主体的平和戦略 ⑩ 最終回 ー自衛隊の縮小と日米安保解消ー
6.日本の政治状況変革のために
松原博
2023年11月8、9日に毎日新聞が実施した全国世論調査では、岸田内閣の支持率が2 1 % 不支持率が74 %だったそうだ。
「政治状況を変える」ということは、こういう世情の中で、内閣を倒し、自民・公明の政権を倒し、野党連立政権を樹立することだと考えがちな市民がかなり多いと思う。
神奈川県では、衆議院議員18選挙区に野党共鬪の連立政権を目指して市民連絡会が創られた。今も月一で定例会がもたれ、積極的に情報交換をはじめ、討論・検討を進めている。私は物理的な事情で2年前から離れてしまったが、離れてみて、気づくこともあった。
私は神奈川6区在住だったので、「ロックの会」の立ち上げに協力して、立憲民主党の青柳陽一郎氏の当選を勝ち取った。それでも、苦々しい思いが残っている。
ロックの会を立ち上げたのは、大雑把に言って、革新懇、日本婦人の会などで日常的に活動している共産党支持者、政党の周辺で行動している社民党支持者・立憲民主党支持者、政党支持にこだわらず自立的な運動を実践している市民グループの面々である。もちろん、このような人たちの声かけで協力・恊働しようという有志も少なからずいた。
そして、私たちのぼんやりとした一致点は、自公政権を倒して「革新」共闘の政権を実現することであった。共産党の周辺で活動している人たちと社民・立民支持の労組員&旧活動家の繋ぎに市民運動の担い手であると自負する私たちがいたことになる。
そのようなメンバーと青柳選挙事務所に、推薦条件について話し合いに行った。
その時に、「日米安保条約をどう考えているか。どう改編しようとしているのか。」という質問をした。いくつかのやりとりのあと、青柳氏は、質問に答えるのではなく私に向かって、「このことについては、あなたと議論するつもりはない。基本的に違うのだから、いくら議論しても折り合うことはない。今後、この件は一切、俎上の載せたくない」
ときっぱり言い切った。
自公を倒すためだから多少の違いは目をつぶって、今は共闘すべきである、という雰囲気の中で、「私たちは安全保障問題について議論を深め、日本の近い将来をどうするのか共に考えるべきである」という立場は曖昧化され、選挙の大きな流れの中に呑み込まれて行った。
神奈川1 8区の市民連絡会の中には、共産党とは共闘出来ないと言い切る人が少なからずいる。それに対して共産党支持の人たちは動員を強め、数の力で対抗しようとした。
市民運動に重点をおいているグループが主導権をもった選挙区では、新しい試みとして党派にこだわらない学者の講演会や政局でなく、日本の進路・今後の政治的方向性についての討論会等を組織した。
しかし、ここ数年の結果は現状のような議員構成になっている。衆参両院で憲法改正派が共に3分の2を超えているという異常事態が続いている。
私にとって苦々しいのは、選挙で逆転できなかったということではなく、選挙運動・活動を通して、私たちの側の打ち出す主張が明確にできず、一般に言う「国民のための政治を!」に留まっていて、与党を圧倒する主義・主張として鮮明に出来なかったことである。
選挙運動・闘争を通して、私たちの側が鍛えられ、今後の日本の政治的方向性として与党に対峙出来る内容を構築
し共有出来ない限り、余程の客観的変化の大きな影響がなければ現状は変革出来ない。
50年を超える労働運動、市民運動を実践してきて、今振り返ると、私(たち)なりに多くの試みをしてきたと思う。
時局のテーマについての「学習会」「討論会」「講演会」…
街頭での「よびかけ」「主張の訴え」「対話」「シール投票」「署名集め」…
他グループとの「共闘」「共同主催」「諸組織との団体交渉」…
大集会・抗議行動(国会前、首相官邸前、外国大使館前、諸企業本社前、米軍基地、県庁・市庁舎前…)
現闘争の支援活動:沖縄・横須賀・厚木基地…
学生への働きかけ:教授を介しての対話、校門前でのチラシ配布・呼びかけ行動、学園祭への参加
マスコミ対応:新聞・雑誌等への投稿、記者会見、記者との連携…
政党・政治家との意見交換:議員会館の活用、政党本部・支部での対話・討論、立会演説への協力、諸カンパ…
多くの実践の中で、その都度励まされたこともあり、落胆させられたこともある。しかし、実践を拡げて行く中で、いろいろな分野・立場で自立的主体的に活動している多くの市民の実体を見てきた。それぞれの活動内容や主張について相互批判はあったが、それは当然あっていい。大切なのは協力し合い、共同行動をとりつつ、屈辱的な現実に直面して、それをはね返すエネルギーを共有することであって、それが出来たことは大きな財産である。
当面、私たち市民運動として闘わなければならない課題は数多くある。そして、それぞれの個々の闘いは貴重である。自主的主体的な闘い・活動を持続しつつということが前提だが、日本が憲法9条に基づく平和国家を実現させるための「平和戦略」についての共通の認識を形成するための共通のテーブルを創るべきだと私は思う。
今まで私が書いてきたような考えに近い構想をもっている個人・グループ・組織が多々ある。全面的な一致などはあり得ないが、日米安保解消、自衛隊縮小・廃止に向けた基本的な一致点を探り、自立した平和国家として存立出来るような素地を創ることが急務である。
前段で触れた青柳氏は今や立民の神奈川県連代表だと聞いたが、立民の綱領の(キ) は、市民運動の側から問題にすべきである。
「綱領」(キ)世界の平和と繁栄への貢献
表題には贊成だが、最初の3行は絶対に認めるわけにはいかない。
それは「私たちは、国際協調と専守防衛を貫き、現実的な安全保障や外交政策を推進します。私たちは、健全な日米同盟を軸に、アジア太平洋地域とりわけ近隣諸国をはじめとする世界の国々との連携を強化します。」
日米同盟を基軸とするから、近隣諸国と連携出来ないのが現実ではないのか!日米安保を解消し、自衛隊を縮小・廃止してこそ、「世界の平和と繁栄への貢献」が可能になると私は考えている。
社民党内部では専守防衛を逸脱した自衛隊は容認出来ないという方向に進んでいると聞く。ともかく、政党内論議をもっと広く「国民的論議の場」に引きずり出し、市民運動の側から積極的な関与をして、政治的課題としていくべきである。選挙等はその結果として投影される。
貴重にして重要な議論を国民的規模で創り出していくしか、「日本の政治状況の変革」はなし得ないと今は思う。
私が大学に入学したのは1960年。鬱屈とした高校生活を終え、いろいろな活動に積極的に取り組もうと思い「硬式野球部」と「児童文化研究部」に同時入部した。家庭教師も3軒持って、忙しい日々となり充実した毎日を送るつもりだったが、60年安保闘争が最終局面に入っていて、授業・サークル活動などより、みんなで国会へ抗議デモに出かけ、口角泡を飛ばして論議しあう毎日であった。
歌の下手糞な私も「インターナショナル」「国際学連の歌」「ロシア民謡」などを仲間と歌った。その中で、今でも印象深く残っている歌に「若者よ」がある。
曲名も歌詞も曖昧だが、私の記憶では
若者よ!体を鍛えておけ 美しい心が逞しい体に
辛くも支えられる日がいつかは来る
その日のために体を鍛えておけ 若者よ!
その後の私の生き様の中で
人間が生きる糧としての衣食住、諸思想・科学・学問・芸術・芸能・スポーツ・旅行・遊興・etc etc 各人が必要とするものは、それなりに確保・充足・享受できる社会を創るという志を「美しい心」、そのための思想形成の努力や日常的な社会への働きかけや自己・仲間への問いかけ・鍛錬・向上心等を「逞しい体」と思い込むようになった。必要に応じて、ものが充足出来、裕福は人間関係を志す社会を創るために体を鍛える運動を続けていきたいと、老骨に鞭打っていくつもりである。私は82歳になっても「若者」のつもりである。共に「若者」の気持ちで頑張ろう!
追記:私の問題提起はこれで一区切りつけたつもりである。近い将来には公開討論の場を作りたいというのが願望だが、いい知恵があったら教えてください。