大人の発達障害?それを言い始めたら世の中に正常な人は存在しないのでは?
「大人の発達障害」というテーマのテレビ番組を見ました。
その中で、当事者ではなく配偶者などのパートナー的な存在の人が集まって、どう対処したら良いのかを相談しているシーンがありました。
当事者も辛いのだろうけど、そばにいる人も辛いのだなあ、とすごく第三者的に見ていたのですけど「大人の発達障害の特徴」が紹介されていたときに、
「おいおい、これは自分もずいぶん当てはまるぞ」
と気づきました。
番組で録画出演していた当事者の方とその配偶者の方のエピソードを聞く限りでは、当事者の言動と自分にずいぶんと共通点があります。
分類をみると、私は「自閉症スペクトラム」に近い感じでした。
これ、気になってちょっと調べてはみたのですけど、「診断」をうけたり「支援」を必要とするような方は、もっと激しい特徴を持っているようでした。
私が該当しそうなのは「コミュニケーションが苦手」、「こだわりが強い」、「相手の感情に共感しにくい」などの部分。
私に対して「そんなことないよ」と言ってくれる人はいます。
「コミュニケーション苦手じゃないじゃん」と。
他人の目からはそのように映っているのでしょう。
私自身は「苦手意識」があるのです。大勢の人がいる空間では1人になりたくなります。
それを「テクニック」や「知識」でカバーしているのです。
これはエネルギーを要するので、塞ぎ込む時間が必要になったり、諸々の服反応みたいなのが現れることがあります。
相手の気持ちを知るのも「共感」しているというよりは、プロファイリングに近いかもしれません。(そんなに特別な能力ではないですけど)
情報を集め、推論して、おそらくこんな情動ではないか?と予測する。
そんな作業をしています。だから基本的に「相手のことはわからない」です。
これ、共感じゃないですよね。
こだわりも強いですね。特に作業の手順とかに。あと、何か作業中にそれを止められるとすごく嫌です。作業を忘れることもあります。
コミュニケーションが苦手で、相手に共感できなくて、こだわりが強い。
これって、ただの性格だと自分自身では思っていました。
周りの人もそのように理解されていました。
「あの人はそういう人だ」と。
けれど、それを「障害」と呼ばれるのにはとてつもない違和感があります。
性格であり、特徴です。
適応できる環境は選ばないといけませんが。
もしも、ただの性格や特徴を「障害」とか「症状」と呼ぶのだとしたら、いわゆる「正常とか健常」っていう言葉に当てはまる人って存在するのでしょうか?
ロボットみたいな人のことを正常って呼ぶのではないですか?
この世は障害だらけになるのではないですか?
そんな風に感じました。
私よりも特徴が強く出ている人は、きっと私よりも大変な時間を過ごしていて、支援が必要になるのだと思います。
その支援をするために、支援を受けるために、何かしらの線引きが必要になるだろうと理解はできます。
何でもかんでも線が引かれたらいいわけじゃないとも思います。
これまで特に公的な支援、目に見える支援を私は必要としてきませんでした。
そもそも、支援が必要なタイプじゃないのかもしれません。
それでも、これまで生活できているのは、周りの人が気を遣ってくれたからなのだろうな、と感謝しています。
これからもコミュニケーションには努力が必要になるだろうし、相変わらず相手の気持ちがよくわからないだろうし、こだわりは強いままかと思いますが、診断名がつくとかつかないとか関係なく、私は私の特徴を受け入れて生きていこうと思います。