【西洋古典学】卒論 議論の整理(随時更新)

卒論の議論が全然整理できてないので、ここで整理していきたいと思います。研究の手の内を易々と明かすな。いいんだよ、西洋古典学なんて日本の学生はほぼやってねえんだから(火種)。硬い文体では書かず、口語的に説明していくつもりなので、西洋古典学全然知らんよという人も何となく眺めてもらえれば幸いです。あとnoteでやる以上引用がガバガバで不便かもしれませんが、一応ちゃんと情報元を辿れるようにはしておくので、その辺りは大目に見ていただければと思います。質問や反論なんかももしあればコメント等でお伝えください。可能な範囲でお答えします。こんな分野なので、wikipedia見たら分かるようなマジの素人質問もOKです。


表題(仮)「セネカ『メデア』におけるメデアの人物像について–セネカの生涯との関連から–」

現存する「メデア」の神話を題材とした悲劇は、主にエウリピデスが書いた『メデイア』(以下、特に注意なく「メデイア」と表記するものはエウリピデスの悲劇、またはその主人公とする)と、セネカが書いた『メデア』(以下、特に注意なく「メデア」と表記するものはセネカの悲劇、またはその主人公とする)の二つです。あとは叙事詩ならアポロニオス・ロディオスの『アルゴナウティカ』なんかもメジャーなんですけど、これは先の二作より時系列が少し前のお話です。『アルゴナウティカ』、「読まなきゃなーと思いつつ読んでない本」No.1だ(No.2は聖書)。

前提知識(作品の要約)

長くなるんでざっと読むだけで良いです。それでも怒られそうなほど端折ってるので、気になったら各自で図書館で悲劇集を借りるなどしてぜひ読んでみてください。劇だから長ったらしい地の文とかないし、アポロドーロスよりは面白いから(テクニカル悪口)。いや、実際『メデイア』と『メデア』は古典作品の中では面白いと思うよ。俺を信じてくれ。俺も、皆を信じるから。

『メデイア』の要約
1.父親を裏切り、弟を殺し、故郷コルキス(田舎)を捨ててイアソンと結婚し、彼に難題を課していたペリアス王を殺してイアソンと共にコリントス(栄えてる街)に逃れたメデイア。しかし、コリントス王クレオーンは王女クレウサとイアソンの婚約を取り付け、イアソンはそれに応じる。イアソンに裏切られ、絶望の淵に立たされたメデイアの心の内には、激しい怒りが燃えたぎっていた。そこにクレオーンが現れ、メデイアに追放を言い渡す。彼女がこれまでに犯した残酷な悪事から、コリントスへの危害を懸念してのことである。メデイアは子どもに最後の別れを告げるためと言って、一日の猶予を懇願する。クレオーンはそれが破滅をもたらすとわかっていながらも、メデイアに猶予を与えてしまう。

2.イアソンが現れ、メデイアと対話する。流浪の旅に必要なものがあったら融通すると申し出るイアソンにメデイアは激しく反発し、申し出も断る。

3.復讐の手立てを思いつくが、その後のことを心配して決行に踏み切れないメデイア。そこに、アイゲウス王(アテナイの建国者……まあ徳川家康みたいなもん)が現れ、彼の跡継ぎが生まれないという問題を解決することを条件に、メデイアが出国した後アテナイで匿うことを約束する。思わぬ後ろ盾ができたメデイアは、復讐の決行に踏み切る。

4.イアソンを呼んだメデイアは態度を一変させ、彼の言葉に賛同し、自身の非礼を詫びる。その後クレウサに贈り物を渡すように子どもに言いつけ、イアソンとともに彼女のもとへ向かわせる。

5.全てが、滅亡する。クレウサへの贈り物に仕込まれた毒は大いなる役目を果たし、コリントスの王女と、その亡骸を抱きしめたコリントス王に死をもたらした。その後、メデイアは葛藤しながらも、戻ってきた自身の子どもを殺す。このまま生き延びていても彼女とは離れ離れになってしまうし、何より王家を滅亡させた大罪人の子として厳しく罰せられ、どの道死んでしまうであろうから。

6.メデイアを討つべく現れたイアソンが息子たちの死を知り、絶望する。その後メデイアと対話し、息子たちを弔わせてほしいと懇願するが、メデイアは応えない。自分を捨てたイアソンが、子どもたちの父として振る舞うことなど許せないから。
「おお、愛しい子供たちよ。」「それは母親のわたくしにだけ言えること、あなたになんか––––」(1395-1396行?)

7.メデイアはそのまま息子たちの亡骸を抱いて、祖父である太陽神へーリオスの持つ戦車に乗り込み、天上へと旅立つ。残されたイアソンは恨み言を吐きながら、去り行く戦車を見送る。


『メデア』の要約
1.メデアはプロローグで自身の境遇や復讐の計画を自ら語り、神々に祈って復讐の手助けを乞う。『メデイア』では途中で復讐の計画に組み込んだ子殺しを、『メデア』では最初から行う算段でいる。時間と空間を超え、メデアの復讐劇がローマの地で語られる。

2.先に語ったそんなこんなでイアソンに裏切られたメデアをよそに、コリントスはイアソンとクレウサの結婚を祝う儀式を執り行う。例によってコリントス王クレオが現れ、メデアに追放を言い渡す。メデアは自己弁護するも聞き入れてもらえないが、結局子どもとの最後の別れを理由に猶予を得る。

3.イアソンが登場し、メデアと対話する。メデアはイアソンにクレウサとの結婚をやめてメデアのもとに戻って来ないなら、自分の罪を被ってほしいと頼む(自分が犯した罪で得するのはイアソンであり、またこの罪はイアソンと結婚するために犯した罪であるので、メデアを捨てるのであればこの罪を被り、メデアがイアソンのために捨てた全てを返してほしいという主張)が、イアソンは断る。イアソンが退場すると、メデアは復讐の決行を決意する

4.メデアの乳母によって、メデアが行う儀式の様子が語られる。神話上に登場するあらゆる蛇を呼び出し、またあらゆる毒を混ぜ、強力な毒薬を作り出す(乳母が語るのはここまで)。その後メデアは故郷コルキスの守り神であるヘカテを呼び起こし、毒の効能を強めてもらうように願う。ヘカテは願いを聞き届け、毒薬の効能は万全となった。メデアは毒に浸した着物を子どもに持たせ、クレウサのもとに届けるように言いつける。

5.全てが、再び滅亡する。クレウサとクレオは毒によって倒れ、メデアは復讐を完遂するべく子どもに刃を立てる。しかし、やはり躊躇が生じて殺せない。だが、これはもはやメデアの子ではない(生んだのが自分でも、今や自分はイアソンの妻ではないから、子どもたちは彼とその妻、すなわちクレウサの子どもであるのだという考え)、そして、この殺人はかつて殺した弟に捧げる償いなのだと思い直し、一人目の息子を殺す。メデアは息子の亡骸を抱えてもう一人の息子の手を引き、屋根の上に移動する。

6.メデアの残酷な復讐は、つつがなく進んでいる。イアソンの妻となるために失った全てを取り戻し、順調であるかのように思われた。しかし、どうにも手応えがない。それは、イアソンが見物していないからだ。イアソンが見ている前で、復讐を完遂しなければ、意味はないのだった。イアソンが登場し、メデアを討ち取らんとして威勢よく詰め寄るが、一人の息子が既に殺され、またもう一人も殺されようとしていることが分かると、態度を一変させて懇願する。メデアはその願いを聞き届けることなく、二人目の息子を殺す。嘆きとともに息子を弔わせてくれと頼むイアソンに、メデアは屋根から息子の亡骸を投げ落とす。そして、二頭の大蛇が曳く戦車に乗って天上へと去ってゆく。イアソンは恨み言を吐きながら、それを見送る。
「行け、行け、どこまでも高く、宙の果てまでも。おまえの行くところすべて神なき土地となることを、身をもって示すがよい。」(1026-1027行。ちなみに先述の通り神々はメデアの味方だし、そうでなくてもイアソンは結婚の誓いを破っているので神々が彼に味方をすることはない。哀れだね。)


以上です。長かった……まあ分かる人が見たら分かるんですけど、これ話の本筋を大体なぞってるだけで、「スタシモン」って言うコロス(合唱隊)の頌歌の場面とか『メデイア』の乳母と守役の動きとかを丸々カットしてるのでほんとに概要って感じなんですよね。ともかく、気になったら是非お読みください。『メデイア』の方がやっぱりメジャーなので、こっち先読んでから『メデア』読むとアツいです。よろしくお願いします。

はじめに(導入)

いきなりなんですけど『メデア』は『メデイア』より劣っているという評価が一般的です。普通の読み手の感覚で見るとそんな変わらんだろって感じなんですけど、当時の悲劇において一般的であったコロス(合唱隊)と登場人物のやりとりがないことなど、劇としての構造の致命的な欠陥がいくつもあったことが指摘されていることからそう言われています。一方で『メデイア』以降書かれたメデア劇(メデイアの復讐をテーマにした劇をそう呼ぶこととする)の中で現存しているのが『メデア』のみであることを考えると、そこに一定の価値が見出されたということもまた事実だと考えられます。その価値について、小林(1994)は、「セネカはエウリピデスのそれとは明白に異なった独自の基本プランでメデア劇を造ることを最初から意図しており、その意図自体は実現している」と述べています(p.190)。僕もこれと同意見で、大元になった『メデイア』との差異を手がかりにして、その「独自の基本プラン」すなわち「セネカがメデアを通して書こうとしたもの」を探ってみようというのが本研究の目的です。

これまでのメデア劇の歩み(コメンタリーの内容中心)

まずはメデア劇の変遷について辿っていきましょう。当然のことながら、メデア劇はエウリピデスがいきなりドーン!と出してそこから直接セネカに伝わったわけではありません。エウリピデス以前にも、彼からセネカまでの間にも、メデア劇を書いた作家は大勢います。そこで、セネカがメデアを題材として選んだとき、その神話にはどのような要素があったのか、ということを考えておきたいわけです。先日構想発表をした時にヘレニズム時代のことはあんまり関係ないって言われたので、ヘレニズム時代のことは省いていこうと思います。以下はA.J.Boyle『Seneca:Medea』の「THE MYTH BEFORE SENECA」から要約して引用したものになります。正直議論にどこまで関わってくるかわからないし、めちゃめちゃ長くなるので太字だけ読むか、飽きた段階で読み飛ばしてもらっても大丈夫だと思います。

☆神話の概要
時代はトロイア戦争前。メデアはオケアノスの娘エイドゥイアと黒海の南東に位置する王国コルキスの支配者アイエテスの娘で、太陽神の孫娘であり、魔術師キルケの姪である。
イアソンとアルゴノーツ一行は、ギリシャ神話のプリクソス王の持つ雄羊から取った金の羊毛を得るため、ギリシャの都市オルコメノスからコルキスに到着する。その羊の毛皮はコルキスの人々によってゼウスに捧げるものとして保管され、蛇によって守られていた。
若いメデアはイアソンと恋に落ち、彼女の魔術によって、イアソンがアイエテス王の仕掛けた障害を乗り越え、黄金の羊毛を得られるように手助けをする。彼女は、弟であるアプシュルトスを殺し、あるいは殺させ、(多くのバージョンでは)そのバラバラになった死体を撒くことによって、イアソンが羊毛を持って逃げるのを助ける(イアソン達を追ってきたメデアの父がバラバラの息子の亡骸を拾い集める間に逃げた)。帰路、メデアはアルゴノーツたちが無事に目的地に着くのを助ける。
ギリシャのテッサリア地方にあるイアソンの故郷イオルコスで下船した後、メデアは魔法の力でイアソンの父アイソンを若返らせ、イアソンの叔父で羊毛の奪還を彼に命じたペリアス王を若返らせることを提案する。メデアはペリアスの娘たちを故意に惑わし、若返らせるのではなく父を殺すように仕向ける。
メデアとイアソンはコリントスに逃れ、そこで子供たちとともに保護される。コリントスでイアソンはメデアを捨て、王の娘と結婚する。メデアは追放される。メデアは王とその娘、そしてイアソンとの間にできた自分の子供たちを殺す。彼女は太陽神が送った空飛ぶ戦車に乗って逃げる(悲劇が題材としているのはここの部分)。
エウリピデスやオウィディウスなどいくつかのバージョン(セネカは違う)では、メデアはアテネに飛んで行き、アテネの王アイゲウスと結婚する。そこで彼女はアイゲウスの息子テーセウスを殺そうとするが失敗する。メデアは東方に逃れ、そこで退位した父をコルキスの王座に復帰させたり、息子のメードスをその王座に就かせたりする。メデアまたはメードスはメデス人の祖先となる。メデアの最終的な行き先については、古代の伝説によれば、メデアはアキレウスと結婚してエリュシオンの野にいる。また、彼女の元配偶者であるイアソンは無念の死を遂げる(多くの説では、アルゴ号の落下物によって殺される)。

こちらもBoyleからの引用になりますが、神話の概要はこんな感じです。これがどんな風に形成されてきたのか、ということを以下にまとめていきます。


☆ギリシア
・ホメロスにおいては、叔母のキルケーについては『オデュッセイア』においてよく語られているが、メデア自身についてはほとんど語られておらず、イアソンとアイエテス王とアルゴー船について僅かに語られるばかりである。
・しかしながら、ヘシオドスにおいては死すべき身のイアソンと、ペリアス王によって彼に押し付けられた難業を達成した後に結婚した女神とみなされているようである。ヘシオドスはまた、この二人の息子をメデイオスと名付けている。
・前5世紀には、多くの神話の題材が私たちにとって最も親しい形に安定し始めた。ピンダロスの『ピューティア第四祝勝歌』は、アルゴノーツの遠征について、船員の構成やコルキスへの冒険、メデアのイアソンへの恋、彼らの結婚、アイエテス王の用意した難業を乗り越えるためにも黄金の羊毛を守る蛇を殺すためにも役立つメデアの魔法の薬の使用、そして彼女のイアソンとの旅立ちなど、詳細を語っている。ピンダロスの作品においてペリアス王は僭主であり、イアソンが戻ってきたら彼に王位を譲ると約束していた。この作品は、そのペリアス王をメデアが殺したことへの言及を結末としている。しかし一方で、メデアの兄弟殺しと子殺しのいずれにも触れていない。

以上がエウリピデス以前の概略です。この他にも子殺しへの最初の言及とか色々あるんですけど、はっきりとした出典があまりなかったり、言葉の作品ではなく壺絵で伝わっているものとかもあったりしてごちゃごちゃするのでここでは省いています。さっきはエウリピデスがいきなりメデア劇を出したわけじゃないって言ったけど、実際にセネカに神話が伝わった時点では恐らくエウリピデスによってある程度安定した形になっていただろうし、一旦最初とエウリピデス直前だけを抜き出しています。まあエウリピデス以前に下地があったってことが分かれば十分じゃないかと思います。

メデアの神話の公式化(いわゆるスタンダードになったってことでしょう)は、前5世紀のギリシア悲劇、特に神話の変革に極めて大きな影響をもたらしたエウリピデスによって行われた。
・エウリピデスはメデアに着目した劇を少なくとも3作書いた。『ペリアデス(ペリアスの娘たち?)』と『アイゲウス』、そして『メデイア』である。
・『ペリアデス』の主題は、メデアの魔法を通じてペリアス王を若返らせようとした娘たちの手によるペリアス王の死である。劇の最後には、王国はペリアスの息子アカストゥスの手に渡り、イアソンとメデアはコリントスに逃れたようである。
・『アイゲウス』は若きテーセウスのトロイゼンからアテナイへの帰還と、彼を殺そうとするメデアの試み、そしてテーセウスが父アイゲウスによって認められることを演劇化したもののようである。
・『ペリアデス』と『アイゲウス』はいずれも断片のみが残っている。彼の『メデイア』はペロポネソス戦争の前年である前431年に書かれている。
『メデイア』を、捨てられた復讐として彼女の敵対者とその父、そして自らの息子を殺し、太陽神から贈られた空を飛ぶ戦車に乗って逃げる妻として演劇化するのは、改変と同じくらい革新的であったようである。
・多くの古代・古典ギリシア文学が散逸したことで、この問題に対して確信を得ることは不可能となったけれども、メデイアの革新は夫婦の裏切りや復讐の道具(子どもによって運ばれた毒の衣装)、アイゲウスのコリントス訪問、空飛ぶ戦車での出立(しかし戦車は明らかに蛇によって引かれているのではない)というこれらのことも含んでいたのかもしれない(これらの改変を加えたってこと?)。
最も特徴的なのは、エウリピデスの悲劇は最も早期にメデアの(意図的な)子殺しの事例について言及したということである。この劇が後世に与えた影響、とりわけその社会的な疎外感、道徳的責任と道徳的行動、母性や人間性、”自己”と”他者”––––それらの複雑なテーマに切り込んだことは重要といえる。
この神話を扱った次のメジャーな作品に出会うには、私たちは前3世紀のアポロニオス・ロディウスによる叙事詩『アルゴナウティカ』とカリマコスの『へカレー』という短い物語の詩を待たねばならない(ヘレニズム時代の作品なのでここはカットします。ちなみに『アルゴナウティカ』ではメデアは清廉潔白な存在として描かれており、弟殺しもイアソンがやったことになっているらしい。僕は読んでないけど)。


とりあえずギリシアでの変遷の概略はこんな感じみたいです。神話としてある程度ちゃんと形になったのが前5世紀のピンダロスの作品で、そこに大胆な改変を加えて復讐・子殺しの悲劇としての話型を決定的にしたのがエウリピデスの『メデイア』って感じなんでしょうね。
そう考えると、やっぱりエウリピデス以前は悲劇の話としてセネカが参考にしたかどうかは疑わしい部分があるように思います。



☆ローマ
ローマにおいてラテン語の『メデア』の出現が確認されたのは、前3世紀のまさしく最後の年か、あるいは前2世紀の初めであった。ギリシアのメデイアがディオニュソスに関わる旅団によって上演されたことは疑いようもなくその先駆けとなったのであるが、ラテンの装いでのメデアの出現は、前203年のローマのエンニウスの詩の出現に続いてのことだった。
・彼は以前にもコリントスを舞台にした『Medea Exul(メデアの亡命?)』、アテナイを舞台にした『Medea』という二本のメデアの劇を書いたことがあったようである。『Medea Exul』はエウリピデスのメデイアの「受容」であった。異国の都市における異質性、文化的・個人的孤立の問題の探求は、劇作家だけでなく、ますます多様化し、不安を募らせるローマの都市大衆にも明らかに関連していただろう。そしてメデア自身が既に(コリントス人の社会と同様に)ローマにとってよそ者であったので、その”部外者性”は同時期にローマ自体に軽んじられ、よそ者扱いされていると感じていたローマの人々の間で特別な絆を作っていた聴衆に共感をもたらしたであろう。
・メデアの神話に改革をもたらすために、前1世紀のローマで三つの詩の作品が成立した。ウァロ・アタキヌスの叙事詩『Argonautae』と、オウィディウスの『メデア』と『Heroides』の12巻の三つである。しかし不運なことに、初めの二つについてはほとんど知ることができない。
『Heroides』は完全に現存している。このメデアからイアソンに向けて送られた架空の韻文の手紙は、このメデアがセネカのメデアの第二場面(多分結婚を祝ったりクレオが出てきたりしてるところ)の始まりと同じ瞬間にあることを示している。すなわち、この直後にイアソンとクレウサの結婚が起こるのである。
この作品は、捨てられた女性の自己描写であり、女性についての議論を提示する一連の作品のひとつであり、手紙というよりは悲劇的な独白のスタイルで書かれていると主張されている。これはメデアの心理的・言語的混乱や彼女のイアソンに対する激情を、彼女が過去にイアソンのためにしたことや彼女の殺人、罪、すなわち彼女が父や国を裏切ったこと、イアソンによって裏切られたこと、そして彼女の復讐に対する欲望の萌芽について考えることで見せている。
・この詩はオウィディウスの激しく感情的な主張をレトリック的な表現で表すことに対する第一の関心の例である。この詩とオウィディウスの散逸した悲劇との関係については現在ますます議論されているところである。
・この詩におけるアブシュルトスの死の扱いは言及すべきである。オウィディウスはアブシュルトスはただの子どもであり、メデアが彼を誘拐して切断したのだというペレキュデースのバージョンに立ち帰った。しかし、『Heroides』の6巻によれば、その身体は地上に撒き散らされている。
『Heroides』の12巻はセネカのメデア劇に絶大な影響を与えている(僕これも読んでないわ、マジでよ……)。
『変身物語』の七巻の”叙事詩”では、オウィディウスは『Heroides』において統合していたメデア像の二つの側面を分離した。一つは若くか弱い救護者の処女で、愛の前に向こう見ずかつ無力な存在としての側面であり、もう一つは魔法の達人にして殺人者としての側面である。
・特に注目すべきは、理性と激情と知性と欲望の間にあるメデアの無駄な抵抗である(これはセネカにも一人目の子殺しの前に似たような場面があります)。しかしながら、彼女の叙述の本文では、心理的な焦点は抜け落ち、詩の内容はメデアの魔術の強調という初期のギリシアの形に立ち帰る。
・このオウィディウスの物語は、メデアの動機や考え、そして感情ではなく、彼女の行動や儀礼、呼び出しの儀式、薬草や薬の収集、若返りの力(アイソンや羊)とその取り消しによる殺し(ペリアス)、そして彼女の蛇によるイオルコスからコリントスへの避難に力を注いで書かれている(事実を淡々と書いていったってことだと思います)。
・この物語において、パクヴィウスとアッキウスの悲劇のプロットは削除され(アブシュルトスの殺害について何の言及もない)、エウリピデスやエンニウス、そしてセネカの悲劇が語っていた内容は4行に減らされた(394-397行にこれらの悲劇が題材としていた内容が書かれてるってことです。つまり復讐とか子殺しのくだりをギュッと要約して縮めたって具合)。


ここまでがセネカ以前のローマのメデア劇の主な変遷です。ざっと見た限りだとエウリピデスから伝わった話型をエンニウスが最初に劇にして、その後ある程度経ってオウィディウスが残したメデアのあり方の解釈がセネカに伝わり、影響を与えたっぽい感じがしますね。


セネカの悲劇はこの神話の長い歴史において、次なる主要な文学的事件である。しかし、初期の帝国においてメデアはレトリックの学校や集会場における朗読、そして悲劇の舞台などに用いられており、文学的な書物に限られた題材ではなかったことは明らかである。
メデアはローマ帝国において最も人気な劇の題材となるための豊富な素養を有していることを証明し、帝政期の人気の芸術として1世紀から5世紀までメデア劇は好んで上演された。
・ユリウス・カエサルの治世の後期に彼が獲得ティモマコスのメデアの絵画を獲得したことによって、メデアを題材とする装飾が流行した。


……以上!最後がやたら短いのはずっとティモマコスの絵画の話してて、セネカの劇には全然触れてなかったからです(これは多分別の項目で触れるからだと思うけど)。まあ本当に端折って言うと、その絵画(メデアの血を描いているらしい)がセネカに影響を与えた可能性は少なからずあって、セネカの悲劇もまた血みどろの物語となっているみたいな話でした。
総括して考えると、セネカはやはりエウリピデスの『メデイア』、そしてオウィディウスの著作に特に大きな影響を受けていると考えられます。これは困った。僕は『Heroides』も読んでいないのだから……
また「読まなきゃなーと思いつつ読んでない本」が増えたところで、次に行きましょう。

テクスト論(「劇作家」としてのメデア)

本文の読解で考えられることをBoyleのコメンタリーの「THE PLAY」の項目の内容と併せて述べたいんですけど、全然まとまってないのでちょっと待ってね(無能)。
まあ一応メモ程度に添えておくと、『メデア』においてはメデアが過去の回想を繰り返し、そしてそれを取り戻すことを一つの目的としているんですね。イアソンに対して「追放するのなら、財産を返して(489行)」と言っていたり、復讐が成就した時に「これでやっと、わたしの王笏と弟と父とを取り戻すことができた(982行)」と言っていたりすることからそれが窺えるんですけど、この「過去の奪還」はメデアが理想とし、描こうとした世界であり、復讐の成就によってその劇世界(メデアがイアソンに出会う前の、過去の世界)が現実世界に塗り重ねられるようにして現れてきたという見方があるようです(コメンタリーに記載あり。ただちょっとまだ読み込めてない)。メデアは復讐の成就にそれなりの苦労や犠牲を払ってきたわけなんですけど、その「自分が描きたい理想のための苦労」が劇作家にとっての「劇を作る苦労」と共通しているという話がコメンタリーの内容です。これを踏まえるとセネカはメデアを自身に重ねて書いたという説の説得力が増しそうだねって話なんですけど、これだけ言っても多分全然ピンとこないと思うのでまた改めて書きます。

あと一応豆知識に終わる可能性大なんですけど、メデアが儀式の時にコルキスの守り神ヘカテに捧げるものとして、
・テュポエウス(いわゆるテュポン。ゼウスに反逆し、かなり追い詰めた)の肉
・ネッソス(死の間際にヘラクレスの妻デイアネイラを唆し、ヘラクレスの死因を作る)の毒
・ヘルクレスを焼いた灰(ネッソスの毒に苦しんだヘラクレスは自身の肉体を生きたまま焼いてもらうように頼む)
・アルタエアの燃え木(この木が燃えたら息子メレアグロスは死ぬというお告げがあり、メレアグロスが彼女の兄と争って殺してしまった折に彼女はこの木を燃やし、メレアグロスを殺してしまう)
・ハルピュイア(怪鳥。予言者ピーネウスを襲い、彼の食事の時間になると飛びかかって食い尽くしてしまっていた。)の羽毛
・ステュムパーロス(怪鳥。ヘラクレスが退治したとするのが一般的だが、『アルゴナウティカ』ではアルゴノーツが退治したとしているらしい。僕は読んでないけど)の羽
の六つがあります。これらの性質を順番通りに解釈すると、
・王への反逆
・毒
・炎(宮殿を焼く)
・子殺し
・空へと去る×2
といった具合で、『メデア』における復讐の流れと一致していると見ることができるんですよね。この「捧げ物を通して復讐を実現する」という行為を「筋書きを通して劇世界を作る」という作家の行為になぞらえて解釈することは十分可能なんじゃないかと思っています。

遅くなりましたが、まとめます(2023/12/13追記)。卒論の締め切りが25日なのに、なぜ未だに議論の整理をしている?
実際、他の項目はもう書き終わって、残り5000字ぐらいであとこの項目と『メデイア』と『メデア』の比較の項目だけなので、まあその辺りはご心配なく。ご心配あるに越したことはありませんが、ご心配なく。
さて、Boyleのコメンタリーにおいてメデアが劇作家的な性質を持っているみたいな指摘がされているというのは以前に述べた通りですが、ここでは実際にどのような点からそれが指摘できるのかということをもう少し詳しく見ていきたいと思っています。つまり目的は「既に指摘されている内容の検証および補足」になると思います。他の人が持ってきてくれた食材を使いたいんだけど、これが安全かどうか分からんから一旦洗うみたいな感じですね、例えとして合ってるか?

まずは、Boyleの指摘を改めて詳しく見てみましょう。
メデアの劇作家性については、主に「The Play」の「Theatre and Metatheatre」(pp.107-118)において言及されています。中でも重要な指摘は以下の通り(例によって訳がザルなのでアレですが)。
・「メデアはその終局の示唆のために、自分自身に対する皮肉の言葉さえ用いている(罪を犯して作った家庭なら罪を重ねて捨てるだけだ、母となったこの身にはもっと猛々しい罪が相応しい、など)。この劇の冒頭から、メデアは書き手、役者、劇作家、そしてキャラクターの役割を担っているのだ」
・「メデアの神話を実現し、現実を操り、不朽の名誉を手にするための彼女の苦闘の成功は、メデアの怒りを作り、エウリピデスの結末を文学を読むことに失敗したメデアの内的な観客(イアソン)と世界の劇的な展示の中で描き直した劇作家のそれ(苦心)を見事に、そして鮮明に反映している(作中のメデアと同じように、作家もまた苦労したってこと)」

ここまで話しておいてなんですが、最初に「メデアは二人いる」という話からする必要がありますね。『メデイア』では一人称は「わたくし」だけだったんですけど、『メデア』では「わたし(ここの表記揺れは翻訳の都合だろうから気にしないでください)」と「メデア」の二種類あります。「わたし」は良いとして、問題はメデアが自分のことを「メデア」と呼ぶ瞬間があるということです。これは現代の一部の女性が自分のことを名前で呼ぶみたいなのとはちょっと違って、この「メデア」は自分自身と同時に「神話に語られる、残虐な行為をなしたメデア」をも指す場合があります。例えば、イアソンが「メデアと一緒にいると敵が多いから仕方なくクレウサと結婚を決めた」みたいな話をした時、「もっと恐ろしい存在もいるのですよ、メデアという」と返答しています。これは自分自身が神話として語られる恐ろしい存在(になる可能性を秘めた存在)であることを理解しているんですね。また、メデアはモノローグにおいても「やるのだ、メデア」みたいな感じで自己を奮い立たせる時に自分のことを「メデア」と呼びます。これが本当は単に「自分から自分へ」話しかけているのではなく、「客観的な自己から主観的な自己へ」話しかけていると考えられるんです。色々言いましたが、メデアには実際に舞台に立っている彼女だけではなく、その内面に客観的な物言いをするもう一つの自我が存在し、特にモノローグの場面で現れやすい(最初の子殺しのシーンなど)こと、その客観的な自我がメデアを通して劇の筋書きを観客に明かし、それを実現に導いていること、そしてその実現によって、舞台に立っている方のメデアも「神話上に語られる、子殺しをなした残虐なメデア」になる、ということが言いたかったわけです。
……これ絶対卒論には書けない例えなんですけど、『呪術廻戦』の虎杖悠仁と両面宿儺のイメージが一番わかりやすいと思います。あんな感じで、一つの肉体の中に二つの自我が存在している(単なる二重人格ではなく、片方は残酷で強力)。そして、普段は内面に隠れている方の自我がもう片方の自我に話しかけることで干渉してくる。その目的は、自己の顕現(宿儺が本来の力を取り戻すこと)にある。そんな具合です。ここの説明にあんまり時間かけられないので、これでご理解いただければと思います。
では、Boyleの指摘の話に戻りましょう。前者はプロローグでメデアが復讐を語る場面についてのお話です。メデアは冒頭で自分がやろうとしている復讐劇の全貌を観客に明かすんですけど、それがメデア本人の意思ではなく、今言った客観的な方のメデアに促されてのことであるというお話。この客観的なメデアこそが復讐劇の筋書きを作り、そして実現のために舞台に立っている方のメデアを動かしているというわけです。だから、メデアは冒頭の時点でキャラクターだけでなく、復讐劇の書き手も担っているということです。
後者は最後の場面、復讐劇の実現にあたってのお話です。劇のあらすじを見てもらえばわかる通り、メデアは神話(恐らくエウリピデスの劇のこと)に語られる子殺しを実現し、自らの思い描く現実を作り出しました。この流れが、メデアの怒り(『メデイア』でも怒りは描かれたが、『メデア』ではそれが激化している)を作り、文学を読むことに失敗したメデアの内的な観客(=エウリピデスの話の内容、すなわち自身を取り巻く環境とこれから待ち受ける運命を理解していないイアソン)に向けてエウリピデスの結末を描き直した劇作家の苦心と対応しているということです。セネカもメデアも、目的は「ある特定の現実を描き出すこと」です。メデアはそのために、様々な苦労を積み重ねてきました。それが具体的に何か、という話をこれからしていきます。

ここで役に立つのが、『メデイア』と『メデア』の比較です。『メデイア』になくて『メデア』にある点からは、セネカのオリジナリティがうかがえるので、それが劇作家としてのメデアを作り上げる手掛かりになっているかもしれないということですね。
卒論の本文の方ではある程度詳しくまとめることになると思うんですけど、ここではそれは割愛して、必要な箇所だけかいつまんで紹介したいと思います。
最初に、プロローグを担っている人物が異なるということ。『メデイア』では乳母がプロロゴスを担当していましたが、『メデア』ではメデア自身がプロローグで自身の復讐について語ります。この改変の意味は、先ほど述べた彼女自身がこれから起こす復讐劇の筋書きを観客に明かしているということのほかに、彼女の中に「客観的なメデア」という別の自己も存在しているということを示すということもあると考えられます。
そして、メデアが復讐劇の筋書きを明かすのはプロローグだけではありません。これまた『メデア』において新たに追加された場面である、儀式のシーンにおいてもメデアは復讐劇の内容を観客に提示します。それも、女神ヘカテに捧げる犠牲という形で。この記事を読んでいる方は前に書いておいたメモ書きを先に読んでいると思うので驚きはあんまりないと思うんですけど、ここでの犠牲がこれからの復讐劇の内容に対応しているというのは、プロローグと同様、観客への今後の展開の提示に他なりません。また、プロローグでは言葉だけで示されていましたが、ここでは実物をもって示されており、メデアの復讐劇が現実のものとなる瞬間が近づいていることが窺えます。
加えて指摘しておきたいのは、『メデア』においてはメデアが「よそ者」とされているという点。『メデイア』ではコロスはメデイアに同情的で、彼女の協力者であるアイゲウスも登場し、またイアソンの人物像も多少異なっており、劇の序盤は観客に対してメデイアへの同情を誘うような構成になっています(この辺の指摘は小林(1994)に詳しいです)。一方、『メデア』ではコロスもメデアを排斥しようとする動き(イアソンとクレウサの婚姻の場面など)を見せていることに加え、アイゲウスの存在が削除され、さらにイアソンを追う敵を増やしたことでイアソンに対しても多少の同情ができるような形になっているなど、メデアを徹底的に孤立化させています。これは、コリントスというこの劇の舞台から彼女を排斥するだけでなく、『メデア』というこの劇の外へと追い出そうとするような動きだと考えられるのではないでしょうか(この辺りの根拠がちょっと弱いですね、何か考えないといけない)。で、その劇の外にある存在というのが劇作家ではないかというわけです。クレオがメデアの言葉や知恵(=劇作家が持つ、物語を思い通りに進める力)を恐れて追放を言い渡したことなどから、そのように推測できます。
最後の根拠は、メデアが他の登場人物たちを「観客」にしていることです。最初は乳母がメデアの儀式の様子を観客に伝えるシーンです。この時、乳母はメデアとの対話をすることなく、その恐ろしい儀式の「観客」となっています。先ほど述べた通り、この儀式のシーンは『メデイア』にはないので、この乳母の変化は『メデア』における改変の成果の一つと言えるでしょう。続いては、最初の王家殺しが起こった時。ここでは、突然訪れた悲劇に混乱しながら嘆くコロスたちが、メデアの描いた復讐劇の第一幕の「観客」となっています。『メデイア』では、コロスは伝令としてメデアに状況を伝え、「なんてことをしたんだ、罰せられる前にさっさと逃げなさい」みたいなことを言うんですけど、『メデア』にはそれはなく、コロスは自分の言いたいことだけ言ったらメデアに会わずに退場します。これも、メデアとの対話を避けるために行われた改変であると考えられます。最後に「観客」となるのは、イアソンです。これに関してはかなり重要なので、劇中でも明確に描かれています。一人目の子殺しが終わった時点で、メデアは不思議と不満を感じます。全てがうまくいっているのに、なんだか物足りない。そこで、彼女は「この復讐劇をイアソンが見物していない」ことに気付きます。そして、わざわざ屋根の上に出てきてイアソンの目の前で二人目の子殺しを行う、という風に物語は展開していきます。『メデイア』では二人同時に、イアソンの見ていないところで子殺しが行われましたが、セネカは一人ずつ、片方はイアソンの目の前で殺しています。この子殺しのタイミングの変化は『メデア』における改変の中でもとりわけ大きく、重要なものです。この改変は、「イアソンという観客を必要とした」から行われていたわけなので、メデアの中に「自分の描いた現実を見せたい」という劇作家的な動機があったことは十分に考えられるでしょう。
以上の根拠から、メデア、特に客観的なメデアの行動やその動機は、劇作家のそれと多くの共通点を持つということが考えられます。これに妥当性があるとするとどういうことが言えるかというと、メデアとセネカとの間に類似性があること、メデアが劇の中の存在でありながら、劇から逸脱した存在でもあるということが言えると思います。これがこの後の議論にどう役に立つかについてはまだちょっとまとまってないところです……大丈夫か?
まあ今のところ考えているのは、「劇作家」をもう少し広く捉えて、「言葉や知恵によって自分の思い通りに物事を進める人」とすると、アグリッピナも大いに当てはまるじゃんみたいな話をしようかなという感じですね……

セネカの生涯と当時のローマ世界(コメンタリーの内容中心)

では、ここから作者論的に『メデア』を見ていきたいと思います。まずはセネカの生涯を整理する必要がありますので、分かりやすく箇条書きにしてまとめていきましょう。以下の内容はA.J.Boyle『Seneca:Medea』の「SENECA AND ROME」の項目を要約して引用したものです。訳がザルなので、もし間違っている部分があったら申し訳ありません。

コルドバ(スペイン南部)に三人息子の次男として生まれ、騎士として育てられる。
・幼い子供の頃にローマに渡り、標準的な「エリート教育」、すなわち言語や詩、弁論術などのような教育を受け、ティベリウス帝時代の初期までには、未だ青年でありながら熱烈な哲学の愛好家になっていた。
・菜食主義と関わりを持つ、地域的な(local)禁欲の姿勢「セクスティアニズム」の実践を試みるが、父に止められて断念する。
・セネカは生涯を通して結核を患っており、その治療で政治家としてのキャリアの開始が遅れたという。回復期の間はエジプトにいて、20代の間は母方の伯母の元で過ごしていた。
・後31年にエジプトから(伯父を亡くした難破船から生き延びながら)ローマに戻り、その後すぐに兄ガッリオと同様にquaestorship(財務官ないしは審問官)として上院議会に入った。クラウディウス帝時代の初めまでには、彼は造営官と護民官も経験していた。
・30代の間に結婚(後年の妻であるポンペイア・パウリナとの結婚であるかどうかは不明)
・セネカは公的なスピーカー(演説家)として名声を得て、カリギュラとして知られるガイウス帝の注目と嫉妬を呼び起こした。
・30代の後半までに、セネカは明白に王子たちの集団の中で活動しており(恐らく宮廷のそれなりのポジションにいたってこと)、「その小さな集団の上に、昼夜問わずアウグスト以降の帝国の大きな重圧がかかり続ける」状況に置かれていた(恐らく集団の規模に対して圧力、ないしは仕事量が多かったってことだと思います)。
・セネカが高い地位にいたのは、わずかな間だけだった。彼はカリギュラの短い治世を生き、クラウディウスの治世の初めの年(後41年)にはコルシカに追放された。その容疑とは、カリギュラの妹ユリア・リヴィラとの不倫であり、新たな皇后となるクラウディウスの若妻メッサリナが持ち込んだものであった。
セネカの追放は彼にとって個人的な苦しみがあった時に行われた。彼の父と彼の息子が近いうちに亡くなっていたのである。そして、皇帝に寛大な措置を求めたにもかかわらず、その退屈な期間は8年も続いた。
・48年にメッサリナが次期コンスルのガイウス・シリウスの「婚姻」による反逆罪によって処刑された(結託してクラウディウスに反逆を試み、事前にバレて処刑された)。その翌年にセネカはクラウディウスの新たな妻にして姪のアグリッピナ(もう一人のカリギュラの妹で、セネカは後に彼女の恋人によって糾弾される)によってローマに呼び戻され、50年には法務官に任命された。

ここで小休止。『メデア』が書かれたのは50〜60年と推測されているので、この前後あたりで『メデア』が書かれたという説が有力です。この説に従うならば、この時すでにセネカは皇帝による追放を経験しています。メデアも似たような経験をしていますね。この共通点は結構重要なのではないかと僕は思います。一旦ここまでの段階でセネカとメデアの共通点をまとめておきましょう。
☆よそ者である(メデアはコルキス人でコリントスに渡ってきた、セネカはコルドバで生まれ、ローマに渡ってきた)
☆能力が高く、それが他者に認められている(ただし、セネカはエリート教育の賜物であり、メデアは生来の性質によるものであると考えられる)
☆弁論に優れる(メデアはメデイアよりも弁論に近い話し方をする場面が多い。クレオに恩赦を求める場面などが好例になると思います)
☆追放の処分を受ける(ただしメデアは猶予を与えられた一方でセネカは寛大な措置を求めても聞き入れてはもらえなかった)
もちろん細かいところまで考えたら相違点も結構ありますが、この大まかな共通の仕方は無視できないんじゃないかと思います。では、そろそろ残りのセネカの生涯を追っていきましょう。Boyleの引用に戻ります。


・この頃には彼の文学や哲学の評判は立派なものになっており、49年の終わりか50年にはネロの教師に指名された。これはセネカを再びローマ世界の中心に置くだけでなく、アグリッピナが彼女の夫を毒殺し、ネロを王位につけるために彼の計り知れぬ能力や影響力を持ち込んだということでもあった。
・ネロの初期の治世全体を通して、セネカ(恐らく補欠のコンスル)とアフラニウス・ブッルスは親衛隊の司令官となり、若き皇帝の宰相となった。
・初めはネロのスピーチはセネカが書いていたが、次第にネロはますます御し難くなった。この頃、セネカは極めて裕福となった。
・ネロは59年に母を殺したが、それは当初セネカにもブッルスにも秘密だったようであった。しかし、セネカは事後に文書を記して正当化を行った。それは首相(確かministerだったからここではコンスルのことだと思います)の権限が弱まっていることを示していた(皇帝の不祥事をわざわざ大臣が庇ったってことはそれだけ皇帝とのパワーバランスが傾いてるってことです)。
・62年にブッルスが死んだ時、セネカは公職を辞することを望んだが、ネロに拒まれ、セミリタイアの形をとった。
・65年にセネカはピソニアンのネロに対する陰謀に携わっていると告発され、自害を命じられた。彼はこれを行い、彼の友人の元に「彼の残した唯一にして最高のもの、すなわち自身の人生の型」を遺した(これ申し訳ないんですけどマジで英語力なくて分かりませんでした。自伝みたいなことか?)。

とりあえず以上がセネカの生涯の概略です。無計画に書いてるのでここで言いたいことはさっきの小休止で大体言っちゃったんですけど、こうして見ると、『メデア』はそれなりに晩年の作品であることがわかります。だからセネカが自身の生涯を振り返り、悲劇に入れ込もうとしたのかもしれないし、彼が自害で生涯を閉じていることを考え、もうちょっと長生きするつもりだったとしたら、単純に年代が近くてセネカの中での熱量が高かったと思われる追放やアグリッピナによるクラウディウス帝の毒殺あたりをテーマに捉えた可能性も考えられます。一概には言えませんが、哲学書とかでも自身の考えを述べたり、生涯を振り返る機会があったことを考えると個人的には後者の可能性の方が高そうだなって印象です。



続いてセネカが生きた時代のローマについて、これまたBoyleのコメンタリーからの引用によってまとめていきたいと思います。本当にコメンタリーと小林先生におんぶに抱っこだ。正直この二つで情報が集まりすぎて、文献数が膨らんでいかなくてかえって心配なんですよね。他のを読む前に議論がある程度完成してしまう。本当はこうやってある程度考えを固めてから読む方が良いんだろうけど、時期が時期なんで焦りも出てきます。

・セネカが表立って活動していた時代、既に共和政は終了し、彼は帝政の中を生きた。政治や法、道徳や宗教などの体制はある程度整っていたが、権力は皇帝に集中しており、個人の自由と安全に対する保証はどこにもなかった。
・当時、ローマの政治世界は「劇的」であった(本音と建前が渦巻く世界だったということ)。クラウディウス帝の葬式において、ネロは「悲しむフリ」をしていたという(本当は悪政も終わるし、自身の即位に直結するので、彼も民も望んでいたことだったが、表面上は悲しいことだとした。つまり身近な人付き合いの場だけでなく、こういった公的な場でも本音と建前の使い分け、すなわち「演技」が求められたということです)。
・セネカは散文の作品において、この劇的世界について語っている。また、当時ストア派哲学はエリート教育の主流であった(ストア派の理想である「無感情」は建前が求められるこのローマ世界には最適だったってことなんだと思います)。
・また、当時同じくエリート教育の主流であった弁論術もこの劇的世界において有利になるものであったという(スピーチを通して心理的に取り入る、あるいは感情移入させる能力を高めることで、自身の建前の形成に役立ったということみたいです)。
・奴隷剣闘士の存在や、皇帝による、あるいは皇帝自身の処刑などによって他者の死を見せ物とするこの世界は、セネカにとって「自意識をもって死にゆく世界」であったといわれる(『テュエステース』に、人類は自身が破滅することに価値を見出しているのではないかみたいな記述があるそう。僕はちゃんと読んでないけど)。


なんかあんまりまとまってる感じがしませんが、とりあえずこれがセネカを取り巻く世界だったみたいです。政治の世界が劇のような世界だったということには何らかの意味を見出せそうですが、まあパッと無難に言えそうなのは自分が身を置いていた劇と共通していたことが自分ないしその周囲を題材として劇の中に含める動機になりえたってことぐらいですかね……

今後の課題(メデアとセネカと「怒り」について)

メデアは作中で「怒り」が強調される人物です。乳母やコロスによってその怒りの様子が語られたり、自ら怒りを露わにしたり、その方法は様々ですが、まあ読んでもらえばわかる通り本編通してずっと怒ってます。まあ境遇を考えればそりゃそうなんですけどね。ただ、『メデイア』よりもその強調の度合いは大きいように思われる。だからそこには何かしらの意味があると考えられるわけです。
話は変わって、セネカはストア派の哲学者として名高い人物です。一般的な認識は悲劇作家というより哲学者でしょう。彼の著作の中には『怒りについて』というドンピシャの本があります。これをまだ読んでいないから、今後の課題としたわけです(カス)。まあ『怒りについて』を読むまでもなく、Boyleのコメンタリーの方でも「Seneca on Anger」という項目があり、セネカと怒り、そしてメデアと怒りには何か大きな関連性があるというのは間違いなさそうです
セネカはストア派なので、基本的に感情が揺れ動くことを嫌います(ストア派哲学は感情の動きに左右されない「アパテイア」の状態を理想とするので)。だから、怒りに駆られて復讐に走るメデアとは正反対の人物ですし、この劇の主人公を自分に重ねて書いたとしたらここが致命的な相違になるわけです。だからメデアはセネカの境遇と共通はしているけれども、セネカ自身に重ねて書かれたとは考えにくい。では、メデアとは誰なのか?
ここが最も重要な結論になると思うのですが、この答えを僕は決めかねています。一つはアグリッピナ説。事実上セネカを救った人物であり、ネロを帝位につけるためには手段を選ばない残忍さを持ち合わせ、そして本願を果たす、強かな女性。メデアのモチーフとして、これ以上ピッタリな人物はセネカの周りにはいないでしょう。僕自身、結局卒論はこっちで書くだろうなと思っています。じゃあそこに真っ直ぐ突っ込ませないもう一つの説は何かというと、「もう一人のセネカ」説です。実は、僕は最初こっちで考えていて、後で「アグリッピナかも」と言われて確かに……と思って考え直しました。つまり、「セネカの反転的存在」としてメデアを描いたということです。セネカは追放時、寛大な処分を請うものの聞き入れてもらえず、自身の皇帝に対する奉公が無駄であったと感じたのではないかと思います。そんな時期に劇を書いたからこそ、反ストア派的な存在であるメデアが本願を果たすストーリーラインになったのではないか、あるいは反ストア派的な存在が本願を果たすというストーリーラインの『メデイア』を題材として選んだのではないか、と考えたわけです。だから、「ストア派哲学者である自分はそうしなかったけれども、こうすれば状況は変わったのではないか」という思いの中でこの劇を書いたということは十分あり得るのではないかと思います。ストア派哲学がどれほど神を信じたのかはまだちょっと分かりませんが、仮に信じてないのだとしたら儀式のシーンをわざわざ入れたことにも意味が出てくるんじゃないかとも思います。まあそんなわけで、セネカが自身またはその周囲をモチーフにしてこの劇の主人公を描いたのだとしたら、このどっちかだろうなーというのが今の考えです。これで横取りの可能性をある程度潰したので、一旦ここまでとさせていただきます。長いことお付き合いいただきありがとうございました。

参考文献

・セネカ(小林 標訳)「メデア」『悲劇集』、京都大学学術出版会、1巻、1997年7月、pp.243-321

・エウリピデス(丹下和彦訳)「メーデイア」『ギリシア悲劇全集』、岩波書店、5巻、1990年5月、pp.89-190

・小林(1994):小林 標「≪メデアになる≫, ≪メデアである≫ : セネカにおけるメデア劇のメタモルフォーゼ」『西洋古典論集』、京都大学西洋古典研究会、11巻、pp.185-211(https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/68614)

・A.J.Boyle『Seneca:Medea』Oxford University Press on Demand, 2014年3月

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