておきたい。

僕は、確かに涙を流した。自分の周りのことで泣くのは、本当に久しぶりだと思う。しかし、この一件をもって自分が人間になれたと言うつもりはない。これからも滅多に泣くことはないだろうし、その他の感情表現も下手なままだろう。相変わらず、自分の人生を生きているという実感は薄いままだ。だから、きっと劇的に僕の中の何かが変わるということはない。けれども、それはそれとして犬の死を通して僕が考えたこと、犬が遺してくれた事実は、こうして書き留めることで思い出せるようにしておきたいと思う。
最後に何か付け加えて伝えるとすれば、死に目にはちゃんと会った方が良いということだ。先に述べた通り、僕は犬の死が近いことを予期していたし、別に僕以外の人でも犬の様子を見れば何となく察せられるところだったと思う。ただ、僕はその瞬間がもう少し遅く来ると思っていた。母方の実家の犬も確か十五歳ほどで亡くなったし、あっちは雄でうちの犬は雌なので、人間よろしくもう少し長生きしてくれるだろうと踏んでいた。僕の方は就職後の研修で、東京(か大阪)で3ヶ月ほど暮らすことが決まっていたし、その後はまあ地元近くの勤務になったとしても一人暮らしをした方が今後のために良いだろうと考えていたので、犬の死に目には会えないと思っていた。そして、それが自分のために最も良いとも思っていたのだ。死の瞬間、最も辛いと思っていた瞬間を目の当たりにしなくても良くなるから。しかし、実際にはそうではなかった。本当に恐れるべきは喪失だった。死に目を目の当たりにすれば、亡くなって、亡骸がそこにある時間が多少なりともある。死に目に会えずに訃報だけを耳にしていたら、備えも満足にできないまま喪失だけが襲いかかってきただろう。きっと、今より苦しい思いをしたと思う。僕が恐れていた死は、むしろ緩衝材のような役割を果たしていた。「子どもが生まれたら犬を飼いなさい。赤ん坊の頃は子どもの良き守り手となり、幼年期は良き遊び相手となり、少年期は良き理解者となり、青年期には死を教えてくれる」みたいな言葉があるが、確かにその通りだと実感した。僕の場合は飼い始めたのが八歳からだったので、少し遅くなったけれども、喪失の前に立ちはだかる死の意義に気付くことができた。そしてそんな小難しい話を抜きにしても、犬の一生を最後まで見届けることができた。それは死に目に会わなければできないことだ。だから、もしここまで記事を読んだ人が死を知らないならば、そこから目を背けるべきではないということを伝えたい。書き殴るようにして一気に書いたので不恰好な部分も多々あるが、これを僕の日記兼備忘録として残しておきたい。

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