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成長しない選択

「別に成長しなくてもいいんじゃない?」そんなふうに思うようになったのはいつからだろう?

日本のGDP「成長」率が伸び悩み、中国に抜かれ世界第3位になったころからかな?いや、そんな感じじゃない。

「成長を目指そう!」みたいなのを言葉に出していた時代もあったっけ。

それが悪いことじゃないし、それはそれでいいと思っている。成長目指して努力している人を否定したりしない。

頑張っている人を応援したい気持ちはある。

でも、自分自身は口で言うほど「成長目指して」来たのだろうか?

そうでもない気がしてきたなあ。

サッカー選手の移籍が報道される際に「自分が成長できると思って選択しました」と話しているのを見たことがある。

「迷った時は、より成長できる方を選びます」といったコメントも聞いたことがある。

成長するっていうのは、みんなの目標であって、みんなが目指すもので、達成できたら尊いものみたい。

上を目指して。

上だけを目指して。

特に、経済成長を社会人として経験した世代はそうなのかもしれない。

努力した分だけ、わかりやすい何かで利益が得られて、そのためにまた努力する。

努力の積み重ねによって得られる利益が大きくなっていったのを成長って表現していたのだろうなあ。

実際にそういうのを経験していたら「成長」を目指すのもわかる。

そして、それは競走の場面で競走で勝利したい人であれば同じ気持ちになるのだと思う。

けれど、全員が競争しているわけじゃないよね。

親が経済成長経験者だったものだから、学校の定期テストや受験の時に「上を目指せ」っていう圧力をかけられた記憶がある。

けれど、私はいわゆる偏差値の高い学校ではなく、自分が行きたい学校を選んだ。当時の私の成績はもっと偏差値の高い学校が狙えた。

父親にはぶつぶつ言われたけれど、すでにその時から「成長」や「上を目指す」という考え方に親世代との違いを持っていたのだと思う。

社会人になるまでずっと「競争」や「比較」の現場だったし、社会人になってもそれは大きく変わらなかった。

そういう環境に居すぎた結果、私自身も「成長は単純に尊い」と思うようになったようだった。

技術や知識の獲得に対して積極的にならない人に対して「成長欲求がない」と批判した時もあった。誰もが積極的に成長を目指すものだと信じ込んでいたから。

今振り返るとひどい話だ。

努力すればその分だけ、成長すればその分だけ、見返りが期待できた時代ではない。

努力、成長する意味を見いだせない人が多くなり始めた時と、年功序列が崩壊していった頃が重なるような気がしている。

昔勤めていた法人には「給与表」みたいなランキング表があって、職種と勤続年数(または経験年数)によって、だいたい基本給が決められていた。

その表によると、42歳くらいから昇給がなくなっていた。役職手当がつかない限り、給与の増額は見込めない。

そして、その役職は数年ごとの持ち回りになっていたらしい。

若い世代に役職を譲るタイミングが訪れるのだそうな。なかなか面白いアイデアだけど、未来と天井が把握できた時に成長のための努力は生まれるのだろうか??

私はわからなくなっていったし、自分自身が一般的な意味での成長を求めていないことに気づいた。

変化は受け入れる。けれど、見返りを求めた行動へのモチベーションが起こらなくなったようだ。

現状維持でいいとは思わない。「もっと知りたい、もっとできるようになりたい」という気持ちはある。それを成長への欲求と呼ぶならそうなのであろう。

ただ、そういうのを求めず、「今のままでいいです」と思っている人を許容できるようになった。

「経済成長」を前提にした対策のされ方がメインになっているこの国だけど、違う形の問題解決を考えないとダメかもしれない。

そのアイデアは経済成長「しか」経験していない大人では出てこないと思う。成長「だけ」を良しとする価値観の人からは生まれないと思う。

つまり、今の政治のリーダーのほとんどはアイデアが出せない気がしている。

人間だっていつまでも成長しているわけではない。

ぐんと成長する時期があって、緩やかに成長する時期があって、成長が停滞する時期があって、成長しない時期があって、最後は死ぬ。

国が死ぬ状況に向かうのは困るけど、ライフサイクルで考えたら、「成長」だけを目指すのがいかに不自然なことかは気づくはず。

成長を目指したっていい。

でも、完全に停滞が始まっている社会で、成長を求める生き方は大変に生きづらいのではないかな。

ここで、ドラッカーが「成長」をどのように定義したかに触れておきたい。

成長するということは、能力を獲得するだけでなく、人間として大きくなることである。責任に重点を置くことによってより大きな自分を見られるようになる。(プロフェッショナルの条件)

自分がどのような社会に身を置くか。自分がどの程度それを理解しているか。それによって成長の意味合いは変わってくるかもしれない。

少なくとも「経済成長」だけを前提にした社会にはならないと予想している。

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フクダヨウスケ
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