私にとってのユースワーク:津富 宏|ユースワークキャンプ2023 オープニングセッション②
自己紹介:法務教官→大学教員
よろしくお願いします。津富です。今日のようなことをですね、10年くらい前は想像がしづらかったんですが、ご存知の方はいると思うんですけど、今日彼も触れてますけど、静岡県立大学で、YECというサークルを、山本くんとか両角とかた鈴木平くんとか、あと、この場には現役の学生もいると思うんですが、10年以上前に、若者と関わってる学生団体同士の交流ができたらいいねと言って、多少はやってたんですけれども、今日は、それがもっと大きな形で実現したような気がします。僕は、そのYECの顧問でもありましたが、個人的な話として進めていきたいと思います。
まずちょっと宣伝したいと思います。最近作った、今日の話題と多少は関係するんですが、『コミュニティオーガナイジングの理論と実践』という本を出しました。静岡県立大学の学生さんの中で十分に食べ物が食べられないというか、十分な収入や時間がなくて、支援があったらいい学生さんのためには、県立大学の学生ボランティアセンターの学生さんたちが食べ物を隔週で配っています。この本には、このことを書きました。そのための募金を、静岡駅北口の地下広場で、今日もやっていると思います。学生とともに、コミュニティ・オーガナイジングをやって、人が助け合えるような状況をつくるということを、紹介もしてあります。あと、この取組とは別に、地域の大人と一緒にやってきた、青少年就労支援ネット静岡の活動から発展した沼津での市民活動についても書いてあります。ご興味があればと思います。
自分はユースワークをしてきたと思っていない
さてそうやって僕、うちの卒業生が呼んでくださってですね、ここにまた座ってるんですけども、僕が自分のことをユースワーカーだと思ったことはないんです。若者とは関わってきましたが、ユースワーカーですよねって言われたら、ちょっと違うと思います。とはいえ、ユースワークって概念はすごい大切だと思って、両角くんとかを焚き付けてユースワークを勉強してねって言ったわけですし、私自身も勉強しているんですが、私の考え方はユースワークとは何かっていうのを理解した上で、自分の実践はそれとどれだけ乖離してるかとか、ユースワークという考え方を自分の現場にどう生かすかっていうことを考えることがとても大切だというものです。だから、僕自身は、ユースワークが多様である言い方、実際にはいろんな現場があるっていう言い方が適切かもしれませんけど、そのような言い方はユースワークの本質を見失わせてしまうと思います。つまり、私自身は、ユースワークの本質っていうのはこういうものだと思っていて、それとの自分の実践のズレを考えたりとか、違う場なんだけどどう活かしたらいいっていうふうに考えるという感じです。つまり、ユースワークが多様である、確かに、それが適用しうる現場は多様かもしれないけど、ユースワークの本質が多様だとは思わないです。
少年院教官として身につけた若者と向き合う真摯さ
さて、僕の前の仕事は少年院の教官ですが、今僕が学生さんと関わったり、いろんな関わりをさせていただく上での基礎技能は全部、少年院の仕事を通じて身につけたと思います。若者とかかわる方々と一緒に接する機会はいろいろありますが、僕が最も尊敬してるのは、この、少年院の教官という職業集団です。例えば、先ほど就労支援の活動をしていると言いましたが、その支援の場でも、私と同僚だった少年院の教官をお呼びして、活動をしますが、圧倒的な真摯さと圧倒的なスキルを持っています。私自身は大した法務教官ではなく、ごくごく普通の教官だったんですが、この仕事を経験したことで、今となってすごく良かったと思っています。この仕事は、非常に権力関係が強い場ですので、支援・被支援関係をどうするかということを考え始めるきっかけとなりましたし、あとラベリングを強く貼られて社会に出ていく子どもたちなので、この社会を変えるための「弱者連帯」という概念についても考えるきっかけになりました。この仕事を19年間やりました。
静岡県立大学に転職をして、目の前に学生さんがいっぱいいて、一番僕が驚いたのは、女子学生がいるってことでした。少年院の職場は、男子の少年しかいなかったので、すごく驚きました。この県立大学で、何かこういうことをしたいねっていうふうに言ってくれる学生さんたちがいて、両角さんもそのひとりですけれども、そうした学生さんたちと、いろいろな学生サークルを立ち上げ、その後一緒にやっていこうということで顧問をさせていただくということを繰り返してきました。潰れてしまったサークルもたくさんありますが、今も続いてるサークルもあって、YECもその一つです。あと、学外では、市民活動をいろいろやってきました。最初は、就労支援団体、次に、早く理事長をやめましたけど少年院出身者の当事者団体、そのあと、事実上学生団体ですけども、静岡市内で学習支援を担ってる団体の代表理事などをさせていただいております。
ユースワークとの出会い
さて、ユースワークとの話がだんだん近づいてくるんですけども、この二つの授業がきっかけではないかと思っています。人権に関する授業では、今日ここにいる山本くんも『あなた自身の社会』を読んだと思うんですけれど、これは、スウェーデンの社会科教科書を使いました。あとキャリア形成概論では、宮本みち子さんの『若者が社会的弱者に転落する』を使いました。その宮本先生がスウェーデンの若者の社会参加に関心を持っていることに気づいて、宮本先生と一緒に勉強したいなと思って、宮本先生の講演会に参加しているうちに、科研に入れていただきました。その宮本先生とのご縁があって、ここにいる2人(両角と山本)が最初にスウェーデンに行ったのは、宮本先生がスーパーバイザー的に同行されたライツのスタディツアーです。僕自身は犯罪学の研究者ですが、毎年、犯罪学者がストックホルムで集まるシンポジウムがあるのですが、そこでは、ストックホルム犯罪学賞という賞をだすのですが、その審査員として毎年スウェーデンに行くようになったんです。
しかし、会議だけをやって帰ってくるだけではつまらないので、スタディビジットをするということを、2004年頃からずっと毎年やっています。ユースセンターに初めて行ったのは2007年宮本科研です。フィンランドのユースセンターに行きました。いくつかのユースセンターに行ったんですが、一番印象に残ってるのは、女の子たちが中心の利用者が多いところで、「利用してる子たちが、スタッフを選ぶんだよ」って言われました。ある程度は選ばれてプールされた中から、この人がいいって選ぶんだと思うのですが、僕はすごくびっくりしました。さきほど、少年院で働きながら支援・被支援関係が気になっていたと言いましたが、フィンランドではこういうことをするんだ、できるんだって知ったのです。こうして、ユースセンターっていうものを知ったので、その翌年あたりから、ユースセンターにたくさん行きはじめました。その後、両角君がスウェーデンに行ってからは、両角くんとも行きました。スウェーデンの民間ユースセンター、フリースヒューセットに行ったのが2008年です。ストリートバスケットをやってる子どもたちに、フリースヒュ―セットのリーダー、もうお亡くなりになったんですが、アンダーシュ・カールベリィさんが声を掛けて、オーガナイズするところから始まる歴史を聞きました。すごいユースワークですよね。そのお話を聞いてすごく感銘を受けました。
ユースワークを理解した時
僕自身がユースワークとはなにかを直感的に理解できたのは、2009年にヨーテボリに行って、現地の団地に連れていってもらったときです。団地は、貧しい人たちが住みますから、移民の子が多いんです。夏休みになると、彼らはバカンスになんか行けないから、団地に残って悪さをするわけです。日本では想像できませんが、暇つぶしに車に火をつけちゃったりします。そこで、そういう子たちをオーガナイズして、一緒に勉強したり、みんなが好きなように公園をリプランニングしようという活動をしている人に会いました。結局、公園はフットサル場にリノベーションされたんですが、これを担当していた人がユースワーカーだって知ったんですよね。その人は、住宅供給公社みたいなところに雇われて夏休みの活動を組織していたんですが、その人の持ってるスキルとか態度とかを見て、これは僕らが少年院の教官として身に着けたものと同じだって思ったんです。こうして、私は、ユースワーカーっていう人、ユースワークを直感的に理解しました。
2011年には、ルンドの若者議会に行って、そこは非常に大きな仕組みだったんですが、いろんな分科会というかクラブ活動みたいなのがあって、街中で遊びを考えるグループとか、フェアトレードのグループなどがあり、総会でそこにお金を割り振るっていうのをやっているのを見ました。これもすごく感心しました。こういった取り組みは北欧を中心に学びましたが、結局、数カ国のユースセンターに行きました。
僕の中では、ユースワークとは民主主義に基づく余暇活動の支援だと思っています。ユースワークのこの特徴はとても大事だと思うのですが、日本には余暇もなければ民主主義もありません。と言いつつ、だからこそ、一層、日本にとって、ユースワークは大事だと思っています。最近は埼玉県で子どもを家で留守番させると罰則があるとかいう条例ができたと聞きました(のち、撤回されました)が、若者を管理しないこと、そういう場所を社会の側が若者の権利保障として提供することにはすごく意味があります。大人による評価がないとか、大人が方向づけないとか、極端には褒めないけど別に好きなことやるんだから応援するよとか、そういう状況を整えるのがユースワークだと思います。
ユースワークとは違うもの
ユースワークって似てるけど違うなと僕が思うのは、例えば若者参加自体はいいことだけれども、日本でよくいう、社会参加とかまちづくりって違うなと思います。例えば、行政が場を用意して、意見を言うといった場ですね。大人に褒められること、特に、大人から評価されることにつながっていたり、入試に役立つことにつながっていたりとかですね。日本だと、そんな場が多いと思います。場を用意する側も社会からの評価を期待していたりとか。スウェーデンでそんなことまったくないもんですね。若者が住みやすいまち、若者が暮らしやすいまち、例えば、若者したいことができるまちをつくるっていう意味での社会参加は、スウェーデンではいっぱいありますけど、それは、民主主義の実現であって、他者(大人)からの評価を求めるようなものではまったくないと思います。自由にやって、むしろ、大人の意向と反することもある。
私(たち)がやっている就労支援、静岡方式の就労支援と言っていますが、就労支援は余暇活動支援ではありませんから、どう考えても、ユースワークではありません。静岡方式の就労支援は、徹底したストレングスモデルで、徹底した本人中心主義で支援をしていますが、それはユースワークではありません。だから、これをユースワークだと思ったことはないです。
孤立の時代にユースワークができることは何か
これは、アメリカからスウェーデンに移った研究者のペストフが社会を表現した図です。社会は、国家、家政、市場で支えられてるっていう図ですが、皆さんも、この3つのうちのどこかから、資源というか、食いぶちを得てきていると思います。私の場合は、公立大学からお金をもらって生きているので再配分から食いぶちを得ているわけです。
問題はですね、新自由主義下、特に、不況下の日本では、市場も国家も家族(家政)も痩せ細って孤立してる人が増えているということです。私の理解では、ユースワークのルーツは古いものの、現在普及しているユースワークは(フリースヒュ―セットもそうですが)高度成長期に若者たちの余暇時間が拡大したことに伴って、その支援として発達したものですから、新自由主義下の、この新しい状況、孤立の時代に、ユースワークが何かできるかっていうことが今、問われていると思っています。
やはり、ユースワークの基盤は、リベラルデモクラシーですよね。スウェーデンでいえば社会民主党です。その社会民主党が作った仕組みであるユースワークが、そのよき本質を今の時代にどういうふうに適応させていくのか、この問いがまさに問われているのだと思います。
私は、ユースワークとは、先ほど申し上げたように、余暇の拡大を通じた自主空間の獲得の支援、そしてその、新しい自治空間を拡張して社会を作り直していく活動だと思っています。最初に、コミュニティ・オーガナイジングの本をお見せしましたが、ユースワーカーを、コミュニティ・オーガナイザーとして、(自由の拡大する方向へと)地域を再組織化する存在として位置付けていくことが大事ではないかと思っています。
ユースワークキャンプへの期待
今日への期待ですけど、やっぱりユースワークって何だろうということは、もっともっと考えた方がいいと思っています。新自由主義的文脈に何もかも置かれがちな、別の言い方をすれば、何もかも金銭価値に換算されがちな今の時代、特に今の日本においてユースワークって、どんな意義を持つんだろうって、いっぱい考える必要があると思っています。
この場には、ユースワークに関心を持つ人たちが集っているので、ユースワークの本質を出発点に、何らかの文化を形成して、その文化が社会を変容させていくとそういうきっかけになればいいなと思います。よろしくお願いします。