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#考古学のエスカレター "MindFulness"1月22日(水)no.58

あたりまえにある進行に
只ぞろぞろ並んでいるのかな?

なんてさ、何もなければ進みたくないもの

時代の喧騒に流されて順序よく縦長の
エスカレーターに乗ってみる
主電源はみんなの収まりきらない
元気なのだとしたらまた其れも
僕にとったら一考で

休暇なんて少なくともある筈なのだけれど
社会というのは渓谷に沈んだとしても
また登ってこないとならないし
人の姿をみてまた被害的に社会を知ってしまう

あの本読んでみたいとか
何も考えないで
(時間という概念がない世界で)
ただひたすら都会を忘れたい
なんてのは
少なくとも常日頃を片隅に置きつつ
したいがなかなか追いやられる

創作物に暮れるのは
心の修復ではあった様な鑑みは
もちろんあるんだよと。

僕自身そんな人生の大忘却を
自らの責任感を妄想に重ねて逃げるという
そんな大迷惑な過去があるからなのだけれど
それにしても島と島への橋渡しへの
一歩にならないのは
世間以上に自分への被害妄想ではあった

景色は変わらない
冬は何時も気分が落ちていた気がする

己の考え事は転換しないと
前向きにはならないなのだとしたら
その時も救ったのは我儘に
興味を深くする事には順序の先にあった

何が辛かったのだろうとしたら
無の境地なんて
病床でしか味わえない

小学生の時脚を骨折し入院をし
只修復の為に時間を流していた
その冬に珍しく雪が降っており
同じ角度から観る窓からの景色に
いつもとは違う時間の流れを味わっていた
今現在うっすら画像が浮かんでいる証明である

鬱や不安障害の
メンタルヘルスからの寛解にあたっていた
部屋の陰湿な時間とは違う
公認の時間の経過はそれぐらいしかない
(もちろん寛解にあたり
医者からは休んでくださいとは言われます)
 
そんな空気が密閉されて汚い様な連想である
寂しい日々があったからこそ
人としての真髄には計っている様な
気はしているのだけれど
人としての振れ幅なんて振れるにしても
承認主義にはかわりない

その日々は承認されたくはない
忘れてるからこそ
いつ覚えたかわからない時間の格闘技がある

改めて言語化への執念を恩恵を
剥けに利用はしているのだけれど
リセット出来たのは唯一の
言い訳だったのかもしれない

何がこうなって吸収していたのかは
理解し難いのだけれども

そう云う無鉄砲に自己を辿ってしまう人は
もう用意されてるのだと
そんな苦しい言い訳にはしたいです

って誰かが言ってます


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