新しい生活様式が暮らしにくい 真珠腫性中耳炎手術治療日記 5年
3月9日 今日で手術から丸5年経過した。
相変わらず1年に1回の定期通院(経過観察)だけにしている。
時々、手術した右耳でガサガサとかメリメリみたいな何かがはがれるような音が聞こえる。
医師に聞いてみたが、鼓膜の近くで耳垢が動く音じゃないか?ということだった。
そうやって耳垢が動いて鼓膜から離れてくれれば、すでに形成されてしまったポケットに耳垢がとどまらず、真珠腫が形成されないで済む。
真珠種ができていないと良いけど。。。
5年経過したけど状況は良好とは言えない感じだ。
感覚的には「最悪」の状況とも言えない気がする。
自覚的には聴力は落ちている感じだ。だから良好とは言えない。
詳しくは聴力検査で数値化されれば確認できるはず。
その検査は6月なので、3ヶ月ほど先になる。
確定診断の元になるCT撮影も同日に行われる予定だ。
やれやれ。
聴力が落ちていることで、さしあたって生活に支障があるかどうかでいえば、「ある」。
このご時世、お店に行くと店員さんはだいたいマスクしている。
そして、距離をとっている。
そうじゃなければアクリルボードとかビニールのついたてみたいのを挟んで会話するような感じだ。
ただでさえ聞こえにくいのに、マスク&アクリルボードで「本当に聞こえにくい」。
聞こえる人たちは気にしないかもしれないけど、聞こえにくい私は相手の声が聞き取れなければ反射的に「え?」みたいな感じで自分の耳を相手の方に近づける。
考えてやっているというより、反射的だ。
パトカーを見たら何もしていないのにドキドキするようなあの感覚と同じ。
飛沫感染を防ぐために、距離をとって、マスクをして、アクリルボードを設置したことが、私にとっては「距離を詰める理由」になってしまうのだ。
やれやれ。
そういえば、病院で勤務している時、季節性インフルエンザが流行する時期になると予防のために職員はマスクをつけることが多かった。
しかし、マスクをつけた職員の声は難聴の高齢者には聞こえにくいみたい。
結局、難聴の高齢者の耳のそばにこちらの顔を近づけて、マスクを外して大きな声で話す職員が大勢いた。
仕方ないのだ。
仕方ないのだけど、「予防のためのマスクだよね・・・」と思う。
相手の顔の近くで大きな声って・・・。飛沫は?
構造的にそれに近い現象が現在の私にも起きている。
そういうのもあって、人とのコミュニケーションを避けるようになっていく。
聴力低下と認知症の進行の関係とか、視力低下と認知症進行の関係、といった研究報告がされているらしい。
大いにあり得る気がする。
コミュニケーションそのもの、あるいは外界との接触そのものを避けるようになったり、避けようとしていなくても、そういうことから自然と距離が生まれたりすれば、認知機能には変化が現れるだろう。
話していないと話せなくなるのは、大いに経験している。きっと認知症に向かっている。
「片方の耳が聞こえにくいだけじゃん」と自分では軽く考えていたが、感染症で大騒ぎの世の中になったおかげで軽い考えでは済まないみたいだ。
新しい生活様式とかいって、マスクで口元を隠し、距離をとってコミュニケーションをする社会は、ハッキリ言って私には過ごしにくい社会だ。
控えめに言って「受け入れ難い社会」だ。
しかし、感染リスクが高い人たちにとっては逆なのだろう。
多様性社会って難しい。
もういい加減、COVID-19の位置づけを冷静に見直した方が良いように思う。
少なくとも、国際関係上のCOVID-19と、国内対策は分けて考えられないモノだろうか?
日本を含めた東アジア圏とヨーロッパ、アメリカなどでは、ウイルスへの反応が異なっているように見える。
困ったモノだ。。。
真珠腫性中耳炎の手術後の話を綴っていたのに、いつのまにかCOVID-19の話になってしまった。
騒ぎになってから1年以上経過している。
解決策に向かおうとしているようには見えなくて、どちらかというと「もう忘れたい」「見ないようにしている」、そんな空気感が出来上がっている気がしないでもない。
個々ができるのは、個々が考えることだけ、だと思う。