新護憲神奈川 主体的平和戦略⑧
<国連の実力向上への日本の貢献>
① 憲法9条の精神の浸透とアメリカとの距離の変更
前号では、日米安保によるアメリカへの従属関係を断ち切ることの重要性と東アジア諸国とりわけ、中国、朝鮮民主主義人民共和国との平和友好条約の実質的内容を築くための外交政策上の努力の重要性を訴えた。
私は中国、共和国に接近してアメリカと敵対関係になれとは主張していない。日米安保を廃棄したら、日本の国防(安全保障)は不可能だと考えている人たちに対し、日米安保の呪縛によって日本がアメリカにどれだけ収奪されてきたか、しかも、現在は米中対決の先兵として利用されているという現実をしっかり認識して欲しいと思う。
アメリカとの従属関係を断ち切ることは不可能だと思い込んでいる人たちに訴えたい。
近代500年の覇権国家を単純モデル化すると
<覇権国> <挑戦国> <時代名>
16世紀 スペイン ポルトガル 大航海時代
17世紀 オランダ フランス 30年戦争の時代
18世紀 イギリスⅠ フランス パクス・ブルタニカⅠ
19世紀 イギリスⅡ ドイツ パクス・ブルタニカⅡ
20世紀 アメリカⅠ ソ連 パクス・アメリカーナⅠ
21世紀 アメリカ(?) 中国(?)パクス・アメリカーナⅡ(?)
*「NEXT 教科書シリーズ国際関係論(弘文堂) p.17より」
現実にアメリカは、グローバリズム、金融資本主義の行き詰まりの上に、中国、BRICSなどの台頭で、覇権国としての地位を追い込まれている。ドル基軸通貨体制も危ういし、軍事科学の進展によって、兵器の破壊力が増大し、際限のない軍事費の増加で国家財政の危機を迎えている。
衰退しつつあるから、アメリカ従属を断ち切れと言っているのではなく、このような世界情勢を認識したうえで、日本が自立的に行動する努力をすべきだと言っているのである。そして、日本の平和、世界の平和に貢献できる道を探るべきである。
まずは、東アジア諸国との平和友好条約、相互不可侵条約の実質的な内容を実現するために、日米安保による米軍基地の存在が障害であることを明確にして、アメリカと真正面から交渉すべきである。少なくともその姿勢を堅持して外交を進めるべきである。
21世紀はじめの今日、私たちの人類の課題は多々あるが、アメリカの次の覇権国家がどこになるかではなく、曲がりなりにも国際的な連帯を構築するための組織を模索してきた国連をより人類の平和的共存を実現するための組織へと発展させることである。
第2次世界大戦終了後、戦勝国の主導で国際連合が設立された。その後、国連の提唱で多くの理念・提言が示され効果をあげてきたと言える。心ある先人・先進的国家の努力が実質的成果をあげてきたといえる。
しかし、「戦争をさせない力」は残念ながらまだまだ微力である。安全保障常任理事国間の牽制力は皆無ではないが、これらの国の姿勢で事態が動くことが多く、戦争の絶えない現実が続いている。
国連に加盟している国々がそれぞれの国の「国益」を前提にしているのだから、少々の小競り合いはやむを得ないと思うが、世界あるいは特定地域を混乱状態に追い込むことは避けなければならないはずである。
ところが、国力・戦力が強い国が弱い国を陥れ、収奪してきた例は多い。多くの場合は、自国の「国益」を損なう恐れがあるという理由である。
先日、韓国が次期安全保障非常任理事国(改選5カ国の中の一つとして)に選出されたという報道があった。しかし、その報道の直後のコメントが酷い。現在非常任理事国の日本と、常任理事国のアメリカと3カ国が協力すれば、中国・共和国を牽制する力になるので期待しているという代物である。
これこそが、日本の発想(報道主流、政府的姿勢)である。日本の国連に対する最大の問題であると思う。
かつては、「女性差別撤廃条約」の批准を決めた市川房江さんの闘い、国会では国連調査のジェンダーギャップ指数世界140位以下の現実に立って、民主党政府時代に成立させた「男女雇用機会均等法」(差別撤廃について不十分な面もあるかもしれないが)の実例があるように、「国連」の精神を活かす過程で改善されたこともある。にもかかわらず、2023年6月の入管難民法「改正」案が強行採決されてしまうほど、人権感覚の遅れている政府が存在しているのが日本の現実である。
戦争抑止に力を発揮できない国連だが、「世界」に貢献している多くの利点を各国が活かし、民主的な国際連帯を創る「力」としての実力向上を目指すべきである。その観点からも日本の努力は重要である。
少し話題がそれるようだが、国連に対する見方として他の例を挙げたい。
プーチンがウクライナの東部と南部の4州を併合したのが2022年9月
30日。4州はそれぞれ自治共和国を名乗った。これに対し10月12日の国連総会で非難決議があって、143カ国が賛成、中国・インド等35カ国が棄権。反対はロシア他4カ国であった。
国連総会でロシア非難決議は4つ目だった。しかし、これらは何の実行力(強制力、軍事行動)を伴うものではなく、努力目標のようなもので最後通牒ではない。最後通牒(通告)であるならば以下の措置が取られる。
「世界が破壊される前に日本に何ができるか」(孫崎享・副島隆彦著 徳間書店)での副島さんの指摘では、「この国際社会の命令に従わない時は、国連憲章第48条を適用して、直接の軍事力(PKO:ピース・キーピング・オペレーション 平和維持活動、強制執行)で排除する」。「この総会あるいは安全保障理事会の決定を履行するための強制力(軍事力)を行使するのは実際上、常任理事国(アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国)である。従って拒否権行使でこの決議は通告にしかならない」。
さらに彼は、「『The United Nations』を『国際連合』と訳すのは誤りで、正しくは『連合諸国』であり、むき出しの大国政治である」とも指摘している。
私も「大国だけが世界政治を決める」現実を「みんなで決める」と勘違いしてはいけない、と思う。これは副島隆彦さんの師である小室直樹さんの言でもある。国連改革が叫ばれる理由である。
アメリカがイラク戦争やアフガニスタン戦争で一般市民を殺害している問題を日本人の多くは無視して何も騒がない。国際刑事裁判所があってもアメリカ人は捕まらない。一般的には、今の国際秩序はダブルスタンダードと言われるが、孫崎享さんは、「国際刑事裁判所がダブルスタンダードなのではなく、国際秩序とはアメリカに隷属するための規定であって、アメリカは国際秩序とは関係ない」と言い切っている。
国連に対する肯定的評価と否定的評価を同時に書いたので混乱しているように見えたかもしれないが、私は否定的側面を自覚した上でも、アメリカ従属の日本を終わらせるために、国連をもっと活用すべきである。日本単独で画期的なことをやれ(と言っても出来るわけではないが)というのではなく、日本国憲法を活かし、世界に通用する日本を築くために、私たちが肯定できる国連の宣言、各種条約をフルに使うべである。
第2次世界大戦後に戦争を絶対悪と規定し、平和な世界を築くことを目指して、多くの国が努力してきた側面を今後の人類のために活かしていくべきだと考える。
よく引用されるが、次の憲法前文は国連の精神と重なっていると思う。
「日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のため、諸国民との協和による成果とわが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その権利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏を免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いずれの国家も、自国のみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信じる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」。
このような前文を持つ日本国憲法を前提に、9条の精神を国連の中に浸透させる努力を、自らの国をこれに近づける努力と重ねること、同時にアメリカとの距離を改善していくことがこれからの日本の安全保障政策として大切であることを、私はこの稿で訴えたかったのである。