硬め・普通・普通・ネギ抜きで
皆さんがどうかまでは知るよしはないが、俺は1食で1万円弱もするような高いご飯よりも1食600~800円ぐらいのラーメン屋だとか、肉丼屋の方が好みである。ここだけだと、木の上に生っているブドウを獲得することが出来ないためにあのブドウは酸っぱい等とほざくキツネの如く、俺に金が無さすぎるためにそのような高い飯を食べることが出来ないから、自分の懐事情で手の届く飯の方を愛好していると勘違いされそうだが、その予測は残念ながら不正解と言える。まあ、金が無いのは周知の事実であるため今さら否定する気はないが、俺は過去に高い飯を食べたこともあるし、めちゃくちゃ安い飯はその100万倍は食べている。それを踏まえて、冒頭の記述を22年間生きた上での結論として提起している。
もっと言うと、ゴミ1つ落ちていない小綺麗な店より、下手したら滑る程度に床が汚く各テーブルに1つずつ箱ティッシュが鎮座している店の方が好きである。これに関しては自分でも理由がよく分からない。絶対に小綺麗な店の方が店としての偏差値は高いのに、俺は店として偏差値がFランクラスであろう店ばかりを愛好している。その他にも、店員が常に臨戦態勢で厳格な店長のもとバイト達が勤務している店よりも、客がいないときは明らかに厨房でスマホをいじっている程度の従業員しかいない店の方が好感を覚えるし、呼んだらすぐに従業員が馳せ参じるような店よりも、三回ぐらい呼んでやっと従業員が嫌々ながら出てくるような店の方が好きだ。
理由として考えられるのは、逆張り精神等ではなく、そのような店の方が客として行くのに気軽であるからという点が挙げられる。もちろん高級な店で食べる高級な飯の方が美味しいのは明らかなのだが、そのような店に行くと常に姿勢を正していないと何者かにシバかれるような気がしてビクついてしまうし、食事中にでかい声で話そうものなら追加料金をとられやしないかと震えてしまう。そのような店よりも、飯を食い終わった後何時間も気軽に居座れるような店の方が好きだし、次も出向こうと思える。
結局のところ、下手に客のことを尊重して扱うような店だと、自分も客としてふさわしい振る舞い立場をわきまえながら行動しないといけないように感じてしまい、気疲れしてしまう。それならば客をたかが飯を食いに来るだけの存在と雑に扱う店の方が、此方の方も店を雑に扱えるから気楽にいられる。冒頭で肉丼屋やラーメン屋を例に挙げたが、その他には居酒屋や定食屋・インドカレー屋の中にも該当する店が多いように思える。また、そのような店には個人的によく行っている店も多い。
今回は店を例に挙げたが、対人関係・友人関係にも同じことが言える。もちろん、お互いに高め合える関係の素晴らしさは言うまでもないが、会ったときに気楽に近況や下世話な話を話し合えるような相手の方が好きだし、そのような相手ばかりを友人としている気がする。そのような関係性を馴れ合いと批判する向きもあるだろうが、せっかく金を払って休日や暇なときに会っているのだから、楽しめる相手や休まる相手といたいと願うことは間違っているだろうか。それにそのような相手が頑張っているのを実感したときや、何かを成し遂げたときは自分もできる範囲で何かをしようと思えるし、結果的に高め合えているような気もする。
いやに真面目な話をしてしまっているような気がする、真面目な話ばかりをするようになったら自分が老害になったサインであると誰かが言っていた気がする、という訳でこれからはバカな話だけをしようと思う。とりあえず次は全力でうんこの話とかしようかな。俺は前日に何も食っていないときもめちゃくちゃ快便なので等価交換の原則を完全に無視しているような気がする。これは最早真理の扉を過去に開いた経験があると言っても差し支えないだろう。しかもエドワード・エルリック氏はわざわざ両手を合わせないと錬成が出来ないが、俺は括約筋に力を入れるだけでめちゃくちゃうんこを錬成できる。この点において俺はエルリック兄弟を越えているといっても過言ではないだろう。わざわざ列車内で資料をまとめることやニーナとアレキサンダーを錬成することなく、俺は審査員達の前でうんこをするだけで査定を突破することができる。つまり俺は国家に認められた「うんこの錬金術師」なのである。つまり俺の就職先は国家であり、これからは国家に仕える錬金術師となることが確定している。俺もこれからはマスタング大佐に「うんこの。」とか言われるのかな、言われてえ~~~、マスタング大佐に「うんこの。」言われたいよ、誰か俺に査定受けさせて下さい、全身全霊でうんこします、うおおおおおおおおお!!!!!
house of loveとかテペッシュモードとかラーズとかポリスとかキュアーとか、あの辺りのUKロックって良いよね。