#歩見泉♨️ "MindFulness"11月29日(金)no.38
何事もない様に始まる本日
アナウンスは母国語の後に
公用語に変換されて耳に届く
同じ様なServiceを外に行けば
我々日本人はされるのだろうかという
疑問が浮かび上がり
この場所には外国の方はいないな等と
普段しない様な感想を始める
米国語?英国語?
ネイティブに触れる事が限りなく少ない過去は
なるようにはならなかったかと
一時的には口を紡ぐ
時間を気にしながらの目的地への道は
遠く感じているのだろうか?
ただ一直線に目的地に着くので有れば
回数は減らせる
休憩の分割はないにこしたことはなく
本当にその時間に"憩い"に充てられるかが
実はミソだったりする
止まると進むを人は知ることになるのだろう
味噌汁は家庭の味が出るという
簡単に味の素のホンダシを入れて
鰹粉末のような
見た目のイメージの味覚もあるのだろう
我が家だって
父は
じゃがいもを入れるので
舌触りが汁に移ってる気がするし
母は
汁物にこだわりが薄いからなのか
薄口な事が多く
その上で葱を入れたりミョウガを入れたり
生姜を刻んでみたりして薬味の印象が強い
こういう習慣が
料亭で味わう汁物に一目をおくようになっていて
ただ佇みたいなどと心を露わにする
日常的な照明なのかもしれない
こんな風に目を擦っている日常生活にいる
一生懸命な君が
歩みの一歩だったりする