誰の眼にも隠されていないが誰の眼にも触れない #000 yuto ENOMOTO
新しい写真プロジェクト
どうもいつもお世話なっております。榎本でございます。
何かを思いつくと何も考えないですぐやる事もあるのですが、
持久力がなかったり、息切れして、すぐやになるとぶっちぎりで
逃げるのが得意な人(汗)ですし、やる前に考え込みすぎて
「思考が停止する」タイプの人間で(大汗)
全く写真のプロジェクトが進みません。
写真家と名乗っていいのかというくらい写真を撮ってない日々が
続いております。皆様お元気でしょうか
昨年末にbuzzfeed社(webニュースサイト)の籏智記者が私が新しいプロジェクト(写真)を来年からやるという弱い決意表明を駄文としてfacebookに書いていたのを見つけてくださり、
「じゃあ取材させてください」と昨年末にバイト先まで取材に来てくださり!
ここ数年、コロナ禍といえども何もしないでダラダラと日記のような駄文を書いていただけなのにちゃんと読んでくれたのは本当に涙が出ました。
そもそも籏智記者は、私の卒業展や個展の時に取材に来てくれていた人でした。その時に「今度は『同じような体験をした人のポートレートを録りたい』とできるできないもわからずに言ってたうわ言みたいな目標を
ずっと気にしてくれてました。本当に感謝しないです。
buzzfeedの記事が出て、数人の方から連絡が来ました。
「写真を撮る」とは別に「話をしたい」という方が多かったと思う。
私は「道の見えない闇の中からなんか光が見えた人」に見えるのだと思う。
話はしたい、助けてほしい。でも写真は。。という方が多かった
気がします。
そりゃそうだ、「写真に撮られる」
そして「発表される」のは
「暴力的な行為でしかない」と自分でも思いますよ。
私も
「写真を撮りたいという気持ち」と
「本当に写真を撮っていいのか?」と(被写体の搾取になってない?)
いう相反する気持ちが自分の気持ちの中で揺れ動き、
悩んで思考停止してたり、
実際に親しい昔からの知人のある遺族に声をかけると
「いや写真はね。やっぱり。。」と
正直に断わられたりして、
かなり焦りました。。。
「どうにかして写真を撮ってもらえるような別のアプローチを
考えたほうがいいのか?」
とか考え始めたりして、
もう本末転倒なグルグル回る思考回路で
挙句の果てには「思考停止」になり
今自分は何をすればいいのか道を見失ってました。。。
正直いえば、記事が出た後でも全く1枚も撮れてませんでした。とほほ。
(その時に家庭内の事情もあったので制作よりも大変だったのもありますが。ただの言い訳ですよね)
写真表現者としてのエゴイズム
私は「相手を少しでも助けてあげられるんじゃないか」とか
「写真を使って喪失体験からの回復の助けをしたい」とか
ずっとそう思ってました。そしてそれができるのではないか?と。
でもそれって、
「ものすごい勘違いである」とやっと気がついたのです
今年の4月にFOTOZOFIO という写真のアートプロジェクトに
[20050810]が選ばれたのでkyotographieの開催中にそちらのイベントの
土田ヒロミさんのトークを聴きにいきました。
そこで土田さんは自分の作品の「ヒロシマ 1945-1979」という作品を紹介されていました。興味が出てきて、後で調べて見ると「ヒロシマ」の
写真集の序文にこの文章を見つけて
はっとしました。
序文の表題にはこうも書かれてました。
そう、「表現者としてのエゴイズム」でしかない
「相手を助ける」なんてカッコつけてんじゃねえよ 自分。
穴ほって自分が埋まりたくなりました。かっこ悪くて。
このプロジェクトで何をしようとしてるのか
そこで頭が冷静になり、
本来のこのプロジェクトの目的を整理してみました。
誰の眼にも隠されていないが誰の眼にも見えない
「不慮の事件や事故で子供を失った人」(範囲を変える可能性もアリ)は
その後の人生をどのように生きているのか。
死に物狂いで生きていると思う。私のように。
でもそれは、
「誰の眼にも隠されていないが誰の眼にも見えない」のではないか。
そんな死に物狂いで生きてる人を撮影したい。
それを作品として纏めることで社会に出すことで、
「事故や事件の残された被害者(親)はどうやって生きているのか」
そしてそれを知ることで
「生きる」ことについて
みんなに考えてほしいと思った。
たまにこんなふうに応援の為?声をかけてくれる方がいます、
「私だったら自分の子供が亡くなったら生きていけない」
(=あなたは素晴らしい。頑張っているという褒め言葉)
それに対しての「答え」としてちょっと
毒を社会に吐いてみたい思ったのもあります。
いなかった子にはしたくない
この新しいプロジェクトを撮ろうと思った時に、
参考にした?こんな作品を作りたいと思った写真集があります。
「ルワンダ ジェノサイドから生まれて」
この写真集のコンセプトの一つが確か、
これらの子供たちが「いなかった子」にされたくない。
というものがあったと思う。
その言葉にかなり衝撃を受けました。
これはかなり私たちのような「子供を失った親」にすると、
自分の親しい周りから、社会から、
不慮の事故で亡くなった子供たちの記憶は時間の経過とともに
どんどん消えていく。
これは10年経とうが、20年経とうが「昨日の話」である
親達にとっては
耐えられない事実なのだ。
生きている子供たちは、どんどん成長していき
いろんな不幸もあるにしろ、幸せもあるし「存在」しており
そして新しい「思い出」を作っていく。
ある時間軸からもうプッツリと時間が止まった
私達の子供達は
もう私たちがいなくなったら誰も話してくれないのだ。
それを残したいと思ったのです。
私の子供だけでなく、他の子供たちも。
ただ、単に「不幸や悲劇」の強要を相手にするのではなく。
「この子が生きていた」証を。
どこかに。
何かで。
私にできることはやろうと思いました。
最後に
基本的には、(かなり無謀なお願いですが)
あなたが無様でもかっこ悪くても
必死にあの事故の後で事件の後でも生きているのを撮影したいのです。
できれは、その子供が亡くなった
「できることなら逃げ出したい場所」の前で。
(その前に行くことで、逃げないで生きてるという事を見せたい)
まずはお話しを聞きに行こうと思います。いきなり写真は撮りません。
毎月どんどん撮れるものでないので、ゆっくりとのんびりやります。
気になった方は 下記が私の作品のHPですのでコンタクトフォームから
ご連絡ください。(どんな作品をとってるかもわかると思います)
twitter: @youtomama0307
facebook : https://www.facebook.com/yutomama0307
私の息子の事件はジャーナリスト(であり大学教授)の
猪熊弘子さんが本に書いてくれてます。
保育関係の教育の現場ではかなり読まれてるそうです。
私と夫と息子の名前は実名で書かれております。
今月一人目に会いにいけました。
このペースで行くとすぐに作品として発表できないので、
せめてあった記録と写真をnoteに載せようと考えてます。
(もちろん本人に承諾取れれば)
また書きます。
補足:
「誰の目にも隠されてないないが誰の目にも見えない」というテキストは
岸政彦さんの「断片的なものの社会学」の章の題名からとったものです。
ご本人にも「作品名で使っていいか」を許可をメールで取りました。