バレーボールが嫌いになりそうで辛い
高校時代に2年とちょっとだけだったけど、熱心にバレーボールに取り組んだ。
真剣に取り組んだ。
バレーボール部に入っただけなのだけど。
バレーボール部に入った決め手は「自分でもできそうだな」と思ったから。
中学生の時は野球部に入っていた。
下手くそだったので、面白くもなんともなかった。
その上、先輩は怖かったし、顧問も怖かった。
中学の野球部にいい思い出はない。
下手くそなのに、上達しないのに、続けていた。引退までやめなかった。
それは、父親が野球好きだったから。
私が野球をやっていると嬉しそうだったのだ。
兄弟3人いるけど、野球を選んだのは私だけだったのもあるかもしれない。
父が喜びそうだったから野球をやっていた。それだけだった。
自分自身としては好きなわけでもなかったけど好きになろうとはしていた。
けれど、好きでもなければ上達もしないので、好きになるわけでもなく時間は過ぎた。
同級生との時間は楽しかったのを覚えている。
けれど野球自体は観るのもやるのも好きではなかった。
他者を動機にやっていたのが野球だったのだ。
高校に入れば、絶対に野球以外をやるんだと決めてはいたものの、バスケやサッカーは中学からやってきた人になじめる気がしなかった。
私が入った高校のバレーボール部はどことなく緩い空気感があって、身長が伸びていた私は「自分でもできるんじゃないか?」と思えた。
中学時代にバレーボールをやってきたといっても、身長差こそモノをいうと思っていたから。
入部してそれは間違いだったと気付かされる。
中学からやってきた人は上手い。
身長差をなしにする技術を知っている。
やれやれ。
負けず嫌いなので、始めたからにはものにする、と頑張った2年とちょっとだったので、バレーボールというスポーツそのものに思い入れがある。
そんなバレーボールの国際試合がテレビで放送されていた。
この難しいタイミングでしかも東京で国際試合か。
バレーボールは好きだし、観てみようと思った。
緊急事態宣言がでている東京での試合だったからか、会場は無観客だった。
相手は世界ランキング1位の国。
なぜこのタイミングで、競合とやったのか?何かしら作戦があったのか。それとも、その国しか呼べなかったのか。
とにかく、試合は日本チームにいいところなく力負けの様子だった。
オリンピック前にこの状況で大丈夫か?と心配になった。
それはチーム状況ではない。
「盛り上がり」のことだ。
無観客で、一方的な負けゲーム。テレビからは全く盛り上がらない感じが伝わってきた。
オリンピックで日本チームが負けてはならない、なんて思わない。
けれど、「盛り上がり」ってあるだろう。
世界No1のチームにボコられる様子を見て、「オリンピックが楽しみだわあ」とは思えない。
それは「無観客」の影響が強いと思う。
サッカーでも無観客試合を観た。
その時は、盛り上がりに欠けながらも観客がいた時にはわからなかった「サッカーの隠れていた魅力」に気付けた。
ボールを蹴る音、選手同士の指示の声、ベンチからの声、体がぶつかる音、などなど。
歓声や歌声で消されていた魅力があって、それはそれで楽しめた。
しかし、無観客のバレーボールの試合を観たら、むしろ「メッキがはがされたな」と感じてしまった。
これまでのバレーボールの試合、特に国際試合は「過剰に装飾された」コンテンツになっていたのだろう。
そうしないと魅力的に見えないからか?
ということは、そもそもエンターテイメントとしての魅力は薄かったのか?
バレーボールが好きだっただけに色々残念だった。
そこに「オリンピックへの興味のなさ」が重なりうんざりした。
これ以上観ていたら、バレーボールを嫌いになっちゃうかもしれない。そのくらいがっかりしたので、観るのをやめた。
選手はこれっぽっちも悪くない。むしろ選手がかわいそう。
プロモートする協会。
伝えるメディア。
お金を動かす大人達のせいだろう。
観客がいた時と変わらず、かつてのヒーローシステムそのままに伝えようとするから、しらける。
バレーボールをつまらないスポーツのように映してしまうのはやめてほしい。
今回の企画が、どんなストーリーを描きたくて組まれたのかわからないけど、古い頭で古い人が動かすシステムやコンテンツは急速に「おもしろくなくなって」いる。
多くの分野で「生まれ変わり」が要求されているタイミングのようだ。
医療も教育もエンタメも科学も文化も。なにもかも。気づいた人だけ変わっていっているみたいだ。
そういう私はどうなのだろう??自分自身ではわかりにくい種類の話のようだ。