名大文芸サークル 作品集『泡』感想
サークル内部の人間がサークル誌の感想をインターネットに流したって、良い。
はじめに
『泡』を持っていない側の皆様、いかがお過ごしでしょうか。『泡』を持っている側の人間こと、ゆうととです。先の名大祭でご購入くださった側の皆様、誠にありがとうございました。今年度は強気にも前回の1.5倍、150部用意しましたが、おかげさまで8〜9割方売れました。うれしいね。「用意しました」などと抜かしておりますが、僕は製本期間と教育実習がダダ被りして全然作業を手伝えませんでした。ごめんね。
文芸サークルは夏休みに『泡』の合評会を行い、それぞれの作品に対する感想や意見を部員が述べる機会がある予定なのですが、そんな先まで覚えてられるわけね〜と思ったので備忘録がてらこの記事を書いています。一応ダメ出しっぽい部分も書きますが、書き手の皆様におかれましては「なるほど、君はそう思ったのね。なるほどね……」ぐらいの感じで受け止めていただければ幸いです。物語の核心に迫るネタバレは避けますが、必要最低限の説明をする場合があります。ご了承ください。
「その歩みを止めないで」
35ページという圧倒的なボリュームを誇る今作。あとがきで作者が語る通り、昨年度の『泡』に掲載された「ただ、それだけだったのに」のスピンオフとなっています。
僕は文学部の人間なのに活字に耐性がないカス人間なのでこのボリュームにすっかりビビり、読むのを最後にしたのですが、なんか今回めっちゃ読みやすかったです。二回に分けることになるかと思ったけど一回で読み切れた。
これが理由だ!とはっきり言うことはできませんが、個人的には「主観と客観」のバランスが良かったのかなと思います。というのは、キャラクターの心情や、出来事に対する印象の部分が以前の作品より控え目になっていたような気がしました。それは悪いことではなくて、「キャラが地の文で喋りすぎている」と感じることがなかったので、あまり引っかからずに最後まで読めました。よく練られた世界観など、以前の作品の強みはもちろん健在です。僕が前作を知っているのもあって、非常に楽しく読むことができました。
「綿毛の飛ぶ日には」
高校時代の憧れの人、「南川春」の訃報を受け、「僕」が彼女との思い出を回想する物語。
「死」から始まる冒頭こそ異質な印象はありますが、ベーシックなテーマ設定で、読みやすかったと思います。「ベーシック」だからといって、「退屈なもの」と思うなかれ。人物の状況や心情の変化も丁寧に描かれており、読み終えた後にしっかりと満足感のある作品でした。基本を忠実に守った良作だと思います。
「オカリナ」
主人公は、誕生日プレゼントに大量のオカリナを受け取る。彼女の彼氏や友人たちは、皆揃って彼女にオカリナを渡す。そんな奇妙な状況から始まる物語。
奇抜な設定ですが、ちゃんとオチもあり、ショートショートのような感覚で楽しめる作品だと思います。活字耐性0人間(一人称)にも優しい。
ただ、カジュアルな文体が逆に読みづらいと感じるところが少しありました。特に文章に区切りをつけず、本当に喋っているような感覚で話を打ち切っている部分(読んだ方はどこら辺のことを言っているか大体わかってもらえるかと思います)は、まあ分からんことはないんだけどちゃんと書き切った方が良いんじゃないかなと思いました。こういうnoteみたいな形式では別に文章の区切りをつけなくてもいややっぱつけた方が読みやすくはあるよね。←こういう感じのです。別に伝わらないわけではないし、人間の思考の取り留めのなさを上手く表現した書き方だと言うこともできるとは思いますが、読む側には優しくないなという印象。でも気になったのはそれぐらいです。先述の通り、短く綺麗にまとまっているので、小説を読み慣れていない人も気軽に読むことができますし、作品としての間口は非常に広く、良いと思います。
「カモフラージュやめた」
コロナ禍が一定の落ち着きを見せ、マスクの着用が個人の判断に委ねられることとなった。そんな状況の中、あの人は……?
「あの人」の正体やその周辺情報に触れずにこの作品の感想語るの結構難しいと思うんですけど、やれるだけやってみます。無断のネタバレって、罪だから。
まず設定が非常に面白いと思いました。社会情勢も含めた「現代的な問題」に対して、およそそれには縁遠いであろう存在が「当事者」として向き合う。あるいは、他者がそれに向き合う支えをする。今年度の『泡』の中では、こういう「物語の面白さを生み出す摩擦」に最も長けていたのはこの作品ではないでしょうか。
後は所々の文章表現が個人的には好みでした。「〇〇○な〇〇に、〇〇○と〇〇に(セルフふせったー)」とか、自分で思いついたら履歴書の自己PR欄とかに書いちゃうな。秀逸だと思います。
改善点というか気になったところとしては、人物の名前がかなり見慣れない文字列だったので、名前が出てくるとまあまあの割合で一瞬「ん?」ってなるタイミングがありました。何?『「ん?」ってなるタイミング』って。それでも物書きか?(二重人格)
ただ、作者の意図したところかどうかは分からないけれど、これが「現代的な問題」を扱っていることを踏まえると、こういう名前の方が作品には似つかわしいのかなと思いました。さらさら流れるように読める文章ばかりが正義ではないので、ちゃんと読んでほしい文章の前に変わった人名を出すなど、むしろその違和感を巧みに利用できるようになると良いのかもしれません。僕?できません。
「十八の夏」
読む前に作者本人から「今回のはあんまり……」という話を聞いていましたが、実際読んでみると「あんまり……?」という感じでした。世の中って得てしてそんなもんなんでしょうね。僕が首を捻りながら寄稿した「闇路」も多分そうなんだと思います。きっと……
大学入試本番が近づく夏休み。母親と喧嘩した主人公は家出をして、叔父の家でしばらく過ごすこととなる。本作は、そんな一幕を描いた物語。
初めに誤解を恐れずに言うと、これは「何でもないことを描いた物語」なのかなと思いました。もちろん主人公にとっては家出も、叔父の家で過ごすことも、間違いなく非日常で、冒険です。ただ、それは傍から見るとそれほど壮大な冒険というわけでもない。この思春期ならではの「主観と客観のミスマッチ」を描く上で、非常に良い物語の設定だと思いました。
「何でもないことを描いた物語」だと思ったもう一つの理由は、文体です。一つ一つの動作がかなり丁寧に、細かく描写されています。料理を作るにしても、風呂に入るにしても、その様子を事細かに書いています。非日常の中であっても変わらない日常生活の部分。それを一つ一つ取り出して描写することで、「何でもないこと」はそんな細かな物事が絶え間なく連なってできている、ということが表現されているように感じました。丁寧に書きすぎて逆に煩わしいと感じる人もいそうですが、僕はこのピースを一つ一つ組み合わせてゆくような書き方でこそ表すことができるものがあるのではないかなと思います。
ただ、誤字脱字が多いのが気になりました。これは書き手がというより校正がちゃんとしてあげなよという感じです。「障子(恐らく正しくは「畳」)の上で寝たから、跡がついてやがる」とか、読んだのが深夜だったので変な笑いが起こりましたが、これを校正が見逃すのは流石にちょっといただけないなあと感じました。
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これ誤解だったようで、校正段階ではこの誤字はなかったそうです(校正担当者談)。校正後に書き換えられた部分が多く、これもその一つだったとのこと。事実確認をせず、安易に人を責める記事を書くからこうなる。皆さんも僕に石を投げた後は安易に人を傷つけないように気を付けてインターネットを満喫しましょう。(2023/7/17修正)
完全に余談なんですけど、校正ってどこまでやるのが良いんでしょうね。僕はサークル外で書いている作品についてはもう気になったところを全部突っ込んでもらって、校正担当とバトルしながら修正するようにしているので、同じようにマストで修正すべき誤字脱字と、こうした方が良いという改善案に分けて提示しています。ただあんまりやり過ぎると感情を失ったダメ出しマシーンだと思われそうで怖いというのも分かる。中庸・中道が良いとアリストテレスもブッダも言っているけれど、その真ん中というのが分からない。世の中って得てしてそんなもんなんでしょうね。
「世界が埋没する前に」
滅亡を間近に控え、多くの生命が息絶えた世界、その最期の日。生き残った青年と少女が朝日を見るために廃墟の街を歩く物語。
面白!!!!!!!!
人を選ぶだろうけど、僕は非常に良い作品だと思います。300円払ってこれだけ出てきてもまあまあ満足して帰ると思う。
現実離れした世界観ですが、描写が丁寧で、情景をしっかり想像できました。ストーリーラインとしては起伏が少ないように見えるんですが、何故か人物の望みや行動にはちゃんと納得感があります。何で?そういう魔術?
僕は必ずしもこういう結末を好むわけではない、というか「闇路」のあとがきにも書いたように、むしろ安易なこういう結末は嫌いです。それはもう、朝顔の種が芽吹くように、自然と中指が立つほど(インターネット人間特有の誇張表現)。先述したようにちゃんと納得感があることで、この作品はそんな人間でも苦なく読めました。あと僕は去年の「お鶴のおんがえし」を書いた時とかにツイートした記憶があるんですけど、「お兄ちゃん」系の呼び方をするキャラクターがいるとそれだけでだいぶ無理になってしまうんですね。俺は長男だからこれに耐えられない。それでも、この作品は苦なく読めました。これって本当にすごいことだから。
何かこれだけ手放しで褒めてしまいましたが、気になった点がなかったわけでもないんです。ただ、それは例えば言葉遣いに対する描写に「手癖」という言葉を使っているとか、漢字の読みが比較的難解なので要所要所でルビを振っても良いのではないかとか、言うとしたら校正で言うべきクレーム同然のものしかなかったので、書き手の成長に繋がるものではありませんでした。なのでこれ以上の言及は避けておきます。
「我らが循環論」
校正段階で一回読んだんですが、改めて読んでみると、以前からブラッシュアップされた点がいくつかあり、より良くなっていたと思います。
「名前」と「循環」に焦点を当てた本作。登場人物はある出来事がきっかけで自身の名前にまつわる謎を追い、やがてそこに潜む真実を知ることとなります。
しかし、それでもやはり謎が多い。最後まで読んでも、語られない部分はいくつもあります。ただ、そこに説明不足は感じない。作者がホラー好きということもあってか、作品の余白の残し方が巧みだと思いました。
改善点については校正の時に色々言って、打ち上げのレシートか何か?ってレベルのメールを錬成してしまったので、ここで言うことは特にないです。それも無理に全部直さず、ちゃんと取捨選択ができていたので安心しました。
「闇路」
……?
何ですか、これは……?
書くこともないしあらすじのクソデカ版でも載せときますね。
真っ青世紀、正倉院大井飛翔は信じられないぐらい深い闇の中で目を溢れ落ちんばかりにかっ開く。案内役兼護衛兼記録係兼報告係兼インストラクターの死巨神と出会い、ありえないぐらい深い暗黒からの脱出に向けて懸命に努力を重ねる中で、彼は自らがしかと抱いて離さないバカデカい望みの正体に流星を超える速さで迫ってゆく。
「その花、散れども」
あるところに"桜源郷"と呼ばれる街がある。その始まりにまつわる、時代も状況も異なる八人の登場人物。それぞれの人物の視点から、物語が語られます。
まあ難解ですね……一つ一つの物語は別に理解が難しいわけではないんですけど、最後の方になって全体像を眺めようとすると途端に難しくなる。正直僕はあんまりよく分からず、雰囲気で読みました。
これが改善策になるのかどうかは分かりませんが、「話の間に繋ぎ目がないこと」を念頭に置いて書く方が良いのかなと思いました。初めは繋ぎ目がなくても「そういう風に飛び飛びで展開していくタイプの話か」と思って普通に読めるんですけど、後半になって全体像を見る必要が出てくると、その空白の部分を想像で補っていかなければならなくなる。それは読者にはかなり負担の大きいことですし、それができる読者はかなり少ないんじゃないかと思います。
初めの方は飛び飛びでも、後半はもう少し具体的に、丁寧に「作者が何をしたかったのか」ということを伝えるようにすると、読者がちゃんと納得して物語を読み終えることができるんじゃないかなと思いました。小説には「伝えたいから書く部分」と「書かないけど読み取ってほしい部分」があると思いますが、本作は後者に少し情報が偏ってしまっているような印象でした。
「For U」
英語の詩の形式で書かれた意欲作。ただでさえ僕は詩がわからん人間なんですけど、さらに本作は英語ということで、何を話せばいいのか見当もつきませんが、一応話してみます。
「truth(真実)とは何か」ということを繰り返し問いかける本作。しかし、その「truth」の指すものは、それぞれの段で少し異なるようです。作者自らがあとがきに記している日本語訳の方を見ても、少しずつ内容が漠然としたところから限定的なところに寄っているような印象がありますね。
……分からん。詩の内容それ自体というより、何を話せば良いのかというところが本当に分かりません。絶対的な正解があるようなものでもないし、詩の内容に極力触れずに書くならこれ以上書くことがないんですよね。こんなんでいいのか?
こんな感じになってしまいましたが、詩があと4作あるみたいです。どうなるんだろうね……
「死を厭う者へ」
ここからの4作は日本語、いずれも同じ作者が書いています。すげえよ、詩を書ける人間は……
本作は「死」というものが内含するイメージに対して、その直接の対象は「死」そのものではないということを述べているように思います。これ詩の内容知らん人が読んでも本当に何のことやらって感じですね。
詩のメッセージをあえて広げるなら「嫌われ者は嫌われるべきなのか」というところになるのかなと思います。例えば「死」「戦争」「飢餓」。この世にはなくなった方が幸せになれるものがたくさんあります(恐ろしく自然なチェンソーマン)。この詩が指摘する通り、そういう嫌われ者が含有するイメージの中には、そのものが直接の原因になっていないものもあるでしょう。それでは、人間は忌むべき相手を間違えているのか。それでもやはり、そういうことを引き起こすものは忌み嫌って然るべきなのか。この詩はそういうことを問いかけているんじゃないかなと思いました。こんなんでいいのか……?
「電子、地球、ラブレター」
たった三行の短い詩。そこにはめちゃくちゃデカい感情が込められています。これは元々ただめちゃくちゃデカい感情としてあったわけではなく、ささやかな恥じらいが生み出すジレンマを避けるために、めちゃくちゃデカくならなくてはいけなかった。マジで何言ってんだって感じかもしれませんが、正直そうとしか言いようがないというか、そんな感じなんですよね。以前の作品は抽象的なものが多かったと思うんですけど、今回は結構直接的で分かりやすく、詩がわからん人間にも優しい作りになっている印象です。
あとは何よりタイトルが秀逸ですね。これといった繋がりのない三語ですが、この詩のタイトルとして見ると、明らかに詩を読む前にはなかった一筋の大きな線が三つの言葉を強く結んでいる。そんな感じです。
「血よりも」
先の二作とは打って変わって、途端に抽象的になりました。こうなっては、ひとたまりもありません(軟弱)。とはいえ形式自体は明快で、「濃いもの」を並べていっているというものです。まあ例によって書けるだけ書いていきますね。
「血」って生物の身体の中を流れている、いわば生き物そのものが持つ「濃さ」なんじゃないかなと思います。血よりも濃いものとして挙げられているのは、一つには自然の風景、またあるいは失敗した料理……など。こういうところから考えると、「生き物(特に人間?)が持つそれ自体の濃さを上回るものは、世界にたくさんある」、「生き物は、自ら(濃さに限らず?)を超える何かを創り出すことができる」というメッセージが読み取れる……はずです。僕はそういう感じのメッセージを読み取りました。以上です。
「知っている」
こちらは直接的とまでは言いませんが、個人的には情景は見えやすかったです。変化や競争が激しい現代、痛みに耐えながら戦い続けている人も少なくないでしょう。僕も中学生の時に自転車の鍵を失くし、雨の中動かない自転車を持ち上げて浮かせながら帰ったり、高校生の時に38度の高熱がある中で走って帰ったりした過去があります。そういうことじゃない?そっか……
そんな具合で耐えながら戦い続けられてしまう人にも、痛みはある。これは、そんな人に寄り添うような詩だと思いました。
おわりに
色々書きましたが、今年度も良い作品が揃っていたと思います。ネタバレを避けなければいけなかったので内容に関する話はあまりできませんでしたが、どの作品も作者の熱意が十二分に伝わる魅力的な作品でした。信じられないことに僕はもう四年生なので、『泡』に寄稿する機会は残っていませんが、来年度以降の『泡』も楽しみですね。
ここまでお読みいただきありがとうございました。余計なことまでダラダラ書いてたら思いのほか長くなっちゃった。今この時点で7100字ぐらいあります。最初はツイートでやろうかと思ってたんだけど、noteにしておいて本当に良かった。以前小説の書き方の話をした時と同じ失敗をするところでした。拙い感想になりましたが、読んでくださった皆様にとって何か得るものがありましたら幸いです。
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