よく聞こえないのだけど、恵まれた人生

先日、ある場所で「以前職場が一緒だった人」と会いました。

8年ぶりくらい?

まず、名前が思い出せない。。。

顔は思い出せたのですけど。

よくないですね。こういうの。

結局、名前を思い出せないまま少し話をして、お別れしました。

8年間まったく連絡を取ることもなかったのに、ばったり遭遇してもこれといって何を話したらいいのか困ってしまうのですが、なんとなくお互いの近況などを少し話す感じで時は流れました。

そこで、ある発見がありましてね。

マスクをしていたから、っていうのと、社会通念的に大きな声で話す環境(場所)じゃない、っていうのがあって、「相手の話すことがほとんど聞き取れない」のです。。

正確にいうと、相手の話す文章の中で、聞き取れた音とそうじゃない音があって、単語として聞き取れる場合と、そうじゃない場合が生まれてしまっている感じです。

「多分、あの単語だよなあ」と会話の中で推測しながら聞いて、話して、ってやっているので緊張しっぱなしですし、何を話したかよく思い出せません。

相手は、変な表情を浮かべてはいなかったので気を遣ってくれたか、あるいは上手くやりとりできたのかもしれません。

すごく疲れました…。

2〜3分でしかなかったのに…

この発見によって、「かつてのような働き方は困難だな」と、薄々感じていたことが確信に変わりました。

今のボスには話してあって、私ができそうな環境で仕事をするのを容認してくれています。

素敵なボスたちです。ありがたい。感謝しかないです。

お店とかで接客されてもよく聞こえない。これは、自分が接客する方の立場でも同様だと思っています。

静かな環境で、マンツーマンのコミュニケーションなら問題ないのですけど、周りに音があったり、複数名を相手にしようとすると、拾えない音があるんですね。

聴力検査上は、「生活環境でよくある中音域の音」がかつてより聴こえにくいみたいです。

聴こえる音とそうじゃない音があると、会話の中で単語が落ちるんですよね。

全く聞こえないわけじゃないので、大きな音で話してくれたらいいか、というと、それはうるさいだけで逆に困ってしまいます。

聞こえないわけじゃないけど、完全には聞こえない。

これって、けっこう厄介な感じです。

だから、こういう体の状況でも生活できているのは、周りの配慮があってのことだし、特にボスたちやお仕事の仲間や家族には感謝ですね。

そして、こうして読んでくれる方や、文字でコミュニケーションしてくれる方も、私にはとても貴重な存在です。ありがとうございます。

文字なら、聞こえないことはないので。(見落とすことはあるかもですが…)

「ああ、やっぱりよく聞こえないんだあ」の体験を文字にしてみたら、恵まれた環境で生活できているなあ、と実感できました。

ありがたい。

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フクダヨウスケ
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