小学生で夢みた 「沖縄」 遠まわりしながら見つけた景色
「僕は沖縄で気象予報士になりたい」
新潟県生まれのわたしは、当時夢をみていたのは沖縄でのなめらかな暮らしではなく、台風で困っている人を助けたい。幼い頃に、テレビで流れるヒーローたちに憧れた気持ちがあったかもしれない。
根本は変わらないし、大人になった私はアベンジャーズが好きだしね。とはいえ、恥ずかしいながら小学校6年生に書いた卒業文集の隅っこにポツンと「気象予報士」と書いていた。他の友人といえば
警察官になりたい。
パティシエになりたい。
あの知人たちは、どんな思いを抱きながら卒業文集に夢を書いたのかなと、当時を振りかえながら...それは無粋。
あれから20年経った今、32歳を迎えたわたしはひょんなことに沖縄にいるから驚きだ。
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農家とタクシードライバーで働く父親の姿のそばで育ってきた。だから、いつもそばにいたのはおじいちゃんとおばあちゃん、そして母親とテレビ。
だから、キャッチボールではなくテレビっ子の私。実家の近くには、コンビニがなく田んぼしかない。きっと人口も約200人しかいない。
どんな人が住んで、どんな暮らし方がわかるぐらい狭い地域だった。遊具が揃っている公園や遊び場も少ない、だから学校が終わるとそそくさと家に帰ってテレビをつける。
そして、夕方に流れる天気予報ニュースから寝るまで、テレビを観るのがマイ・ルーティングだった。
夏といえば、両親と遊べる機会がグーンと増えるからわたしにとって記憶が残っている。そして、夏のお知らせのように伝わってくるのが「台風」、まさに一足早い虫のお知らせ。(2019年の今の沖縄も台風が来るのは同じ)
テレビっ子のわたしは2日に1回家族が全員揃うときに「いただきます!」と掛け声とともにご飯を食べながら、父親が飲むキリンビールを横目に天気予報を観る。そんな温かなひとときが記憶から離れることはなかった。
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新しい時代を迎えた2019年。今年で早6年目を迎える沖縄移住とその暮らしのきっかけは天気予報士になったから……。
と言いたいところだが、残念ながらそうではない。
そんな夢をこれから勉強して叶えることはできない、と思う。でも、わたしが見ている景色は、そんな悲観的ではない。
たとえ気象予報士になれなくとも、沖縄に住んでいたら気象予報士と出会える。天気の仕事をしていなくても、台風災害についての開発する人とも出会える。
20年前のわたしは、きっと自分で気象予報士になって、すべて解決しないといけないと思っていたけれども、世の中はもっとゆるやかだと思う。
きっとこの夏は、もっと遠回りをしながらも、また自分の夢を応援できる人たちがみつかると思うと、また夢の先につながっている。
沖縄なら、絶妙な地域の狭さなら叶えることができるのだろう。